コンテンツにスキップ

小川郷太郎 (外交官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1943年7月1日 - )は日本の元外交官イラクアフガニスタンの復興支援のために尽力した。現在、高校生の留学を支援する財団法人エイ・エフ・エス日本協会の理事長や三井住友海上火災保険の顧問[1]日本国際フォーラム政策委員[2]を務めている。

人物

[編集]

静岡県静岡市出身。静岡県立静岡高校3年の時に休学交換留学生としてアメリカニューメキシコ州ホームステイをしながら現地の高校に通った[3]。1968年3月、東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。

2006年9月にイラク復興支援等調整担当大使となり、同年10月9日にヌーリ・マリキ首相に訪日の招請を行った[4]。2007年9月イラク復興支援等調整担当を最後に退官したが、その後もイラク復興支援等調整担当大使としてイラク戦争後の経済復興に官民で取り組むイラク経済ミッションの団長としてバグダッドを訪問している[5]

2009年5月には北方領土3.5島返還に言及した谷内正太郎を批判する産経新聞の広告に賛同人として名前を連ねた[6]ことに対して鈴木宗男衆議院議員より質問主意書が提出された[7]

主な経歴

[編集]

柔道との関わり

[編集]

東京大学在学中は柔道部に所属していた。現在全日本柔道連盟の国際委員を務めている[10][11]。柔道の普及を通して世界各国との文化交流を推進しているNPO法人「柔道教育ソリダリティー」の理事を務めている[12]北京オリンピック日本選手団が惨敗したため、全日本柔道連盟が欧米のJUDOに対応しようと新体制を発表したことに対してメダル至上主義、ガッツポーズ雄叫び、負けた時に礼もせずにうずくまるといった相手選手への礼儀、敬意に欠ける精神的な部分での模範を日本が示すべきであると苦言を呈している[10]

外務省同期

[編集]

著書

[編集]
  • 『世界が終の棲み家 新しい日本のかたち』(文芸社 2008年8月 ISBN 4-286-05063-7

脚注

[編集]
  1. ^ 一体となってAFS事業に新たな活力を エイ・エフ・エスニュース
  2. ^ 委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  3. ^ a b 外交こそ平和維持の道 静中・静高創立125周年 高きを仰ぐ 静岡新聞 2003年10月22日 2009年8月20日閲覧
  4. ^ 小川イラク復興支援等調整担当大使とマーリキー・イラク首相との会談 2006年10月11日
  5. ^ イラク経済ミッションの派遣について 外務省 2009年3月1日
  6. ^ 外務省参与の北方四島の意見広告賛同「問題なし」 政府答弁書 産経新聞 2009年5月22日
  7. ^ 政府を批判する意見広告に賛同人として署名した政府職員に関する質問主意書 質問第496号 2009年6月3日
  8. ^ 各国・地域情勢 カンボディア王国 2002年2月
  9. ^ 『官報』号外第14号、2019年(令和元年)5月21日
  10. ^ a b 「勝つためなら何をやってもいいという風潮はよくない」 日刊ゲンダイ 2008年12月6日
  11. ^ 小川大使インタビュー 山口香の「柔道を考える」2009年1月26日
  12. ^ Newsletter vol. 5 2008年12月25日

外部リンク

[編集]
先代
大島賢三
国際協力事業団総務部長
1995年 - 1998年
次代
小町恭士
先代
美根慶樹
アフガニスタン支援担当特命全権大使
2007年
次代
吉川元偉