赤阪清隆

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赤阪 清隆(あかさか きよたか、1948年昭和23年)8月24日 - )は、日本外交官公益財団法人フォーリン・プレスセンター理事長。元広報担当国際連合事務次長。大阪府出身。

2007年2月、潘基文国際連合事務総長により広報担当事務次長に指名され、広報局 (Department of Public Information) のヘッドとして、情報戦略、コミュニケーション、ニュース、メディア、アウトリーチ、情報管理、国連ダグ・ハマーショルド図書館などの活動に責任を持ち、世界中の国連広報センターを統括した。

人物[編集]

2003年から2007年まで、経済協力開発機構 (OECD) 事務局事務次長として、開発、環境、持続可能な開発 (sustainable development) 、他の国際機関とのパートナーシップの構築と持続というようなテーマに取り組んだ。

2000年から2001年まで、国連日本政府代表部大使として、国連のさまざまな問題解決に貢献した。

1997年から2000年まで、大臣官房外務参事官(審議官)兼総合外交政策局国際社会協力部として、気候変動枠組条約締約国会議での京都議定書に関する運用ルール等について交渉にあたった。

それ以前にも国際機関の内外で豊富な経験を持ち、1988年から1991年までは関税と貿易に関する一般協定 (GATT) 事務局で、また1993年から1997年までは世界保健機関 (WHO) 事務局に勤務した。

1971年4月に外務省に入省してから一貫して外交の世界に身を置いてきたが、法律、貿易、経済、環境、持続可能な開発、広報、情報戦略などといった分野にも精通している。

京都大学から法学士、またケンブリッジ大学トリニティ・カレッジから経済学修士の学位を授与された。

共著としてThe GATT and the Uruguay Round NegotiationsThe Cartagena Protocol on Biosafetyなどがある。また雑誌や新聞に貿易、環境、持続可能な開発などに関する論文を多数発表してきている。

日本語のほか、英語、フランス語に堪能。国連やOECDで「紳士」として知られている。

略歴[編集]

  • 1970年(昭和45年)9月 - 外務省公務員採用上級試験合格
  • 1971年(昭和46年)3月 - 京都大学法学部卒業
  • 1971年(昭和46年)4月 - 外務省入省
  • 1982年(昭和57年)7月 - 在マレイシア日本国大使館 一等書記官
  • 1984年(昭和59年)11月 - ジュネーヴ国際機関日本政府代表部 一等書記官
  • 1988年(昭和63年)1月 - ガット事務局(スイス国ジュネーヴ)
  • 1992年(平成4年)1月 - ジュネーヴ国際機関日本政府代表部 参事官
  • 1992年(平成4年)1月 - 大臣官房文化交流部文化第一課長
  • 1993年(平成5年)8月 - ジュネーヴ国際機関日本政府代表部 参事官 世界保健機関事務局(スイス国ジュネーヴ)
  • 1997年(平成9年)7月 - ジュネーヴ国際機関日本政府代表部 公使
  • 1997年(平成9年)8月 - 大臣官房外務参事官兼総合外交政策局国際社会協力部
  • 1998年(平成10年)4月 - 大臣官房審議官兼総合外交政策局国際社会協力部
  • 2000年(平成12年)4月 - 国際連合日本政府代表部 大使
  • 2001年(平成13年)10月 - サン・パウロ日本国総領事館 総領事(2003年(平成15年)4月 在サンパウロ日本国総領事館となる)
  • 2003年(平成15年)8月 - 経済協力開発機構事務局(フランス国パリ)事務次長
  • 2007年(平成19年)2月 - 潘基文国際連合事務総長により広報担当国連事務次長(広報局長)に指名される[1]
  • 2012年(平成24年)3月末 - 国連事務次長を退任。
  • 同年8月 - 公益財団法人フォーリン・プレスセンター理事長[2]

同期[編集]

脚注[編集]

  1. ^ (日本語) 赤阪清隆新広報担当国連事務次長略歴”. 外務省. 2011年4月23日閲覧。
  2. ^ [1]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

先代:
近藤誠一
経済協力開発機構事務次長
2003年 - 2007年
次代:
天野万利