日朝首脳会談

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日朝首脳会談(にっちょうしゅのうかいだん)は、日本国朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との首脳同士による会談。2002年2004年に2回開かれた。この会談により日本人拉致被害者の5人が帰還した。

1回目[編集]

1回目の会談

2002年9月17日平壌の百花園招待所で、日本の内閣総理大臣小泉純一郎自由民主党総裁)と北朝鮮の事実上の最高指導者である国防委員長金正日朝鮮労働党総書記)が行った。 両者は「日朝平壌宣言」に署名し、国交正常化交渉を10月に再開することで合意した。

日本人拉致問題[編集]

金正日は、小泉首相に対し、以下のように特殊機関の一部が日本人を拉致した事実を認め、謝罪した[1][注釈 1]

70〜80年代に特殊部署が妄動主義、英雄主義に駆られ、工作員の日本語教育と、日本人に成りすまして韓国へ侵入するために日本人を拉致したが、このような誤った指示をした幹部を処罰した…。工作船は軍部が訓練の下でした。私は知らなかった…。再びないようにする。

そして、処罰したとされるのが、チャン・ボンリムキム・ソンチョルであった[1]。2人は1998年、職権濫用を含む6件の容疑で裁判にかけられ、チャンは死刑、キムは15年の長期教化刑に処せられたという[1]。しかし、この2人は対外情報調査部の副部長であって、作戦部副部長ではない[1]。この2人は1997年8月の「調査部事件」で粛清された2人であって拉致問題とはまったく関係がない[3]。また、対外情報調査部は工作船を有しておらず、工作船を用いた拉致事件は労働党作戦部によるものである[1]。したがって、日本人拉致問題の責任を負うべきは、拉致の指示を出した金正日自身以外には、作戦部長だった呉克烈だったはずである[1][注釈 2]

日本側の安否確認に対しては、北朝鮮側は地村保志浜本富貴恵蓮池薫奥土祐木子の4人の生存を明らかにし、横田めぐみ田口八重子市川修一増元るみ子原敕晁松木薫石岡亨有本恵子の8人を「死亡」と発表した[4]。 さらに、日本側も把握していなかった曽我ひとみの拉致・生存と、横田めぐみの娘の生存も明らかにした[4]久米裕曽我ミヨシについては入国自体を確認できないとした[4]

2回目[編集]

2回目の会談

2004年5月22日、平壌の大同江迎賓館で、前回と同じく小泉純一郎と金正日が行った。

日本人拉致問題[編集]

家族の帰国は地村家と蓮池家の家族5人の帰国が認められ、曽我家の家族は後日第三国にて話し合うことになった。 「死亡」・「不明」の10人について、北朝鮮側が再調査を約束した。拉致被害者家族会では「もうすでに北朝鮮は十分な資料を持っているはず」とし、今回の小泉総理の訪朝の成果を強く批判した。

北朝鮮の利益[編集]

  • 25万tの食糧支援。
  • 1000万ドル(約11億円)相当の医薬品。
  • 平壌宣言を厳守すれば経済制裁の発動をしない。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1977年、北朝鮮の工作員たちに対し「マグジャビ」(手当たり次第)に外国人を誘拐するよう命じたのは金正日その人であった[2]
  2. ^ しかし、呉克烈は、特に何の処分も受けず、その後も作戦部長であり続けた[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 青山(2002)pp.318-322
  2. ^ 「ニューズウィーク日本版」2006年2月22日(通巻993号)pp.32-34
  3. ^ 青山(2002)p.279
  4. ^ a b c 西岡(2002)pp.105-108

参考文献[編集]

  • 青山健煕 『北朝鮮 悪魔の正体』光文社、2002年12月。ISBN 4-334-97375-2 
  • 田中均田原総一朗 『国家と外交』講談社、2005年11月。ISBN 978-4062131964 
  • 西岡力 『金正日が仕掛けた「対日大謀略」拉致の真実』徳間書店、2002年10月。ISBN 4-7505-9703-1 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]