黄田多喜夫
表示
黄田 多喜夫 | |
---|---|
日本外務省外務事務次官 | |
任期 1964年5月15日 – 1965年6月29日 | |
前任者 | 島重信 |
後任者 | 下田武三 |
日本外務省外務審議官 | |
任期 1963年 – 1963年 | |
前任者 | 島重信 |
後任者 | 牛場信彦 |
在インドネシア日本大使 | |
任期 1958年 – 1962年 | |
後任者 | 古内広雄 |
在デンマーク日本全権大使 | |
任期 1958年4月1日 – 1958年5月26日 | |
後任者 | 田付景一 |
在デンマーク日本全権公使 | |
任期 1957年 – 1958年4月1日 | |
前任者 | 大江晃 (在ストックホルム公使) |
後任者 | 全権大使に格上 |
通産省通商局長 | |
任期 1949年12月29日 – 1951年6月1日 | |
日本 香港占領地外事部長 | |
任期 ? – 1945年 | |
前任者 | 服部恒雄 |
後任者 | 日本の降伏 |
黄田 多喜夫(おうだ たきお、1907年〈明治40年〉3月16日[1] - 1998年〈平成10年〉[2])は、日本の外交官、通産官僚。外務書記官、大東亜省電信課長、香港占領地外事部長、公正取引委員会総務部長、通産省通商局長、外務省経済局長、駐デンマーク公使・大使、駐インドネシア大使、外務審査官、外務次官を務めた。
来歴
[編集]1907年広島県生まれ[1]。広島国泰寺高校から東京帝国大学を経て[2]、第39回文官高等試験外交科合格後、1930年に外務省に入省[3]。1942年に外務書記官(在米大使館外務書記生)を務めた後[4]、大東亜省電信課長を経て[5]、日本占領下の香港で外事部長を務め[6] 、日本の降伏まで務めた。帰国後は、終戦連絡中央事務局経済部長[7]、公正取引委員会総務部長[8]、通商産業省の通商局長(通商監)[9]、外務省の経済局長[10]、駐英公使(1954年より)[2]、駐デンマーク公使・大使、インドネシア大使などを歴任[5][11]。退官後に外務省顧問[2]。
香港外事部長
[編集]香港外事部長在任中、香港の外交と、外国人捕虜が収容されていたスタンレー収容所やその他の強制収容所を完全に管理し、捕虜に小包を送るために外部を開放した[12]。同時に、虚弱な2人の捕虜が毎週フランス病院で治療を受けることを許可した。こうした方針は当時の捕虜にも認められ、神父からもを「善良なる日本人」と称賛された[12]。
趣味
[編集]在イギリス大使館公使を務めていた時代にUFOに関心を持ち、当時の航空幕僚長・上村健太郎に日本のUFO研究の状況を照会する私信を送った。1967年の外務省顧問在任中にも、当時労働政務次官を務めていた海部俊樹とモスクワの日本大使公邸でUFOについて語ったという証言が残っている[2]。
参考文献
[編集]- ^ a b 「人事興信録 第22版 上」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e “UFOを肯定した外務事務次官・黄田多喜夫を知れ! 「UFOは他の天体から来た…」UFOに夢中になった政治エリートたち! (2018年10月26日)”. エキサイトニュース. 2022年9月6日閲覧。
- ^ 蘇俊斌 (1999-12). “日本之高級官僚-並與法國官僚比較”. 中國行政評論 9 (1): 177-204 .
- ^ JAPAN, 独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF. “叙位裁可書・昭和十七年・叙位巻十二 興亜院書記官江藤昌之外五百九十四名叙位ノ件”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 2022年9月4日閲覧。
- ^ a b “芳名録”. ミライon図書館. 2022年9月6日閲覧。
- ^ 鄭寶鴻 (2020-07-14) (中国語). 香江冷月:日據時期前後的香港. 商務印書館(香港)有限公司. ISBN 978-962-07-7391-4
- ^ 官報 1946年12月24日
- ^ 矢嶋光. “「鈴木九萬日記」(2) -1948年1月1日 ~ 1950年4月30日”. 名城大学法学部. 2022年9月6日閲覧。
- ^ 井上勇一 (2003). “外務省経済局の成立に関する一考察”. 法學研究 : 法律・政治・社会 (慶應義塾大学法学研究会) 76 (11): 39- 68.
- ^ “第15回国会 衆議院 通商産業委員会 第9号 昭和27年12月13日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム シンプル表示”. kokkai.ndl.go.jp. 2022年9月6日閲覧。
- ^ “写真・グラフィックス・映像一覧:報道写真の共同通信イメージリンク”. 報道写真・ニュース映像なら共同通信イメージリンク. 2022年9月4日閲覧。
- ^ a b “法廷証第3074号: 一九四二年一月乃至七月在香港日本人/ エイ・ジエイ・マーチン(夫人) - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年9月4日閲覧。
外部リンク
[編集]
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|