池田礼子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
いけだ れいこ
池田 礼子
生誕 小和田 礼子(おわだ れいこ)
(1966-07-08) 1966年7月8日(53歳)
スイスの旗 スイスジュネーヴ
洗礼 マドレーヌ
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学法学部
ジュネーヴ大学
職業 国際公務員
小和田恆(父親)
小和田優美子(母親)
家族 皇后雅子(実姉)
渋谷節子(双子の妹)

池田 礼子(いけだ れいこ、1966年昭和41年〉7月8日 - )は、国際公務員。第22代国際司法裁判所(ICJ)所長・小和田恆の次女。皇后雅子の妹。出生名は小和田 礼子(おわだ れいこ)。

国際公務員として、国際連合児童基金(UNICEF)駐日事務所副代表を務めた。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1966年(昭和41年)7月8日スイス連邦のジュネーヴ市で、当時在ソ連日本国大使館一等書記官・小和田恆と同夫人優美子の次女として生まれた。姉は雅子であり、礼子と双生児として共に生まれた妹が節子である。生後しばらく同国ベルン在スイス日本国大使館大使公邸で育てられた。マドレーヌ(Madeleine)というフランス語のクリスチャンネームをもつ[1][2]

1969年(昭和44年)、父の恒が国際連合日本政府代表部に赴任したため一家で渡米。2歳から4歳までの2年間でアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市の2つの幼稚園に通う。田園調布雙葉小学校田園調布雙葉中学校・高等学校を卒業後、父の恒がOECD日本政府代表部特命全権大使に就任したため1988年(昭和63年)から1年間、両親と共に渡仏しソルボンヌ大学(パリ第4大学)に留学した。帰国後の同年3月、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。1991年平成3年)8月にスイスのジュネーヴ大学国際問題高等研究所大学院(法科大学院)を修了した[3]

国際公務員[編集]

慶応大学在学中にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー試験(JPO)に合格し、1991年(平成3年)9月よりベトナム国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤務した。1994年(平成6年)、中国北京に赴任し、主に過疎地に住む子供の健康・教育向上に携わった。以降国連官僚(国際公務員)として、「戦時児童」担当国連事務総長特別代表事務所、国際連合児童基金、及び国際連合本部などに所属し[4]、ニューヨークの国際連合事務局国際連合事務総長特別代表事務所)に勤務した[5]。その後、東京都港区青山国連大学本部の国際連合ユニセフ駐日事務所副代表(後任は平林国彦)を務めた。

私生活[編集]

2000年(平成12年)10月、ニューヨーク州弁護士の日本人男性と結婚した。2児の母[6]

年譜[編集]

親族[編集]

他は

CM出演[編集]

ビブリオグラフィ(翻訳)[編集]

エピソード[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 河原敏明『美智子さまから雅子さまへ-プリンセスへの道』(1993年
  2. ^ ベン・ヒルズ(著), 藤田真利子 (翻訳)『プリンセス・マサコ』(2007年
  3. ^ ハーパース・バザー日本版2001年10月号
  4. ^ プレジデントファミリー2007年6月号
  5. ^ 婦人公論2006年7月22日号
  6. ^ 週刊文春(ザ・プリンセス雅子妃物語)2013年7月11日号