小田滋

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小田 滋(おだ しげる、1924年(大正13年)10月22日 - )は、日本の法学者東北大学名誉教授文化功労者日本学士院会員弁護士。専門は国際法海法1976年2月6日から2003年2月5日 まで3期27年間にわたり国際司法裁判所判事を務めた。Doctor of the Science of Law(J.S.D.)(イェール・ロースクール(Yale Law School)、1953年)。法学博士(東北大学、1962年)(学位論文「海洋資源の国際的規制」)。

北海道札幌市生まれ[1]。10歳から台湾台北市で育つ[1]。父は医学者台北帝国大学教授を務めた小田俊郎、母方の祖父は台湾の医学教育に尽くした堀内次雄[2]電波天文学者の小田稔は兄[1]

人物[編集]

海洋法を特に専門とした。今となっては常識となった「shared resources」理論は当時は革新的なものであった。

初めて国際司法裁判所(ICJ)に登場したのは、1968年の「北海大陸棚事件」における西ドイツの弁護人としてである。その独自の海洋法理論は判決に多大な影響を与えたと分析される[誰によって?]。第三次国連海洋法会議には日本代表団のメンバーとして活動する。

ICJ判事には、東北大学教授時代に登用された。学者出身の裁判官である。27年という任用期間は、常設国際司法裁判所以来からも史上最長記録である。ICJの裁判所所長への機会もあったが、本人は一裁判官としてずっと任務を続けるという意思で、これを断ったという。判決に付随する個別意見、反対意見を多数書いた。本人は、これは他の裁判官を説得出来なかった自分の未熟さゆえんであると回顧している(毎日新聞談・2003年1月20日付朝刊)。

人柄は誠実でかつ信念に満ち、ユーモアにも富んでいた。若手研究者にも大変やさしく接していた[要出典]

略歴[編集]

その他の役職[編集]

  • 1969年(昭和44年) - 万国国際法学会準会員
  • 1975年(昭和50年) - アメリカ国際法学会名誉会員
  • 1979年(昭和54年) - 万国国際法学会正会員
  • 財団法人東北大学研究教育振興財団副会長

著書[編集]

単著[編集]

  • International Control of Sea Resources, (A. W. Sythoff、1963).
  • 『海の国際法――国際漁業と大陸棚』(有斐閣、1969年)
  • 『海の資源と国際法(1-2)』(有斐閣、1971年-1972年)
  • 『海洋法研究』(有斐閣、1975年)
  • 『海洋法』(有斐閣、1979年)
  • 『海洋法二十五年』(有斐閣、1981年)
  • 『注解国連海洋法条約(上)』(有斐閣、1985年)ISBN 978-4641045644
  • 『国際司法裁判所』(日本評論社、初版1987年、増補版2011)ISBN 978-4535518216
  • 『海洋法の源流を探る』(有信堂高文社、1989年)ISBN 978-4842040189
  • 『国際法と共に歩んだ六〇年―学者として裁判官として』(東信堂、2009年)ISBN 978-4887139190
  • 『小田滋・回想の海洋法』(東信堂、2012年)ISBN 978-4798901084

共編著[編集]

  • 石本泰雄寺沢一)『現代国際法』(有斐閣、1971年/新版、1986年)
  • 祖川武夫)『わが国裁判所の国際法判例』(有斐閣、1978年)
  • (石本泰雄)『解説条約集』(三省堂、1983年)
  • (祖川武夫)『日本の裁判所による国際法判例』(三省堂、1991年)

訳書[編集]

  • B・ミルキヌ=ゲツェヴィチ『国際憲法――憲法の国際化』(岩波書店、1952年)
  • B・ミルキヌ=ゲツエヴィチ『憲法の国際化――国際憲法の比較法的考察』(有信堂、1964年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 小田滋『主権独立国家の「台湾」―「台湾」の国際法上の地位―(私の体験的・自伝的台湾論)』日本學士院紀要 62(1) 43-68
  2. ^ a b 小田滋『堀内・小田家三代百年の台湾 - 台湾の医事・衛生を軸として - 』2002年、日本図書刊行会

関連項目[編集]

外部リンク[編集]