小林正枝
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小林 正枝 こばやし まさえ | |
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生年月日 | 1971年11月8日(53歳) |
出生地 |
日本 静岡県静岡市清水区 (旧・清水市) |
出身校 | 東海大学教養学部 |
前職 | 会社役員 |
所属政党 |
(無所属→) (民主党→) (新党きづな→) (国民の生活が第一→) (日本未来の党→) 自由党 |
称号 | 教養学士 |
選挙区 | 比例東海ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年8月 - 2012年11月16日 |
小林 正枝(こばやし まさえ、1971年11月8日 - )は、日本の政治家。
衆議院議員(1期)、新党きづな副幹事長、自由党静岡県総支部連合会代表などを歴任した。
略歴
[編集]静岡県静岡市清水区(旧清水市)出身。清水市立浜田小学校、清水市立第三中学校、東海大学第一高等学校卒業。1994年3月、東海大学教養学部国際学科卒業。ニューヨーク州立大学バッファロー校へ留学。その後オハイオ州立大学大学院政治学部に合格するが、進学していない。
帰国後、衆議院議員と参議院議員をつとめた松田岩夫の事務所に勤務した。2008年、小沢一郎政治塾を第7期生として修了。
2009年3月29日の静岡市議会選挙に無所属で出馬(清水区)するも最下位で落選した[1]。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に、比例東海ブロック単独39位で立候補し初当選。2011年2月17日民主党政権交代に責任を持つ会に入会。平成23年度予算案の衆院本会議に欠席した造反16人のうちの1人[2]。2011年12月28日に民主党に離党届を提出した[3][4][5][6][7](民主党は2012年2月7日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とすることを決定した[8])。2012年1月5日に内山晃らと共に『新党きづな』を結成し、党務担当の副幹事長に就任した[9]。
2012年11月、国民の生活が第一に合流した。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に日本未来の党公認で静岡4区から出馬するも、落選。
2018年には日吉雄太の離党後空席となっていた自由党静岡県総支部連合会の代表に就任[10]したが、その後日吉の自由党復党に伴い12月上旬頃に退任している[11]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 静岡市議会議員選挙
- ^ http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110301/plt1103011644003-n1.htm
- ^ “野田政権に大打撃 民主、若手9人が離党届を提出”. 産経新聞. (2011年12月28日). オリジナルの2011年12月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主党:内山晃衆院議員ら9人が離党届提出”. 毎日新聞. (2011年12月28日). オリジナルの2012年1月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主党議員9人 離党届提出”. NHK. (2011年12月28日). オリジナルの2011年12月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主若手が集団離党=内山氏ら9人、消費増税に反発”. Yahoo!ニュース. 時事通信. (2011年12月28日). オリジナルの2011年12月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主9議員が離党届提出 8人が小沢グループ所属”. 朝日新聞. (2011年12月28日). オリジナルの2012年1月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “離党10人を除籍=民主”. Yahoo!ニュース. 時事通信. (2012年2月7日). オリジナルの2012年2月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ 新党きづな:結党届け出 内山代表「野党」を強調 毎日新聞 2012年1月5日閲覧
- ^ “静岡県総支部連合会 | 自由党”. 自由党. 2018年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月8日閲覧。
- ^ “静岡県総支部連合会 | 自由党”. 自由党. 2018年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月10日閲覧。