小和田恆

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小和田 恆
おわだ ひさし
Hisashi Owada 2005.jpg
2005年
生年月日 (1932-09-18) 1932年9月18日(89歳)
出生地 日本の旗 日本新潟県
出身校 東京大学教養学部教養学科国際関係論分科)
ケンブリッジ大学
称号 教養学士(東京大学・1955年
イギリス法学士英語版(LL.B.)(ケンブリッジ大学1956年
名誉博士(法学)(敬和学園大学2000年
名誉博士(法学)(バーナラス・ヒンズー大学2001年
名誉博士(法学)(早稲田大学2004年
名誉博士(法学)(フローニンゲン大学2009年
名誉博士(法学)(ケンブリッジ大学・2015年
名誉博士(法学)(広島大学2016年
名誉博士二松学舎大学2019年
配偶者 小和田優美子
子女 雅子(小和田雅子)
池田礼子
渋谷節子

国際連合の旗 第22代 国際司法裁判所所長
在任期間 2009年2月6日 - 2012年2月5日

在任期間 2003年2月6日 - 2018年6月7日
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小和田 恆(おわだ ひさし、1932年昭和7年〉9月18日 - )は、日本外交官国際法学者

外交官として、国連大使外務事務次官を務めた。国際法学者として、第22代国際司法裁判所(ICJ)所長を務めた。

天皇徳仁皇后雅子の父。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1932年(昭和7年)、新潟県北蒲原郡新発田町(現:新発田市)に生まれる[1]。小和田毅夫・静夫妻の次男で、8人きょうだいの4番目にあたる[2]。生家の跡地は現在清水園の駐車場となっている[3]本籍地は新潟県村上市

旧制新潟県立柏崎中学校(現:新潟県立柏崎高等学校)2年のとき、父の転勤により旧制新潟県立高田中学校に転校した[2]新潟県立高田高等学校を経て、東京大学教養学部教養学科国際関係論分科[4])に進み、在学中の1954年(昭和29年)に外交官領事官試験に合格、翌年の1955年 (昭和30年)に大学を卒業して(教養学士)、外務省に入省した。

なお、兄弟も男子は全員東大(自身が教養学部、兄が文学部、長弟と次弟が法学部、末弟が工学部をそれぞれ卒業)、姉は奈良女子大学、妹はお茶の水女子大学を卒業という大変な秀才揃いであった[5]

外務省[編集]

ICJでオランダ首相マルク・ルッテを案内する小和田(前列左、2011年

外務省入省後にケンブリッジ大学に留学し、1956年(昭和31年)にイギリス法学士英語版(LL.B.)を取得[6]。外務省条約局法規課(1959年〈昭和34年〉 - 1963年〈昭和38年〉)[6]在ソ連日本国大使館一等書記官に就任する。ロシア語に堪能であるため領土問題、漁業交渉、サハリン残留韓国人の帰国問題などを担当した。1963年(昭和38年)、東京大学法学部の非常勤講師に就任し(在外勤務中を除く)、1988年まで国際法国際機関論の講義にあたる。以降国際連合日本政府代表部一等書記官などを経て、1971年(昭和46年)に欧亜局大洋州課長、外務大臣秘書官事務取扱、1972年(昭和47年)に国際連合局政治課長、1974年(昭和49年)に条約局条約課長。

1976年(昭和51年)に 第67代福田赳夫内閣総理大臣秘書官に就任し日中平和友好条約の作成に参加する。同秘書官には他に福田康夫保田博棚橋祐治らがいる。1979年(昭和54年)には在米大使館公使、6年前からの招聘にようやく応えハーバード大学ロー・スクール客員教授に就任し一家で渡米する。日本電信電話公社(現:NTT)の物資調達解放をめぐる日米交渉で、ストラウス合衆国通商代表から交渉の根回し役に指名されたのが小和田で、大筋合意する立役者となった。在ソ連大使館公使、1984年(昭和59年)に条約局長、1987年(昭和62年)に外務大臣官房長1988年(昭和63年)に経済協力開発機構(OECD)政府代表部(特命全権大使)、1989年(平成元年)に外務審議官(政務担当)1991年(平成3年)に外務事務次官1994年(平成6年)に国連大使などを歴任する。外務事務次官であった1991年(平成3年)の湾岸戦争の際には、自衛隊の派遣に反対の立場をとった。1993年(平成5年)、長女の雅子が皇室に入内したため、同年7月に外務省を退官し外務省顧問に就任する。任期2年の外務事務次官退任後は駐米日本大使に就任するのが既定のコースであったが、人員上就任せず翌年まで顧問を務める。

1994年(平成6年)、国連大使国連日本政府常駐代表(特命全権大使)に就任する。当時の日本は常任理事国入り(G4諸国)という難題を抱えており、皇太子妃の実父をそのような外交問題で傷つけてはいけない、と政府首脳・高官らからの異論があったが1998年10月まで務める[注釈 1]。同時に米国のコロンビア大学ニューヨーク大学・ロー・スクール客員教授に就任し国際法教授にあたった[7]

入省以来、外務省外では国際連合総会第6委員会、国連友好関係特別委員会、国連宇宙空間平和利用委員会深海底平和利用委員会等の代表において、国際法分野で一貫して活動してきた。その他に参加した主要な国際法分野における国際法会議としては、第二次国連海洋法会議(UNCLOS・1960年)、国連条約法会議(1968年 - 1969年)、第三次国連海洋法会議(1979年 - 1982年)、コペンハーゲン社会開発サミット(1994年)、第49回国連総会(1994年 - 1995年)、アフリカ統一機構総会(1995年 - 1997年)、第4回北京世界女性会議(1995年)、米州機構会議1996年)、非同盟諸国首脳会議(1997年 - 1998年)及び国際刑事裁判所設立外交会議(1998年)などがある。

1997年(平成9年)、国際連合安全保障理事会(UNSC)の議長に就任する[8]1998年(平成10年)、財団法人日本国際問題研究所理事長[9]世界銀行総裁特別顧問に就任する[10][11]1999年(平成11年)、オランダ王国ハーグ市平和宮にあるハーグ国際法アカデミー教授に就任する[12]

国内では、2000年から早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授(国際機構論)[13][14]大阪大学大学院国際公共政策研究科(OSIPP)客員教授[15]放送大学教授(国際関係論)[16]ハーバード・ロー・スクール客員教授[17](Mitsubishi Visiting Professor、三菱客員教授[注釈 2])にそれぞれ就任する。さらに民間外交推進協会(FEC)評議員会議長就任[18]日本国際問題研究所理事長[19](1999年3月 - 2003年1月)。外務省顧問、世界銀行総裁上級顧問、2002年(平成14年)からは広島大学の学術顧問も兼任し[20]、「ひろしま平和貢献構想策定」平和政策研究会・ワーキンググループ研究顧問に就任する[21]

国際司法裁判所[編集]

2003年(平成15年)に国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)判事に任命された[22]。前任は、小田滋1976年 - 2003年まで3期27年間)[23]2009年(平成21年)国際司法裁判所所長に国際選挙の互選で選出された。ICJの所長に日本人が就任するのは初めて[24]。所長任期は3年で、2012年(平成24年)2月に退任した[25]。所長選挙は、15人の判事による互選方式で実施された。中曽根弘文外務大臣は「小和田氏の今後のさらなる活躍を期待する。日本は、今後も国際社会における法の支配の推進に積極的に貢献していきたい」という談話を発表した。2010年(平成22年)7月22日セルビアからのコソボの独立の是非に関して、国際法違反には当たらないとの判断を下した(コソボ#コソボの独立も参照)。所長退任後は判事を継続。2007年(平成19年)、広島大学大学院総合科学研究科顧問教授、オランダのライデン大学名誉教授、国際法協会日本支部理事[26]日本国際法学会名誉理事[27]、アジア国際法学会会長[28]アメリカ国際法学会名誉会員、万国国際法学会(Institut de Droit International)正会員(アソシエイト[29]常設仲裁裁判所国別裁判官団判事に就任する[30][31]2018年(平成30年)、核脅威イニシアティブ(NTI)名誉役員に就任する[32]。同年6月7日付で国際司法裁判所判事を退任[33]。中学生の時の敗戦体験がキャリアの出発点になった旨、法の支配の実現を目的とする仕事に人生を通じて就くことができ、幸せであるという旨を語った[33]。国際司法裁判所判事の後任は岩沢雄司(任期は2021年2月まで)[34]

年譜[編集]

著名な判決[編集]

家族・親族[編集]

親族[編集]


愛子内親王の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. 123代天皇
大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
8. 124代天皇
昭和天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. 貞明皇后
 
 
 
 
 
 
 
4. 125代天皇
明仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. 久邇宮邦彦王
 
 
 
 
 
 
 
9. 香淳皇后
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. 島津俔子
 
 
 
 
 
 
 
2. 126代天皇
徳仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. 正田貞一郎
 
 
 
 
 
 
 
10. 正田英三郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. 正田きぬ
 
 
 
 
 
 
 
5. 上皇后美智子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. 副島綱雄
 
 
 
 
 
 
 
11 正田富美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. 副島アヤ
 
 
 
 
 
 
 
1. 敬宮愛子内親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. 小和田金吉
 
 
 
 
 
 
 
12. 小和田毅夫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6. 小和田恆
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. 田村又四郎
 
 
 
 
 
 
 
13. 小和田静
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3. 皇后雅子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. 江頭安太郎
 
 
 
 
 
 
 
14. 江頭豊
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. 江頭米子
 
 
 
 
 
 
 
7. 小和田優美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. 山屋他人
 
 
 
 
 
 
 
15. 江頭寿々子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. 山屋貞子
 
 
 
 
 
 

人物像[編集]

小和田はソビエト連邦スイス米国イギリスフランスオランダ計6か国の赴任経験があり、赴任するときは家族全員で赴任した[注釈 5]。 「カミソリ小和田」と呼ばれており、外務省内で小和田と論争して勝てるものはいないと第122代外務大臣柿沢弘治は語っている。

小和田は1965年外務省入省であるが、岡本行夫(1968年外務省入省。外務省北米一課長の時に小和田の部下だった)、斎藤邦彦(1958年外務省入省)らは、国際法学会で恆が発言すると会場が静まり返って傾聴するほどであったと語り、あれほど有能な人は見たことがないと述べている[38]。根回しも一流であり米国のベーカー国務長官、第3代ロシア連邦首相プリマコフなど幅広い人脈を持っていることでも有名である[39]

初代国連大使・加瀬俊一によると、小和田の実力は世界中で知られており、1991年には恆を国連事務総長にしようとイギリスを中心に欧米の外交官らが動いたことがあったという[40]

第58代内閣総理大臣・池田勇人大平正芳が率いた「宏池会」の名付け親である陽明学者・安岡正篤が主宰する「而学会」に江藤淳らとともに参加した[41]

著書・論文[編集]

  • 『国際機構の規範定立行為と国内法制-統治権能の国際的配分に関する一試論』(『国家管轄権-山本草二先生古希記念』1998年)
  • 『条約法における留保と宣言に関する一考察』(『国際法、国際連合と日本-高野雄一先生古希記念論文集』1987年)
  • 『ニカラグァに対する軍事的活動事件-管轄権及び受理可能性』(国際法外交雑誌、1986年)
  • 『ニカラグァに対する軍事的活動事件-仮保全措置指示要請』(国際法外交雑誌、1985年)
  • 『国際刑事裁判所設立の意義と問題点』(国際法外交雑誌、1999年)
  • 『座談会 アジア国際法学会の設立と今後の展望』(法律時報 79(12)、96-111、2007年)
  • "Justice and Stability in the International Order" (The Japanese Annual of International Law, 1996年)、
  • "Annual Review of Japanese Practice in International Law" (The Japanese Annual of International Law, 1961年 - 1988年)、
  • "Some Reflections on the Problem of International Public Order" (The Journal of International Law and Diplomacy,Kokusaiho Gaiko Zassi vol. 102(3), 343-372, 2003年)
  • "Reconceptualization of the International Rule of Law in a Globalizing World",( Japanese Yearbook of International Law, vol.51, 3-20, 2008年)
  • 小田滋と共著『The practice of Japan in international law 』東京大学出版会、1982年 ISBN 4130370081
  • 『参画から創造へ-日本外交の目指すもの』都市出版、1994年9月 ISBN 4924831107
  • 聞き手:山室英男『外交とは何か』日本放送出版協会、1996年7月 ISBN 4140802685
  • 山影進と共著『国際関係論』放送大学教育振興会放送大学大学院教材〉2002年4月、ISBN 4595133138
  • ロザリン・ヒギンズ英語版と共著『平和と学問のために-ハーグからのメッセージ』丸善〈叢書インテグラーレ 5〉2008年3月、ISBN 978-4621079720
  • "The Practice of Japan in the Field of International Law"(共著、1984年

講演[編集]

  • 国連加盟40周年記念シンポジウム「冷戦後の国連と日本の課題」(国連大学本部・1996年)
  • 『国連の改革と日本の役割』(名古屋大学・1998年)
  • 『冷戦後の国際連合野役割』第5回講演会(早稲田大学アジア太平洋研究センター大学院アジア太平洋研究科)
  • 『危機の時代における国連外交』公開講座特別講演(敬和学園大学
  • 『日米アジア問題懇談会』(ハーバード大学・1999年)
  • 『21世紀「日本文明」の行方・グローバル時代に生き残れるか』基調講演:サミュエル・P・ハンティントン(ハーバード大学)[42]
  • 「第3回経団連・世銀グループ合同会議」(米国ワシントン世界銀行本部)
  • 『アジア太平洋地域ヒアリング』国連ミレニアム総会の準備会合(国連大学)
  • 「ビジョン2020日・ASEAN協議会」第1回会合(ベトナム・ハノイ)
  • 『国際秩序と米国』アメリカス学会・2000年度前期特別講演会(天理大学[43]
  • 『国際公益と日本外交』国際公共政策特殊講義(大阪大学大学院)[44]
  • 『21世紀の大学像を求めて』東京大学教養学部創立50周年記念シンポジウム(東京大学)
  • 『21世紀のアジア・太平洋』21世紀国際フォーラム(早稲田大学)
  • 「国際社会と日本」(椙山女学園大学
  • 「国連による平和構築活動と日本 -アフガン復興支援を中心として-」(名古屋大学大学院)
  • 第10回国際哲学オリンピック東京大会(国連大学)[45]
  • 国連訓練調査研究所(UNITAR)共催「第三回研修プログラム」
  • 『冷戦後の世界と日本外交』国連訓練調査研究所(UNITAR)共催「第三回研修プログラム」[46]
  • 『開発問題における日本の役割を考える』ワシントンDC開発フォーラム(国際協力機構米国事務所)
  • 『9.11事件をめぐる国際法的考察』第4回外交講座(金沢大学
  • 『国際法と各国での適用について』年次講演会(シンガポール法律アカデミー
  • 『グローバリゼーションと国際社会 -文明の衝突と普遍的価値の問題-』(広島大学大学院総合科学研究科)
  • 『国際司法裁判所-その機能と展望』(京都大学法経済学部)[47]
  • 『国際司法裁判所の最近の活動』(立命館アジア太平洋大学
  • 『国際司法裁判所の現在と将来』(東京大学法学部)

栄典[編集]

勲章[編集]

名誉称号[編集]

参考文献[編集]

  • 河原敏明 『皇太子妃雅子さま』 1993年
  • 川口, 素生『小和田家の歴史 雅子妃殿下のご実家新人物往来社、2001年、68-71頁。ISBN 4404029519
  • 神, 一行『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜角川書店角川文庫〉、2002年、394-401頁。ISBN 4-04-353306-3
  • 山本, 茂『遥かなる村上藩 雅子妃のふるさと』恒文社、1993年。ISBN 4-7704-0782-3

関連項目[編集]

出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 着任後初の記者会見で「(日本の常任理事国入りに関して)日本が積極的な役割を果たすことが国連にとって良いことなのか悪いことなのかということから考える。みんなが日本に入って欲しくないという時にはなにがなんでも入りたいということではないが、入ってほしいというのが国際社会の考えなら積極的に(役割を)果たしたい」と語った。(朝日新聞縮刷版1994年5月4日P99)
  2. ^ 三菱客員教授とは別に「三菱日本法学教授(Mitsubishi Professor of Japanese Legal Studies)」という常勤教授職があり、日本から来た三菱客員教授は「三菱日本法学教授」と共同で1コマ教えるというのが慣例である。「三菱日本法学教授」のポジションは1972年三菱グループが当時の為替レートで100万ドルという巨額の寄付により作ったものであった。恆は2000年以降、毎年客員教授として集中講義を行っている。
  3. ^ 卜部亮吾侍従日記1971年9月3日に、随員全20名の一覧あり。日記での小和田の肩書は「外務大臣秘書官」[35]
  4. ^ a b 池田礼子渋谷節子双子
  5. ^ 「私はのびやかな精神と優しい心を持った人間に成長して欲しいと思い、接してきました。仕事の関係上、海外での勤務が多いのですが必ず家族を連れていくよう心掛けておりました。子にとっても、親にとっても大変なことですが、みんなが一緒になって楽しむ、一緒になって苦しむ、そんな家庭の一体性を身をもって感じることが大切だと思い、ハンディを承知の上で一緒に海外で生活しました。親を見ながら子供が成長することが大切だと思っています。」と雅子の皇太子妃内定の記者会見で述べている(週刊文春2012年7月12日)。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ (川口 2001, p. 43)
  2. ^ a b (川口 2001, p. 69)
  3. ^ 清水園と小和田家”. 北方文化博物館ブログ. 一般財団法人北方文化博物館 (2009年5月13日). 2016年2月13日閲覧。
  4. ^ 国際司法裁判所裁判官に就任することになって 教養学部報
  5. ^ 小和田兄弟年表”. seiyou.ehoh.net. 2021年11月14日閲覧。
  6. ^ a b c d e Current Members Judge Hisashi Owada (Member of the Court since 6 February 2003)”. 国際司法裁判所. 2007年10月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2019年6月17日閲覧。
  7. ^ A Conversation with Judge Hisashi Owada”. ニューヨーク大学 (2018年11月20日). 2019年1月20日閲覧。
  8. ^ 総会と安全保障理事会、ICJ 判事に岩澤雄司(いわさわ・ゆうじ)氏を選任”. 国際連合広報センター (2018年6月26日). 2019年1月20日閲覧。
  9. ^ 「人間の安全保障を求めて」−日本国際問題研究所創立40周年記念シンポジウム−”. 公益財団法人日本国際問題研究所 (2001年6月26日). 2019年1月20日閲覧。
  10. ^ ・第53回2003年1月29日 開発問題における日本の役割を考える”. ワシントンDC開発フォーラム (2003年1月29日). 2019年1月20日閲覧。
  11. ^ Trilateral Commission 三極委員会(トライラテラル・コミッション)政策共同研究報告書「トライアングル・ペーパーズ」”. 公益財団法人日本国際交流センター (2001年6月26日). 2019年1月20日閲覧。
  12. ^ Hisashi Owada Professor emeritus of Japanese language and cultures”. ライデン大学. 2019年1月20日閲覧。
  13. ^ こんな授業!どんなゼミ?No.912 2000.10.12(7)小和田恆(ひさし)先生「国際機構論」(2000年春学期)を受講して(2000年10月12日)、早稲田大学、2015年12月28日閲覧。
  14. ^ 特派員・現場レポート、早稲田大学、2015年12月28日閲覧。
  15. ^ OSIPP News Letter 2000年 春号 No.14小和田氏、客員教授に”. 大阪大学大学院国際公共政策研究科. 2019年1月20日閲覧。
  16. ^ 国際関係論”. 放送大学教育振興会. 2019年1月20日閲覧。
  17. ^ Biography - Judge Hisashi Owada, International Court of Justice”. United Nations Audiovisual Library of International Law (2018年6月7日). 2019年1月20日閲覧。
  18. ^ 18年度FEC評議員会を小和田議長が開会/大いに談論風発の知的な場となった。”. FEC・民間外交推進協会事務局 (2006年12月28日). 2019年1月20日閲覧。
  19. ^ 「人間の安全保障を求めて」−日本国際問題研究所創立40周年記念シンポジウム−”. 公益財団法人日本国際問題研究所. 2019年1月20日閲覧。
  20. ^ 小和田国際司法裁判所判事への広島大学名誉博士称号授与式と記念講演会を開催しました(広島大学学術室学術部学術支援グループ)”. 広島大学 (2016年7月12日). 2018年6月5日閲覧。
  21. ^ 平成14年度平和政策研究会・平成14年度 平和政策研究会 ワーキンググループ 名簿”. 広島県. 2019年1月20日閲覧。
  22. ^ 中曽根外務大臣談話 小和田恆国際司法裁判所裁判官の裁判所長就任について”. 外務省 (2009年2月6日). 2019年1月20日閲覧。
  23. ^ “General Assembly, Concurrently with Security Council, Elects Four Judges to International Court of Justice” (プレスリリース), United Nations Department of Public Information • News and Media Division • New York, (2011年11月10日), https://www.un.org/News/Press/docs/2011/ga11171.doc.htm 
  24. ^ 国際司法裁判所公式サイト歴代所長リスト
  25. ^ “国際司法裁所長にトムカ氏 小和田氏の後任”. 共同通信. (2012年2月7日). http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012020701001261.html 2012年2月7日閲覧。 
  26. ^ 一般社団法人国際法協会日本支部 2018年度第3回理事会議事録”. 一般社団法人国際法協会日本支部 (2018年12月16日). 2019年3月20日閲覧。
  27. ^ 国際法学会2017年度研究大会プログラム”. 一般財団法人 国際法学会 (2017年8月1日). 2019年3月20日閲覧。
  28. ^ 発足のご挨拶”. アジア国際法学会日本協会 (2007年4月1日). 2019年3月20日閲覧。
  29. ^ 国連による平和構築活動と日本”. 東京大学 (2003年10月1日). 2019年3月20日閲覧。
  30. ^ The Selection of Judge Hisashi Owada as a Candidate for the Election of judges of the International Court of Justice (ICJ) in 2011”. Ministry of Foreign Affairs of Japan (2010年9月1日). 2011年10月30日閲覧。
  31. ^ UN Doc. A/66/183–S/2011/453: List of candidates nominated by national groups / Note by the Secretary-General” (2011年7月26日). 2011年10月30日閲覧。
  32. ^ a b Ambassador Hisashi Owada Emeritus Board Member”. Nuclear Threat Initiative(NTI). 2019年1月20日閲覧。
  33. ^ a b 人生懸け「法の支配」追求 小和田恒氏、国際司法裁判所退任”. 共同通信社 (2018年6月7日). 2019年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月20日閲覧。
  34. ^ 国際司法裁判所裁判官に岩沢東大教授 小和田氏の後任” (日本語). 日本経済新聞. 2019年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月11日閲覧。
  35. ^ 『昭和天皇最後の側近 卜部亮吾侍従日記』第1巻(朝日新聞社、2007年9月)、p.66。
  36. ^ 国際連合広報センター翻訳「コソボに関する一方的独立宣言の国際法適合性に関する国際司法裁判所の勧告的意見」、国際司法裁判所。原文:Accordance with International Law of the Unilateral Declaration of Independence in Respect of Kosovo, Advisory Opinion, I.C.J. Reports 2010, p. 403.
  37. ^ a b 「小和田家系図」『毎日グラフ臨時増刊 皇太子さま雅子さま ご成婚記念特別号』、毎日新聞社、1993年6月26日、 161頁。
  38. ^ 週刊新潮1993年8月12日号
  39. ^ FOCUS1991年8月16日号『「最初の浩宮妃候補」小和田雅子さんのその後の家庭』
  40. ^ 週刊新潮1993年2月6日号
  41. ^ 青年の旗No.185-3
  42. ^ 国際政治における理想的意志”. 朝日新聞社 (2000年9月11日). 2019年2月11日閲覧。
  43. ^ お知らせ”. 天理大学アメリカス学会ニューズレター (2000年5月20日). 2019年1月20日閲覧。
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外部リンク[編集]

先代:
ロザリン・ヒギンズ英語版
第22代
International Court of Justice Seal.svg
国際司法裁判所(ICJ)所長
2009年 - 2012年
次代:
ペテル・トムカ