愛子内親王

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敬宮愛子内親王
Aiko, Princess Toshi.jpg
2022年3月撮影
続柄 今上天皇第1皇女子[1]

全名 愛子(あいこ)
称号 敬宮(としのみや)
身位 内親王
敬称 殿下
お印 ゴヨウツツジ
出生 (2001-12-01) 2001年12月1日(20歳)
日本の旗 日本東京都千代田区千代田
皇居宮内庁病院
父親 徳仁今上天皇
母親 皇后雅子
栄典 宝冠大綬章
JPN Hokan-sho 1Class BAR.svg
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称号: 内親王
Japan Kouzoku Flag 16ben.svg
敬称 殿下
Her Imperial Highness the Princess
皇室
Imperial Seal of Japan.svg

天皇 徳仁
皇后 雅子






敬宮愛子内親王(としのみや あいこないしんのう、2001年平成13年〉12月1日 - )は、日本皇族御称号敬宮(としのみや)、お印ゴヨウツツジ(五葉つつじ)。身位内親王敬称殿下[2]

徳仁(第126代天皇)の第1皇女子雅子皇后)。明仁上皇)と美智子上皇后)の皇孫にあたる。

明治天皇の皇来孫、大正天皇の皇玄孫、昭和天皇の皇曾孫、平成の天皇の皇孫、令和の天皇の第一皇女にあたる。

2000年代に誕生した初の皇族であり、2021年令和3年)12月1日現在、17名の皇室構成員のうち最年少の女性皇族で、内廷皇族である。

住居は、東京都千代田区皇居御所

来歴[編集]

父の天皇徳仁(左)と母の皇后雅子(右)
お印に選ばれた、ゴヨウツツジ
2013年(平成25年)11月、祖父・天皇明仁(当時)や皇族らと。
2019年(令和元年)8月19日那須御用邸にて両親と愛犬の由莉(ゆり)とともに夏の静養

(各事象等における身位の表記は、当時に沿う。)

2001年平成13年)12月1日14時43分、皇太子徳仁親王と皇太子妃雅子(両者とも当時)の間に第1子・第1皇女子として、東京都千代田区宮内庁病院で出生。誕生時の身長は49.6センチメートル、体重は3,102グラム[3]

皇室においては、清子内親王(黒田清子)以降9人連続の女子(内親王4名・女王5名)の誕生となった(詳細は「皇室#現行皇室典範下で誕生した皇室の子女」参照)。

同日、祖父である第125代天皇明仁から守り刀(人間国宝である大隅俊平作)とが贈られる「賜剣の儀」が行われた[4][5]。刀身は約25センチで、全長約40センチ。

また、内閣総理大臣小泉純一郎(当時:第1次小泉内閣)が「内親王殿下の御誕生を迎えて」の内閣総理大臣謹話を発表した[6]

同年12月7日、「浴湯の儀」・「命名の儀」・「賢所皇霊殿神殿に誕生命名奉告の儀」が行われ、天皇から「愛子(読み:あいこ)」と命名され、「敬宮(読み:としのみや)」の御称号を受けた。名と御称号の由来は

人をする者は人恒に之を愛し、人をふ者は人恒に之を敬ふ。

—『孟子』離婁下

に拠る。皇太子・同妃(当時)、そして学者[7]が相談して内定し、祖父の天皇(当時)も両親である皇太子・同妃(当時)の意向を尊重して命名した[8][9]

浴湯の儀に伴って行われる「読書鳴弦」の儀式では、元・学習院大学児玉幸多により、『日本書紀』から8人10代存在した女性天皇のうち最初の女帝にあたる推古天皇に関する部分が読まれている[10]。お印のゴヨウツツジ那須御用邸でも5月に咲く花で、両親の「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いを込めた[11]

平成の皇太子夫妻の待望の第一子誕生に対して、国民の祝賀の記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人、合計77万人に達した。12月2日夕、皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、奉祝国会議員連盟会長の麻生太郎をはじめ政治家や竹下景子西田ひかるなどの芸能人、毛利衛長嶋茂雄などの著名人が祝辞を述べ、2万5千人が集まり万歳して祝意を表した[12][13]

幼時には、両親(皇太子・同妃)から「愛ちゃん」と呼ばれた[14]

2005年(平成17年)春から週2回、東京都渋谷区こどもの城に通い、音楽遊びなどを通じて集団生活に親しんだ[15]

2006年(平成18年)4月11日学習院幼稚園に入園。同年8月、皇太子・同妃(当時)である両親のオランダ旅行・滞在に同行して、初めて海外訪問した[16]

同年11月11日に、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を行った。このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生のときに贈られたものである。この頃には自転車の練習なども始めている[17]

2008年(平成20年)3月に学習院幼稚園を卒園し、同年4月に学習院初等科に入学。2009年(平成21年)の初等科2年生時には、漢字の書き取りや習字を行う姿が報道された。

2010年(平成22年)2月下旬から風邪を疾患するなど体調不良が原因となり学校を欠席しがちだった[18]が、同年3月5日になって野村一成(当時の東宮大夫)が、「3月上旬に発生した初等科での児童同士のトラブルから体調不良となり、学校を欠席した」と発表した後、同日にまた学校法人学習院側も記者会見を開き同様の発表がなされ、大きな波紋を呼んだ(詳細は「愛子内親王不登校騒動」)[19][20][21][22]

2011年(平成23年)秋より、初等科への通学は平常な状態に戻った[23][24]

2012年(平成24年)には学習院初等科5年生となり、「管弦楽部(パートチェロ)、バスケットボール部などの部活動での練習にも励み、学習院女子大学で開催された英会話セミナーにも通い出した」と報道された[25]

2014年(平成26年)3月に学習院初等科を卒業し、同年4月に学習院女子中等科に入学[26][27]。同年7月15日に自身の曽祖父母にあたる昭和天皇香淳皇后武蔵野陵を初めて参拝し[28]、また、7月30日に伊勢神宮を初めて参拝した[29]。同年8月3日、全国高等学校総合体育大会を両親との一家で訪れ、女子サッカーと男子バレーボールの試合を観戦した[30]

同年12月1日、13歳の誕生日を迎え、皇居内の御所に居住する祖父母の天皇明仁と皇后美智子(当時、現:上皇と上皇后)を初めて一人で挨拶のため訪問した。春からはテニスソフトボールを始めている。授業の科目数も増え、学業にスポーツにと忙しい日々を過ごす[31]

2015年(平成27年)戦後70年の節目の夏には、初めて第二次世界大戦の企画展示(「昭和館」東京都千代田区)に足を運び見学したほか、戦争体験者からも直接話を聞いた[32][33][34]

2016年(平成28年)8月、学習院女子中等科第3学年在学中の夏休みに両親の皇太子徳仁親王同妃雅子(当時)の地方公務に初めて同行し長野県上高地を訪れた[35][36]。同年9月26日から胃腸が弱りふらつきなどの症状のため学校を欠席したが[37]、休養に努め11月に学校に復帰した。

2017年(平成29年)3月、学習院女子中等科を卒業[38]、発表された卒業文集の作文「世界の平和を願って」[39]では、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」などと、修学旅行で広島を訪れ原爆の悲劇を見て感じた平和を築いてゆく願いを綴り、多くの国民の感動を呼んだ。同年4月、学習院女子高等科に入学[40]

2018年(平成30年)7月22日 - 8月9日まで、イギリスに短期留学した。(学習院女子高等科の海外研修プログラム) 首都ロンドン郊外のイートン校英語教育、更にポーツマスオックスフォードで英国の文化を体験した[41]

2019年令和元年)5月1日天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行(前日の2019年(平成31年)4月30日に祖父の天皇明仁が退位し上皇となり、祖母の皇后美智子上皇后となる)により父の皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位、母の皇太子妃雅子も皇后となる。

2020年(令和2年)3月に学習院女子高等科を卒業。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、両親である天皇徳仁と皇后雅子は卒業式への出席を控えた。

同年4月より父の母校でもある学習院大学文学部日本語日本文学科に入学(父の天皇徳仁は、同学部史学科出身である)[42]

2021年(令和3年)3月26日に、第204回国会で成立した令和3年度予算に同年12月1日に成人する愛子内親王のティアラ代が、宮内庁の予算としては盛り込まれなかった。ティアラは成年の女性皇族が宮中晩餐会など公式の場で付ける髪飾りだが、宮内庁では「新型コロナの状況に鑑み、盛り込まなかった」とした。11月16日、コロナ禍の状況を鑑みてティアラを新調しないことが宮内庁より発表され、叔母の黒田清子のティアラを借用して成年行事に臨むこととなった[43]

なお、女性皇族の成人に際してのティアラの制作は近年の実例で、2011年(平成23年)10月23日に皇嗣秋篠宮文仁親王第一女子の眞子内親王が成人した時は、指名競争入札で和光が落札した。2014年(平成26年)12月29日に同第二女子の佳子内親王が成人した時は、初めて企画コンペティションによる公募入札が行われ、大手宝飾品製作のミキモトが落札した。予算はイヤリングなどと合わせそれぞれ約3000万円で、宮内庁が管理する公金から支出された。そのためティアラは国有財産で、結婚により皇室を離脱する際には返還される。父徳仁の即位に伴い、母雅子は祖母の上皇后美智子から、義叔母の文仁親王妃紀子は皇后雅子から、それぞれ由緒あるティアラを引き継いだとされる。

同年12月1日成年(20歳)。これにより、女性皇族10名全員が成人し未成年の皇族は悠仁親王のみとなった。4日後の12月5日、父の天皇徳仁より宝冠大綬章を授与された(ただし、受章日は誕生日となる12月1日付である)[44][45]

2022年3月17日、成年の記者会見を行った[46]

内親王を巡って[編集]

2000年代を迎え、待望久しかった皇太子夫妻の第1子であったことから、誕生と同時に注目を集めた。出産翌日には皇居前広場で祝賀の「国民の集い」が行われ、約2万5000人もの市民が集った。皇居に記帳所が設置され、また赤坂では提灯行列が行われた。出産翌日に対面した父・皇太子は「非常に元気そうですね」という感想を述べた[47]

しかし、その後マスメディアに露出することを控えたため、「発達の遅れがあるのではないか」等といった噂・憶測が、2004年(平成16年)頃に海外メディアを中心に流れ[48]、一部の国内週刊誌にもとりあげられた[49][50]。この状況を受け、同年6月の定例会見にて林田英樹東宮大夫は、ただちに「事実無根で不本意」と否定[51]宮内庁は同年9月にスナップ写真や父の皇太子徳仁親王が東宮御所内で撮影したビデオ映像を公開し、事態の収束につとめた。ビデオ映像の中には父親の皇太子を「パパ」と呼びながら絵本を読む姿などが映されていた。

学習院幼稚園に入園してからは、運動会の大玉転がし、オール学習院の集いでの合唱の様子などがテレビ報道で公開されている。その後は、こうしたメディアの定期的な取材を受けることにより、愛子内親王が心身とも健康であることが浸透した。2013年(平成25年)においては、「学習院初等科での成績は学年でのトップクラス」と伝えられている[52]

清子内親王から愛子内親王に至るまで9人連続で女性皇族(内親王4名・女王5名)が誕生しており、1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王以降男子は誕生しなかった。皇統に属する男系男子にのみ皇位継承権を認める現行の皇室典範見直しの機運が高まり、皇太子徳仁親王に第一子として女子が誕生したこともまたこれを後押しした。

そのため、2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて、当時の内閣総理大臣小泉純一郎の私的諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」において愛子内親王の即位を念頭においた女性天皇女系天皇の可能性が検討された(詳細は「皇位継承問題」も参照)[53]。有識者会議は2005年11月24日に象徴天皇制の安定的な維持のため、皇位継承資格を女性や天皇・皇族の女系子孫に拡大することなどを求める最終報告書をまとめ、小泉総理に提出。皇室典範の改正の動きが出始めた。

しかし、2006年(平成18年)2月に秋篠宮妃の第3子懐妊が判明。9月6日に皇室で41年ぶりの男子である悠仁親王を出産したこと、総理大臣に安倍晋三が就いたことなどから改正の動きは止まった。ただ、愛子内親王が天皇の子であるにもかかわらず、女性であるという理由だけで父親の地位を継げず叔父や男子の従弟に皇位が継承されるという男女不公平さや(女性差別男女同権論)、女性皇族の結婚に伴う皇籍離脱による皇族の減少等で皇室制度が機能不全を起こすことが回避不可能なことなどから、現行の皇位継承・宮家制度に対する議論や批判は続いている。

逸話[編集]

スポーツ試合観戦[編集]

運動・スポーツ[編集]

  • 運動神経:体を動かすことが好き[46]。競走が速く、学習院初等科運動会では度々リレーの選手に選ばれていた。2013年(平成25年)の6年生の時には校内の遠泳行事に参加し3kmを泳ぎきった。運動会では組体操に参加した[57]
  • バスケットボール2012年(平成24年)の初等科5年生時に運動のクラブ活動として、バスケットボール部に入部。初めは野球部を考えたが、女子の団体競技としてバスケットボールを選択した[58]
  • スキー:幼少より親しんでいる。2013年(平成25年)1月、冬休みに学習院初等科の同級生グループと長野県奥志賀高原スキー場スキー合宿に出掛けレッスンを受けた[59]。3月下旬にも同県に一家でスキーに訪れ、練習の成果もあり上級者向けコースに挑戦した。同年4月5日、宮内庁は敬宮愛子内親王の春休みのスキー映像と写真を公開した[60][61]
  • テニスソフトボール2014年(平成26年)、中学生になってからはテニスソフトボールに関心を持ち赤坂御用地のコートや庭で、両親や宮内庁職員とプレーを楽しむことがある。
  • ジョギング:父・徳仁と一緒に敷地内をジョギングしている[46]
  • バドミントンバレーボール:新型コロナウイルス感染症の流行後、感染症対策を徹底しつつ、マスクを着用した上で、宮内庁職員と一緒に楽しむことがある[46]

日本文化と音楽[編集]

  • 書道 - 幼少よりたしなんでおり、宮内庁職員文化祭に力強い作品を出展している。
  • 百人一首 - 2015年(平成27年)2月に学習院女子中等科で行われた百人一首大会では、40枚ほどの札を取って圧勝するなど、日本の伝統文化にも親しんでいる[62]
  • チェロ - 学習院初等科の4年生の時にクラブ活動として管弦楽部に入部。チェロを担当し熱心に練習している。
  • 和歌 - 2022年、初めて歌会始の儀に歌を寄せ、『英国の学び舎に立つ時迎へ 開かれそむる世界への窓』と、 高校2年の夏に参加したサマースクールで、イギリスの地に立ったときに今世界への窓が開かれようとしている、という心の高まりを詠んだ。

自然[編集]

  • 天体観測を好み、2018年(平成30年)1月には両親の皇太子夫妻(当時)と皆既月食を観察した。

ペット[編集]

自身が誕生した頃から自宅の東宮御所(当時 → 赤坂御所)で飼われているを可愛がっている[63][64]。誕生日会見などでも一緒に写ることがある[65][66]。迷い動物病院で保護された犬や猫を譲り受けている。

「ピッピ」と「マリ」
愛子内親王の誕生前より両親の皇太子夫妻(当時)が飼育していた犬。赤坂御用地に迷い込んだ雌犬が産んだ10匹の子犬のうちの2匹。2009年(平成21年)に2匹共、老衰他界した。
「由莉」(ゆり)
2009年(平成21年)4月から飼育している柴犬のMIX。まりに似た名前を付けた。写真撮影で一緒に写る時にしているバンダナは愛子内親王の手作り。静養先でも行動を共にすることがある。
「にんげん」と「みー」
2010年(平成22年)、学習院初等科3年次に赤坂御用地に紛れ込んだ母猫の『にんげん』は、2016年(平成28年)5月に病気で逝去するまで飼っていたメス猫である(キジトラ白MIX)。「にんげん」は紛れ込んだ後すぐに4匹の子猫を産み、その内1匹を引き取って、「みー」と名付けて飼育している。
「セヴン」
2016年(平成28年)より飼育している猫。7月生まれ。キジトラ白MIXクラシックタビー。

内親王にちなむ花[編集]

プリンセスアイコ

誕生後、以下の3種類のバラが愛子内親王にちなんで名づけられた[67]

また、河野メリクロンのシンビジウム「シンビジウム愛子さま」も同様に名付けられた花である[68]

呼称[編集]

父・徳仁は、自身の一人娘を誕生後の会見から一貫して「愛子(あいこ)」と呼んでいる[69]2003年(平成15年)時点では、皇太子(当時)は「愛子」、記者は「敬宮さま(としのみやさま)」としている。祖父母の明仁美智子(当時:天皇・皇后)は「敬宮(としのみや)」としていた[70]が、2006年(平成18年)以降は同様に「愛子」と呼んでいる[71]

マスメディアの皇室報道においても、当初は御称号から「敬宮さま」の呼称が用いられていた[要出典]が、のちに「愛子さま」へ転じ[要出典]、「愛子さま」という呼称が国民の間にも広く定着している。

愛子内親王の学習院での学校生活においては、「敬宮 愛子(としのみや あいこ)」の名が用いられているという。

宮内庁ウェブサイトでの呼称は、「敬宮殿下(としのみやでんか)」ないし「愛子内親王殿下(あいこないしんのうでんか)」となっている[72]

系譜[編集]

愛子内親王の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. 123代天皇
大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
8. 124代天皇
昭和天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. 九条節子
 
 
 
 
 
 
 
4. 125代天皇
明仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. 久邇宮邦彦王
 
 
 
 
 
 
 
9. 久邇宮良子女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. 島津俔子
 
 
 
 
 
 
 
2. 126代天皇
徳仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. 正田貞一郎
 
 
 
 
 
 
 
10. 正田英三郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. 正田きぬ
 
 
 
 
 
 
 
5. 上皇后美智子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. 副島綱雄
 
 
 
 
 
 
 
11 正田富美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. 副島アヤ
 
 
 
 
 
 
 
1. 敬宮愛子内親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. 小和田金吉
 
 
 
 
 
 
 
12. 小和田毅夫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6. 小和田恆
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. 田村又四郎
 
 
 
 
 
 
 
13. 小和田静
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3. 皇后雅子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. 江頭安太郎
 
 
 
 
 
 
 
14. 江頭豊
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. 江頭米子
 
 
 
 
 
 
 
7. 小和田優美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. 山屋他人
 
 
 
 
 
 
 
15. 江頭寿々子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. 山屋貞子
 
 
 
 
 
 
敬宮愛子内親王 父:
徳仁
祖父:
上皇明仁
曾祖父:
昭和天皇
曾祖母:
香淳皇后
祖母:
上皇后美智子
曾祖父:
正田英三郎
曾祖母:
正田富美子
母:
雅子
祖父:
小和田恆
曾祖父:
小和田毅夫
曾祖母:
小和田静
祖母:
小和田優美子
曾祖父:
江頭豊
曾祖母:
江頭寿々子
 
 
 
 
 
 
 
 
歴代天皇
 
歴代皇后
 
親王
 
内親王女王
 
臣籍降下
 
 
 
 
大正天皇(明治天皇の子)
 
貞明皇后(大正天皇の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇(大正天皇の子)
 
香淳皇后(昭和天皇の妻)
 
秩父宮雍仁親王(大正天皇の子)
 
雍仁親王妃
勢津子
(秩父宮雍仁親王の妻)
 
高松宮宣仁親王(大正天皇の子)
 
宣仁親王妃
喜久子
(高松宮宣仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮崇仁親王(大正天皇の子)
 
崇仁親王妃
百合子
(三笠宮崇仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東久邇成子
(照宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
久宮祐子内親王(昭和天皇の子)
 
鷹司和子
(孝宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
池田厚子
(順宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
上皇
明仁
(昭和天皇の子)
 
上皇后
美智子
(上皇明仁の妻)
 
常陸宮正仁親王(昭和天皇の子)
 
正仁親王妃
華子
(常陸宮正仁親王の妻)
 
島津貴子
(清宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
近衞甯子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
寬仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
寬仁親王妃
信子
(寬仁親王の妻)
 
桂宮
宜仁親王
(三笠宮崇仁親王の子)
 
千容子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
高円宮憲仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
憲仁親王妃
久子
(高円宮憲仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇
徳仁
(明仁の子)
 
皇后
雅子
 
皇嗣秋篠宮文仁親王(明仁の子)
 
皇嗣妃文仁親王妃紀子(秋篠宮文仁親王の妻)
 
黒田清子
(紀宮)
(明仁の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王(寬仁親王の子)
 
瑶子女王(寬仁親王の子)
 
 
 
 
 
承子女王(高円宮憲仁親王の子)
 
千家典子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
守谷絢子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮愛子内親王(徳仁の子)
 
 
 
小室眞子(秋篠宮文仁親王の子)
 
佳子内親王(秋篠宮文仁親王の子)
 
悠仁親王(秋篠宮文仁親王の子)

栄典[編集]

日本[編集]

脚注[編集]

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注釈・出典[編集]

  1. ^ 宮内庁 天皇皇后両陛下
  2. ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
  3. ^ “皇太子ご夫妻に愛子さまご誕生|NHK放送史(動画・記事)”. NHKアーカイブス. (2001年12月1日). https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030308_00000 2020年5月5日閲覧。 
  4. ^ “天皇陛下から赤ちゃんに守り刀と袴 賜剣の儀式”. asahi.com (朝日新聞社). (2001年12月1日). http://www.asahi.com/national/birth/K2001120101387.html 2013年4月15日閲覧。 
  5. ^ (椎谷 2002, pp. 140–143)
  6. ^ “内閣総理大臣謹話 [内親王殿下の御誕生を迎えて 平成13年12月1日”]. 首相官邸. (2001年12月1日). http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11236451/www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/1201denka.html 2019年7月15日閲覧。 
  7. ^ 秋山虔鎌田正米山寅太郎の三名
  8. ^ “お名前は「敬宮愛子さま」・命名の儀”. NIKKEI NET (日本経済新聞社). (2001年12月7日). オリジナルの2009年6月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090603003225/http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt30/20011207DCCI017707030001.html 2013年4月15日閲覧。 
  9. ^ (椎谷 2002, pp. 143–166)
  10. ^ (椎谷 2002, pp. 143–166)
  11. ^ (椎谷 2002, pp. 166–168)
  12. ^ 皇太子殿下お誕生日に際し(平成14年)”. 宮内庁 (2002年2月20日). 2013年4月15日閲覧。
  13. ^ (椎谷 2002, pp. 248–264)
  14. ^ 愛子内親王殿下御誕生につき(平成14年)”. 宮内庁 (2002年4月2日). 2013年4月15日閲覧。
  15. ^ “愛子さま4歳”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2005年12月1日). オリジナルの2005年12月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20051206055904/http://www.yomiuri.co.jp/features/impr/birth/ 2013年4月15日閲覧。 
  16. ^ 2006年8月20日 Epoch Times in Japan 写真報道:皇太子ご一家オランダで、雅子さま初の海外静養
  17. ^ 2006年(平成18年)11月11日 中京テレビ 愛子さま、「着袴の儀」
  18. ^ 2010年3月6日 東京新聞「愛子さま登校できず「乱暴な子」見て不安訴え」。記事では、“2月22日から26日の間、25日以外を欠席した”としている。なお、2月27-28日は土日
  19. ^ “愛子さま学校お休みに 同級生の「乱暴なふるまい」で”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2010年3月5日). オリジナルの2010年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101204163714/http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100305/imp1003051541001-n1.htm 2013年4月15日閲覧。 
  20. ^ 愛子さま、登校できず 一部の児童が乱暴で - 日テレ、2010年(平成22年)3月5日、2020年9月22日閲覧
  21. ^ 両陛下「十分に配慮を」愛子さま通学問題 - 日テレ、2010年(平成22年)3月11日、2020年令和2年)9月22日閲覧
  22. ^ 愛子さま 9歳に 学校で過ごす時間増える - 日テレ、2010年(平成22年)12月1日、2020年(令和2年)9月22日閲覧。
  23. ^ 【皇室ウイークリー】(206)ブータン国王「明治神宮で陛下の長寿をお祈りした」 20歳眞子さまも宮中晩餐会へ 産経新聞社
  24. ^ 2011年12月1日 日テレNEWS24 愛子さま、10歳に 1人での通学増える
  25. ^ 英語教室では「トッシー」校外学習で愛子さま完全復活”. 朝日新聞出版 (2012年6月29日). 2012年7月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年4月15日閲覧。
  26. ^ 愛子さま:入学式 「中学生活、楽しみ」毎日新聞社
  27. ^ 2014年(平成26年)4月6日 日テレNEWS24 愛子さま 学習院女子中等科に入学
  28. ^ “愛子さま 昭和天皇の御陵などを初参拝”. 日テレNEWS24 (読売新聞社). (2014年7月15日). http://www.news24.jp/articles/2014/07/15/07255214.html 2014年9月29日閲覧。 
  29. ^ 皇太子ご一家が伊勢神宮ご参拝 愛子さまは初めて 産経新聞社
  30. ^ 2014年(平成26年)8月3日 日テレNEWS24 愛子さま、高校総体の男子バレーを観戦
  31. ^ 2014年(平成26年)12月1日 日テレNEWS24 愛子さま13歳に 初めて一人で皇居訪問
  32. ^ 産経ニュース 愛子さま、14歳のお誕生日
  33. ^ 2015年7月26日 日テレNEWS24 愛子さま、「戦後70年」の特別展へ
  34. ^ 2015年(平成27年)8月23日 日テレNEWS24 皇太子ご夫妻と愛子さま 戦時中の生活展へ
  35. ^ 2016年(平成28年)8月10日 日テレNEWS24 皇太子ご一家、長野で「山の日」記念式典へ
  36. ^ 2016年(平成28年)8月11日 日テレNEWS24 皇太子ご一家「山の日」記念式典に出席
  37. ^ 2016年(平成28年)10月7日 日テレNEWS24 愛子さま 体調不良のため2週間学校を欠席
  38. ^ 2017年(平成29年)3月22日 日テレNEWS24 愛子さま 学習院女子中等科をご卒業
  39. ^ 2017年(平成29年)3月22日 日テレNEWS24 愛子さま 中学校の卒業文集に作文を
  40. ^ 2017年(平成29年)4月8日 日テレNEWS24 愛子さま高校にご入学 スキー日焼けで笑顔
  41. ^ 2018年(平成30年)7月22日 時事通信 愛子さま、英留学に出発
  42. ^ 2020年(令和2年)2月21日 共同通信 愛子さま、学習院大に進学へ 陛下と同じ文学部
  43. ^ 来月20歳の愛子さまに勲章授与へ コロナ思い、ティアラ新調せず:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル. 2021年11月16日閲覧。
  44. ^ 『官報』第630号9頁 令和3年12月6日号
  45. ^ 愛子さま、背筋を伸ばして「宝冠大綬章」受ける…天皇陛下は優しいまなざし(読売新聞オンライン)” (日本語). Yahoo!ニュース (2021年12月5日). 2021年12月5日閲覧。
  46. ^ a b c d 愛子さま成年の記者会見全文”. 日本経済新聞. 2022年3月17日閲覧。
  47. ^ 『おめでとう皇太子さま雅子さま愛子さま』朝日新聞社、2001年(平成13年)発行
  48. ^ 2004年(平成16年)6月9日 Times online Japanese Crown Prince demands palace reform
  49. ^ 『週刊現代』2004年(平成16年)6月26日号「宮内庁が激怒、抗議へ『タイムズ』が報じた愛子内親王に関する心配事」
  50. ^ 『Themis』2004年(平成16年)8月号「雅子妃問題拡大の元凶・宮内庁の『怠慢』」
  51. ^ 2004年(平成16年)6月18日 共同通信「病名報道は「勝手な憶測」 雅子さまめぐり東宮大夫」
  52. ^ 偏差値72、天皇家で一番の頭脳(2013年(平成25年)10月28日)、週刊現代オンライン、2015年(平成27年)7月4日閲覧。
  53. ^ 2005年(平成17年)11月24日 内閣官邸HP 皇室典範に関する有識者会議報告書
  54. ^ 皇太子殿下お誕生日に際し(平成18年)”. 宮内庁 (2006年2月21日). 2013年4月15日閲覧。
  55. ^ 皇太子殿下お誕生日に際し(平成22年)”. 宮内庁 (2010年2月19日). 2013年4月15日閲覧。
  56. ^ a b “【皇室ウイークリー】(89)愛子さま、WBC組に熱視線 はじめての野球ご観戦、あの選手に拍手も…”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2009年7月18日). オリジナルの2009年7月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090720131831/http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/090718/imp0907180801002-n1.htm 2013年4月15日閲覧。 
  57. ^ ANNnews愛子さま小学校最後の運動会
  58. ^ 週刊女性自身2012年(平成24年)2月28日号
  59. ^ 2013年(平成25年)、皇太子殿下お誕生日に際し
  60. ^ 2014年(平成26年)4月6日 日テレNEWS24 愛子さまの春休みのスキー映像を公開
  61. ^ 2014年(平成26年)4月7日 時事ドットコム 愛子さまのスキー映像公開=長野・奥志賀高原でレッスン
  62. ^ 産経ウィークリー 愛子さま、学習院女子中等科の百人一首大会で約40枚を取るご活躍
  63. ^ 2008年(平成20年)5月2日日本テレビにこにこアルバム
  64. ^ 主婦と生活社「雅子さまと愛子さま」2008年(平成20年)発行
  65. ^ 2010年(平成22年) 宮内庁 「皇太子妃殿下お誕生日に際してのご近影」
  66. ^ 2011年(平成23年) 宮内庁 「愛子内親王殿下お誕生日に際してのご近影」
  67. ^ 愛子さまに捧げられたバラたち(2013年(平成25年)12月2日)、神戸市立須磨離宮公園ブログ、2016年(平成28年)3月15日閲覧。
  68. ^ この段落の出典。松崎敏彌(監修) 著、天才工房 編 『愛子さま「モノ」語り リトルプリンセスのお気に入り』(初版第1刷版)東邦出版、2004年2月、114-115頁。ISBN 4-8094-0353-X 
  69. ^ 2003年(平成15年)、皇太子誕生日記者会見
  70. ^ 2002年(平成14年)、天皇誕生日記者会見
  71. ^ 2006年(平成18年)、天皇陛下誕生日記者会見
  72. ^ 宮内庁ウェブサイト

参考文献[編集]

  • 椎谷, 哲夫 『敬宮愛子さまご誕生 宮中見聞記』(初版第二刷版)明成社、2002年。ISBN 4-944219-10-5 

関連項目[編集]

  • 愛子駅(あやしえき) - 愛子内親王誕生時に漢字表記が同じということで話題になった。
  • 愛子大仏(あやしだいぶつ) - 同駅近辺の佛国寺に、愛子内親王誕生後に建立された。

外部リンク[編集]