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1963年4月25日、ホワイトハウスにて
武内 竜次(武内 龍次、たけうち りゅうじ、1903年〈明治36年〉5月1日 - 1999年〈平成11年〉9月6日)[1]は、日本の外交官。外務事務次官、駐米大使などを歴任。
1903年(明治36年)5月1日清国(現・中国)北京市生まれ。旧制高千穂中学校(第8回)卒業。旧制佐賀高等学校文科甲類[2]を経て、東京大学法学部[3]。
1927年(昭和2年)外交官試験に合格し、オックスフォード大学留学、イギリス、上海、ドイツ国、ソビエト連邦在勤、外務省政務局第三課長(ソ連課長)などを経て[3]、戦後、1945年(昭和20年)終戦連絡中央事務局第二部長[4]。1946年(昭和21年)外務省参事官兼終連事務局第五部長。同年終戦連絡札幌事務局長(のち北海道連絡調整事務局長)[5]。1948年(昭和23年)京都連絡調整事務局長[6]。1949年(昭和24年)戦後新設なった通産省の初代通商局長(通商監)を歴任。
吉田茂の外交をささえ、1951年(昭和26年)在ワシントン日本政府在外事務所所長[7]、1952年(昭和27年)在アメリカ大使館公使、1952年(昭和27年)9月 初の国際連合代表部公使となる。欧米局長[3]、ベルギー、西ドイツの大使などを経て1960年(昭和35年)外務次官。1963年(昭和38年)アメリカ大使として赴任。1967年(昭和42年)6月帰朝、同年9月退官。退官後は、日本航空株式会社顧問、日本ロシュ株式会社会長などを歴任。1973年(昭和48年)11月勲一等瑞宝賞を受ける。1999年(平成11年)9月6日死去。
参考文献[編集]
- 高千穂学園八十年編集委員会編『高千穂学園八十年史』(学校法人高千穂学園、1983年)
関連項目[編集]
- 先代
- 新設
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- 終戦連絡中央事務局第二部長
- 1945年
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- 次代
- 西山勉
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- 先代
- 工藤忠夫
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- 終戦連絡札幌事務局長→北海道連絡調整事務局長
- 1946年 - 1948年
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- 次代
- 久保田貫一郎
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- 先代
- 新設
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- 通商産業省通商局長
- 1949年
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- 次代
- 黄田多喜夫
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 在アメリカ合衆国日本大使 |
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代理公使・弁理公使 |
- 森有礼 1870–73(少弁務使→中弁務使→代理公使)
- 上野景範 1872(弁理公使a)
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特命全権公使 | |
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特命全権大使 | |
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在外事務所長 | |
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特命全権大使 | |
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a 外務少輔・外務卿代理を一時期兼ねる b 再任 c 遣アメリカ合衆国特命全権大使(在アメリカ合衆国特命全権大使の野村に加えての大使) d 1941年12月の日米開戦後に大使館が閉鎖されたため実質的に失職、両名は翌年8月の抑留者交換船で帰朝 |
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在ドイツ国全権公使 (1870-1871在北ドイツ連邦) |
- 鮫島尚信1870-1873 少弁務使→中弁務使→弁理公使 / 1873-1875
- 青木周蔵1874 代理公使 / 1874-1885
- 品川弥二郎1885-1887
- 西園寺公望1887-1891
- 青木周蔵1892-1898
- 井上勝之助1898-1906
- 大使館昇格1906
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在ドイツ国全権大使 | |
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在ドイツ連邦共和国全権大使 (西ドイツおよび統一ドイツ) | |
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在ドイツ民主共和国全権大使 | |
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1990年10月3日、ドイツ連邦共和国にドイツ民主共和国各州が州単位で加盟した |
 在ベルギー日本大使 (1955年-1957年)  |
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全権公使 | |
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全権大使 | |
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特命全権公使 | |
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特命全権大使 | |
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特命全権大使(次席) | |
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大使(次席・三席等) | |
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