竹内行夫

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竹内 行夫
たけうち ゆきお
生年月日 (1943-07-20) 1943年7月20日(80歳)
出生地 奈良県
出身校 京都大学法学部
オックスフォード大学
称号 法学士(京都大学・1966年

在任期間 2008年10月21日 - 2013年7月19日

在任期間 2002年2月19日 - 2005年1月4日

在任期間 2001年1月29日 - 2002年2月18日

在任期間 1999年8月16日 - 2001年1月28日

日本の旗 外務省北米局長
在任期間 1998年7月28日 - 1999年8月15日

その他の職歴
日本の旗 外務省条約局
1997年8月1日 - 1998年7月27日
日本の旗 在アメリカ合衆国日本国大使館特命全権公使
1995年8月4日 - 1997年7月31日
日本の旗 内閣総理大臣秘書官
1991年11月5日 - 1993年8月8日
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竹内 行夫(たけうち ゆきお、1943年7月20日 - )は、日本外交官駐インドネシア日本国大使館大使、外務事務次官最高裁判所裁判官などを歴任。奈良県出身。

人物[編集]

小泉政権において、いわゆる田中眞紀子騒動で前任の野上義二が更迭されたことにより、駐インドネシア大使から事務次官に就任。外務省内の語学派閥では「アメリカンスクール」に属し、日米同盟を固守する立場をとった。次官在任中には、イラク戦争を支持したほか、小泉純一郎首相の訪朝が実現している。しかし、田中均外務審議官による北朝鮮との独自ルートによる秘密外交問題に対して、当初は秘密外交を追認していたが、世論の批判が高まり、最終的に田中を退官させた。また、イラク戦争に反対した天木直人駐レバノン大使を辞任させている。天木によれば、竹内は「君は組織の枠を踏み外してしまったんだよ」と批判したという[1]。外務省では一、二を争う国際法規に明るい人物とされる[2]瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件では、川口順子外務大臣より厳重訓戒処分を受け、給与を20%・1月自主返納した[3]

第2次安倍内閣集団的自衛権の行使を2014年6月に閣議決定で“合憲”としたことについては、「憲法の理念を守っており、許される範囲の変更だ」「憲法が覆されるなら断ればいい」「今回の行使容認は極めて抑制的なものだ。朝日の報道には疑問を感じる」と、朝日新聞のインタビューで述べている[4]

略歴[編集]

外務省同期[編集]

最高裁判所での主な担当訴訟[編集]

所属団体[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 天木直人『さらば外務省! ―私は小泉首相と売国官僚を許さない―』
  2. ^ 文藝春秋』2008年1月号 263頁
  3. ^ 「在瀋陽総領事館事件に関する処分」外務省
  4. ^ 『理念守り、許される範囲の変更 集団的自衛権、竹内行夫元外務次官に問う』朝日新聞2014年7月20日
  5. ^ a b c d 『外交証言録 高度成長期からポスト冷戦期の外交・安全保障――国際秩序の担い手への道』 岩波書店、2022年4月発行(PDF
  6. ^ a b c d 竹内行夫 最高裁判所判事(期外)の経歴
  7. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』469頁。
  8. ^ “最高裁の竹内判事が退官 後任は未定”. 共同通信. (2013年7月20日). https://web.archive.org/web/20140722183750/http://www.47news.jp/CN/201307/CN2013071901001620.html 2013年7月20日閲覧。 
  9. ^ 評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  10. ^ 委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]