村井倉松
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| 村井倉松 むらい くらまつ | |
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| 生年月日 | 1888年1月10日 |
| 出生地 |
(後の百石町、現在のおいらせ町) |
| 没年月日 | 1953年10月23日(65歳没) |
| 出身校 |
東京高等商業学校 (現在の一橋大学) |
| 前職 | 在シャム特命全権公使 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 1951年4月25日 - 1953年10月23日 |
村井 倉松(むらい くらまつ、1888年〈明治21年〉1月10日[1] - 1953年〈昭和28年〉10月23日[1])は、日本の政治家。青森県八戸市の8代目市長。
来歴・人物
[編集]青森県上北郡百石村(百石町→おいらせ町の前身)に生まれる[2]。青森県立第二中学校(現青森県立八戸高等学校)、京北中学校を経て、1911年(明治44年)に東京高等商業学校(一橋大学の前身)卒業[3]、東亜同文書院教授[4]
1913年(大正2年)に東亜同文書院教授を退任[4]。1914年(大正3年)高等文官試験外交科(外交官及領事館試験)に合格し[5]、同年在長春領事官補[6]、高等官七等となる[7]。
ホノルル在勤を経て[8]、1918年(大正7年)在ニューヨーク領事官補[9]。1919年(大正8年)在中国外交官補[10]。同年在中国公使館三等書記官[11]。1920年(大正9年)外務省アジア局第一課兼第二課外務事務官[12][13]、高等官五等[14]。1921年(大正10年)から外務省アジア局第二課外務事務官[15]。1922年(大正11年)高等官四等[16]。1924年(大正13年)大使館二等書記官[17]。
1925年(大正14年)在英国大使館一等書記官[18]。1926年(大正15年)外務省通商局第一課長兼商工省商務局商工書記官、関税調査委員会幹事、高等官三等[19][20][21]。1927年(大正16年)外務省通商局第一課長兼第ニ課長[8]。1928年(昭和3年)から在カルカッタ総領事[22]。
1930年(昭和5年)からの上海総領事時代には、第一次上海事変に対応し呉鉄城上海市長と協議を行った[3][23]。上海天長節爆弾事件で、重傷を負う[3]。1932年(昭和7年)から高等官ニ等、在シドニー総領事として[24]、ヘンリー・ガレット通商大臣との間で、日豪通商協定を成立させた[25]。
1937年(昭和12年)から高等官一等、シャム特命全権公使(駐タイ特命全権公使)を務め[26]、日本国暹羅(シャム)国間友好通商航海条約に調印[3][27]。1941年(昭和15年)に退官後[28]、北京居留民団長を経て、1951年(昭和26年)に八戸市長に就任したが、任期途中で死去した[3]。墓所はおいらせ町法運寺[3]。
政策
[編集]病気のため市長在職はわずか2年であった。総合対策審議会を設置し、戦後間もない八戸市の本格的な長期ビジョン、グランドデザインに着手しその理念が後世に生かされたと評価されている。
親族
[編集]栄典
[編集]- 1920年(大正9年)8月 - 従六位[29]
- 1921年(大正10年)8月 - 勲六等瑞宝章[30]
- 1923年(大正12年)1月 - 正六位[31]
- 1923年(大正12年)11月 - 中華民国三等嘉禾章[32]
- 1925年(大正14年)11月 - 勲五等瑞宝章[33]
- 1926年(大正15年)3月 - 従五位[34]
- 1931年(昭和6年)2月 - 正五位[35]
- 1936年(昭和11年)2月 - 従四位[36]
- 1937年(昭和12年)4月 - 満洲国勲三位景雲章[37]
- 1940年(昭和15年)3月 - タイ王冠勲章大十字章[38]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[39]
脚注
[編集]- 1 2 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、23頁。
- 1 2 「村井倉松」『青森県南部書画人名典』伊吉書院、1985.6
- 1 2 3 4 5 6 7 8 村井 倉松 更新日:2020年01月16日 村井 倉松(むらい くらまつ) 明治21年(1888年)~昭和28年(1953年)八戸市
- 1 2 創立四拾週年東亜同文書院紀念誌
- ↑ 官報 1914年10月12日
- ↑ 官報 1914年11月10日
- ↑ 官報 1914年11月09日
- 1 2 「村井倉松」『日本外交史辞典』大蔵省印刷局、1979.3
- ↑ 官報 1918年02月19日
- ↑ 官報 1919年03月26日
- ↑ 官報 1919年07月03日
- ↑ 官報 1920年11月05日
- ↑ 官報 1920年11月06日
- ↑ 官報 1920年07月02日
- ↑ 官報 1921年01月24日
- ↑ 官報 1922年12月28日
- ↑ 官報 1924年09月20日
- ↑ 官報 1925年12月28日
- ↑ 官報 1926年12月04日
- ↑ 官報 1926年11月17日
- ↑ 官報 1926年11月16日
- ↑ 官報 1928年02月23日
- ↑ 上海事変 世界大百科事典
- ↑ 官報 1932年08月11日
- ↑ 「日豪通商協定」『日本外交史辞典』大蔵省印刷局、1979.3
- ↑
- ↑ 第二部 「タイ」国
- ↑ 官報 1941年01月06日
- ↑ 官報 1920年08月02日
- ↑ 官報 1921年08月13日
- ↑ 公使館一等書記官二瓶兵二外二十三名叙位ノ件
- ↑ 官報 1923年11月02日
- ↑ 官報 1925年11月30日
- ↑ 官報 1926年03月17日
- ↑ 官報 1931年02月12日
- ↑ 官報 1936年02月22日
- ↑ 総領事村井倉松外八名外国勲章記章受領及佩用ノ件
- ↑ 官報 1940年03月23日
- ↑ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 『八戸市議会史 記述編 下』(八戸市、1979年)
- 『青森県人名事典』(東奥日報社、2002年)