山崎馨一

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山崎 馨一(やまざき けいいち、1882年明治15年)2月28日[1] - 1945年昭和20年)9月13日[2])は、日本外交官。駐ペルー公使

経歴[編集]

神奈川県出身。1905年(明治38年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)専攻科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した[1][3]。領事官補となり漢口ニューヨークに勤務した[3]。さらにシカゴ領事、イギリス大使館三等書記官、同二等書記官、ロンドン総領事、上海総領事、ホノルル総領事、駐ペルー公使を歴任した[1][3]

退官後は後藤風雲堂株式会社取締役会長、後藤風雲堂製作所株式会社社長を務めた[4]

親族[編集]

  • 石井菊次郎 - 前妻の父[1]。外務大臣。
  • 後藤節蔵 - 後妻の父[3]。後藤風雲堂創業者。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 人事興信録 第5版 1918.
  2. ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、1014頁。
  3. ^ a b c d 人事興信録 第7版 1925.
  4. ^ 大衆人事録 1937.

参考文献[編集]

  • 人事興信所編 『人事興信録 第5版』 人事興信所、1918年
  • 人事興信所編 『人事興信録 第7版』 人事興信所、1925年
  • 帝国秘密探偵社編 『大衆人事録 第12版』 帝国秘密探偵社、1937年