佐々江賢一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ささえ けんいちろう
佐々江 賢一郎
Kenichiro Sasae cropped 2 John Kerry Caroline Kennedy and Kenichiro Sasae 20131112.jpg
アメリカ合衆国国務省にて
2013(平成25)年11月12日
生誕 (1951-09-25) 1951年9月25日(66歳)
日本の旗 日本 岡山県倉敷市
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学法学部卒業
職業 アメリカ合衆国駐箚特命全権大使

佐々江 賢一郎(ささえ けんいちろう、1951年(昭和26年)9月25日 - [1])は、日本外交官アメリカ合衆国駐箚特命全権大使

外務省経済局長、外務省アジア大洋州局長外務審議官外務事務次官などを歴任した。

概要[編集]

外務省経済局長アジア大洋州局長、外務審議官(政務担当)を歴任し、2010年(平成22年)に外務事務次官に昇任した。2012年(平成24年)には次官経験者としては外務省機密費流用事件以来、11年ぶりの駐アメリカ合衆国特命全権大使に就任。

来歴・人物[編集]

岡山県倉敷市児島[2]出身。広島大学附属高等学校を経て1974年(昭和49年)、東京大学法学部卒業[3]

外務省入省後は、英語研修を受け、在米国大使館一等書記官、緒方貞子国連難民高等弁務官の補佐官、外務省アジア局参事官内閣総理大臣秘書官、総合外交政策局審議官などを経て、2002年(平成14年)に経済局長[4]2005年(平成17年)1月にはアジア大洋州局長に就任し、北朝鮮日本人拉致問題や対中国外交など、関係各国との交渉にあたった。

2008年(平成20年)に政務担当の外務審議官に就任し、2010年(平成22年)8月20日閣議決定にて外務事務次官に発令された[5]。なお、アジア大洋州局長以降は、いずれも薮中三十二の後任である。

野田佳彦内閣時に外務次官として韓国政府へ、慰安婦問題に関して日本の首相が公式に謝罪する・日本政府が元慰安婦に人道主義名目の賠償をする・駐韓日本大使が元慰安婦たちを訪問して首相の謝罪文を読んで賠償金を渡す、という韓国に大幅に譲歩した佐々江提案をおこなった。李明博大統領など韓国政府側が2012年(平成24年)3月の時点では「人道主義名目の賠償では不十分だ」などという理由で応じず、自民党第46回衆議院議員総選挙で勝利して民主党政権が倒れ、野田首相も退陣したため消えた[6]。 2012年(平成24年)、駐在アメリカ合衆国日本国大使館特命全権大使外務省機密費流用事件を受けて小泉純一郎総理大臣の意向で柳井俊二大使が更迭されて以降、次官経験者としては、11年ぶりの駐米大使就任となった[7]

略歴[編集]

  • 1974年(昭和49年)3月 東京大学法学部卒業
  • 同年4月 外務省入省
  • この間、英語研修(米国スワースモア大学)、在米国大使館一等書記官、北米局北米第二課長、
    イギリス国際戦略研究所研究員、国連難民高等弁務官(UNHCR)補佐官(スイスジュネーヴ)など歴任。
  • 1997年(平成9年)アジア局北東アジア課長
  • 1999年(平成11年)アジア局参事官
  • 2000年(平成12年)4月 首相秘書官森内閣
  • 2001年(平成13年)4月 総合外交政策局審議官
  • 2002年(平成14年)3月 経済局長
  • 2005年(平成17年)1月 アジア大洋州局長
  • 2008年(平成20年)1月 外務審議官(政務担当)
  • 2010年(平成22年)8月 外務事務次官
  • 2012年(平成24年)9月 在アメリカ合衆国駐箚特命全権大使

同期[編集]

参考資料[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 政官要覧 平成24年春号
  2. ^ ワシントンDC日本商工会会報(2013年4月号)
  3. ^ 新霞が関人脈 佐々江外務事務次官は広大付高で寮生活 広島県 毎日フォーラム(毎日新聞社)、2012年04月15日
  4. ^ 外務省・国際移住機関共催シンポジウム「国境を越えた人の移動」-経済連携協定と外国人労働者の受け入れ-報告書 (PDF) 2004(平成16)年7月27日
  5. ^ 政府、タイ大使に小島氏を起用 日本経済新聞 2010年8月20日閲覧
  6. ^ [1] 韓国が蒸し返したい幻の「佐々江提案」とは」,JBPress,2015年7月15日.
  7. ^ 「米大使に佐々江次官決定 中韓大使に外務審議官」朝日新聞2012年9月11日12時20分
公職
先代:
北島信一
日本の旗 外務省経済局長
2002年(平成14年) - 2005年(平成17年)
次代:
石川薫