須之部量三

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須之部 量三(すのべ りょうぞう、1918年2月15日 - 2006年2月14日)は、日本の外交官外務事務次官杏林大学名誉教授。東京府出身。

来歴[編集]

旧制浦和中学(浦和高校)、旧制静岡高校文科甲類(静岡大学)を経て[1]東京帝国大学法学部卒業。

1941年12月、外務省に入省。1950年ガリオア基金にて米国留学[2]。経済局第四課長(イギリス連邦担当)、1955年在連合王国大使館一等書記官、1958年大臣官房人事課長、1961年条約局外務参事官、1964年ソ連大使館参事官1966年駐米公使、1968年外務省アジア局長[3]。駐オランダ大使、駐インドネシア大使、駐韓国大使を経て、1981年に外務事務次官に就任した。1983年から1993年まで杏林大学の教授となり、その後名誉教授となった。竹島問題などについて『解決しないことをもって解決とする』と説いていた[4]

異例の人事[編集]

通常、事務次官は年次順に就任する。しかし、須之部の前任の高島益郎は須之部より年次が2年も下だった。

脚注[編集]

  1. ^ 「旧制高等学校物語 第10」財界評論社 1965年
  2. ^ 『オーラルヒストリー 日米外交』大河原良雄 74頁
  3. ^ 『日本官界名鑑 第22版』日本官界情報社 1970年
  4. ^ 五輪で竹島PRして国内で批判あがらぬ韓国は「国際常識ない」SAPIO 2012年(平成24年)9月19日号

関連項目[編集]