谷内正太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
やち しょうたろう
谷内 正太郎
生誕 1944年1月6日(70歳)
日本の旗 日本 石川県
出身校 東京大学
職業 内閣官房国家安全保障局長
テンプレートを表示

谷内 正太郎(やち しょうたろう、1944年(昭和19年)1月6日 - )は、日本外交官内閣官房国家安全保障局長内閣特別顧問外務事務次官政府代表内閣官房参与を歴任。

人物[編集]

石川県生まれ、富山県育ち。貧しい環境で苦労して育つ[1]。大学時代は若泉敬主宰の研究会に参加し、研鑽を積む。学者を目指して大学院に進学するものの、指導教官の急死などで断念し、外交官となる[2]

外務事務次官としては異例の3年(在任 2005年(平成17年)1月4日 - 2008年(平成20年)1月17日)を務め[3]安倍内閣外務大臣(当時)・麻生太郎の提唱した外交方針(価値観外交)の策定・実行に中心的役割を果たした。退官後は早稲田大学慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス等で教鞭を執り、前記大学合同の授業は谷内塾と呼ばれた。なお、東大(駒場)からは専任講師をオファーされたが教授職を希望して断った。2012年(平成24年)に発足した第2次安倍内閣では内閣官房参与に就任した。

外務省における田中眞紀子鈴木宗男の争いにおいては、田中眞紀子に忠実に仕えた。鈴木宗男に対しては「私は鈴木さんには詫びない。鈴木さんの考え方は、外交論として筋の通ったものだ。それを踏まえたうえで、外務省の方針を決める。それで鈴木さんとぶつかるなら、残念だけれども仕方が無い」という態度をとり、後日の鈴木宗男バッシングにも加わらなかった。これを鈴木に伝えた外務省の情報官・佐藤優によれば、それを聞いた鈴木は「谷内はしっかり者だ」と言ったという。佐藤も、谷内を「官僚道をわきまえた人物」と評価している[4]

2009年(平成21年)4月17日付の毎日新聞朝刊に掲載された北方領土に関するインタビューで、「個人的には3.5島返還でもいいのではないかと考えている。北方四島を日露両国のつまずきの石にはしたくない」と述べ、四島すべての返還に固執するべきではないとの考えを示した[5]。同年4月20日に外務大臣(当時)の中曽根弘文からこの発言に対し厳重注意を受け、「全体の発言の流れの中で誤解を与えるような発言があったかもしれない。深く反省している。」と述べた。

2013年(平成25年)11月週刊文春安倍政権カジノ構想実現を強く働きかけていたセガサミー会長の里見治と、同社の顧問を務めるなど公私ともに極めて親密な関係にあると報じられた[6]。同年12月の報道[7][8]によれば、里見がかつて入管難民法違反で逮捕されたホステスママが経営する赤坂の高級韓国クラブにも出入りしており、その交遊はかなり古い時代からのもので、セガサミー社のゲーム機の中国輸出解禁にも協力している。また、谷内が主催する政経勉強会「寛総会[9]」の事務局長は、公安当局がKCIAエージェントだと把握している在日韓国人であり、両者は個人事務所を登記・入居させているビルも同じという深い関係にある。同事務局長は漫画版権管理会社の経営者で、かつて経営していた大阪の不動産会社が旧住専からの多額融資を焦げ付かせ、役員を務める大蔵官僚出身で元衆議院議員の村田吉隆に高額報酬を支払っていたことを報じられている[10]

略歴[編集]

  • 1962年(昭和37年)3月 - 富山県立富山中部高等学校卒業
  • 1966年(昭和41年)3月 - 東京大学法学部卒業
  • 1969年(昭和44年)3月 - 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了
  • 1969年(昭和44年)4月 - 外務省入省
  • 英語研修(フレッチャースクール修士課程修了)
  • [[1973年(昭和48年)4月1日、日本テレビ『ドキュメント73』の「この若き官僚たち」に出演し、「われわれを特殊部落的にみてもらいたくない」と発言した[11]。このことが部落解放同盟から問題視され、4月19日、日本テレビ本社で同番組の司会者や報道制作局長とともに糾弾を受けた[11]
  • アメリカ合衆国日本国大使館
  • 条約局条約課
  • フィリピン日本国大使館一等書記官
  • 欧州共同体日本代表部一等書記官
  • 1985年(昭和60年)1月 - 外務省条約局法規課長
  • 1987年(昭和62年)8月 - 在アメリカ合衆国日本国大使館参事官
  • 1992年(平成4年)5月 - 外務省大臣官房人事課長
  • 1995年(平成7年)7月 - 同・審議官
  • 1996年(平成8年)7月 - 在ロス・アンジェルス日本国総領事館総領事
  • 1999年(平成11年)8月 - 帰任、外務省条約局長
  • 2001年(平成13年)1月 - 同・総合外交政策局長
  • 2002年(平成14年)10月 - 内閣官房副長官補
  • 2005年(平成17年)1月 - 外務事務次官
  • 2008年(平成20年)1月17日 - 次官退任、外務省顧問就任
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 早稲田大学日米研究機構客員教授
  • 2008年(平成20年)6月 - セーレン社外取締役
  • 2008年(平成20年)7月 - 社団法人先端技術産業戦略推進機構理事
  • 2009年(平成21年)1月20日 - 政府代表
  • 2010年(平成22年)7月 - 外務省顧問退任
  • 2010年(平成22年)12月 - 外務省顧問再就任
  • 2011年(平成23年)5月 - 一般社団法人外国語通訳検定協会代表理事
  • 2012年(平成24年)6月 - 富士通株式会社取締役
  • 2012年(平成24年)12月 - 内閣官房参与
  • 2014年(平成26年)1月 - 内閣官房国家安全保障局長(初代)

この他、東京電力でも顧問を務めていた事がわかっている(時期は明らかにされていない)[12]

出典・補注[編集]

  1. ^ 文藝春秋』2008年1月号 261頁
  2. ^ 『文藝春秋』2008年1月号 260-269頁
  3. ^ 2007年(平成19年)に迎える予定であった定年を1年延長されている。
  4. ^ 『インテリジェンス 武器なき戦争』(手嶋龍一佐藤優幻冬舎新書、2007年)137頁
  5. ^ “北方領土:「3島と択捉一部返還でも」 前外務事務次官”. 毎日新聞. (2009年4月17日). http://megalodon.jp/2009-0417-1613-07/mainichi.jp/select/today/news/20090417k0000m010148000c.html 2010年11月22日閲覧。 
  6. ^ 「初代NSC局長谷内正太郎がカジノ推進パチンコ業者と“密接交際”」(『週刊文春』 2013年11月28日号)
  7. ^ 「安倍政権NSC初代局長 谷内正太郎 許されざる「特定秘密」」(『週刊文春』2014年1月2日・9日新年特大号
  8. ^ 谷内正太郎初代NSC局長と“元KCIAエージェント”との親密交際が発覚!」(週刊文春掲載記事 “スクープ速報” 2013年12月24日閲覧)
  9. ^ 会合は1998年から2ヶ月に一度のペースで開かれており、メンバーは谷内の他、鹿島建設中村満義社長、警察庁元長官佐藤英彦弁護士、朝日新聞木村伊量社長、 東大大学院教授・小寺彰東京電力南直哉元社長など15名。
  10. ^ 「村田吉代議士が役員の不動産会社 住専、600億円融資 相当部分、不良債権に 昨年暮れ役員辞任」(『朝日新聞縮尺版』 1996年1月9日朝刊一面)
  11. ^ a b 『差別用語』(汐文社、1975年)p.36-38
  12. ^ 元財務次官も東電顧問 中央省庁の天下り29人 共同通信

外部リンク[編集]

先代:
浦部和好
内閣官房副長官補(外政担当)
2002年 - 2005年
次代:
海老原紳
先代:
竹内行夫
外務省総合外交政策局長
2001年 - 2002年
次代:
西田恒夫