北村直人

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日本の旗 日本の政治家
北村直人
きたむら なおと
生年月日 (1947-07-07) 1947年7月7日(70歳)
出生地 日本の旗北海道鶴居村
出身校 酪農学園大学獣医学部獣医学科
現職 日本獣医師政治連盟委員長、日本獣医師会顧問
所属政党 自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
自由民主党
称号 獣医学士
親族 北村義和(父)

日本の旗 衆議院議員
選挙区 旧北海道5区→)
北海道13区→)
北海道7区
当選回数 6回
在任期間 1986年7月8日 - 2005年8月8日
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北村 直人(きたむら なおと、1947年7月7日 - )は、日本政治家獣医師日本獣医師会顧問、日本獣医師政治連盟委員長、農場管理獣医師協会会長、日本獣医生命科学大学客員教授、酪農学園大学特別講師。

農林水産副大臣第1次小泉第1次改造内閣)、内閣官房副長官羽田内閣)、北海道開発政務次官宮澤改造内閣)、衆議院農林水産委員長衆議院議員(6期)等を歴任。

衆議院議員北村義和は父。

概要[編集]

北海道鶴居村生まれ。釧路第一高等学校1978年廃校)、酪農学園大学獣医学部獣医学科卒業。獣医師免許を取得している。

1980年から父・北村義和[1]及び小沢辰男[2](いずれも衆議院議員)の秘書を務める。1986年、父・北村義和の急逝に伴い、第38回衆議院議員総選挙旧北海道第5区から自由民主党公認で出馬し、初当選(当選同期に鳩山由紀夫斉藤斗志二三原朝彦村井仁逢沢一郎金子一義武村正義園田博之杉浦正健中山成彬谷津義男新井将敬石破茂笹川堯武部勤井出正一村上誠一郎ら)。当選後、田中派に入会。その後竹下派結成に参加し、1992年東京佐川急便事件を受けての竹下派分裂に際しては、改革フォーラム21羽田孜会長)の結成に加わる。同年12月、宮澤改造内閣北海道開発政務次官に任命された。

1993年6月、北海道開発政務次官を辞任。宮澤内閣に対し提出された内閣不信任決議案に与党議員ながら賛成票を投じる。北村をはじめ、改革フォーラム21に所属する国会議員の多くは自民党を離党し、新生党を結党した。1994年羽田内閣内閣官房副長官に任命されたが、羽田内閣は発足後間もなく少数与党に転落し、6月に総辞職した。同年12月、新進党結党に参加。1996年第41回衆議院議員総選挙では、北海道第13区(区割り変更により2002年に廃止)で自民党の鈴木宗男を破り、4選。1997年5月、加藤紘一自由民主党幹事長の誘いを受ける形で新進党を離党し、自民党に復党する。復党後は古巣の平成研究会ではなく、加藤が所属していた宮澤派に入会。同年、衆議院農林水産委員長に就任。しかし、2000年加藤の乱により加藤が会長を退いた後は、反加藤を掲げる堀内光雄を軸に結成された堀内派に参加。

2002年第1次小泉第1次改造内閣農林水産副大臣に任命される。2005年郵政国会では、7月5日の衆議院本会議で郵政民営化法案の投票を棄権(派閥領袖である堀内光雄は反対票を投じた)。その後、党本部に弁明書を提出し、最終的に自民党の公認を得たが、第44回衆議院議員総選挙では北海道第7区民主党仲野博子に敗北し、政界引退を表明した。北海道第7区の地盤は釧路市長の伊東良孝が継承し、2009年第45回衆議院議員総選挙では伊東が仲野を破り、初当選した。

北村の秘書経験者には笠井龍司(北海道議会議員)、三木均(釧路市議会議員)、小畑保則(元・北海道議会議員)らがいる。

関連項目[編集]

脚注[編集]