青木正久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

青木 正久(あおき まさひさ、1923年1月22日 - 2001年8月6日)は、日本政治家自由民主党衆議院議員埼玉県出身。父は自治庁長官を務めた自民党衆議院議員の青木正

経歴[編集]

東京大学法学部卒業後の1947年東京新聞に入社。ロンドン支局長、ニューヨーク支局長、政治部長、編集局長などを歴任した後退社し、1967年の衆院選に父・正の地盤を継ぎ旧埼玉4区から出馬し初当選。当選通算7回。自民党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属す。1988年12月、竹下改造内閣環境庁長官として初入閣。翌年6月まで務めた。それ以降は地球環境問題をライフワークとするようになり、1992年環境と開発に関する国際連合会議に参加。また同年発足した地球環境行動会議(初代会長は竹下登元首相)の事務総局長を務めたが、1993年の衆院選で落選した。

落選後[編集]

小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の衆院選時、青木は当初埼玉13区の自民党支部長となり、自民党の公認も得て立候補の準備を進めていたが、選挙直前に土屋義彦埼玉県知事(当時)の次女土屋品子が埼玉13区から無所属で出馬することを表明。土屋父子に配慮した新進党民主党は候補者擁立を見送った。青木はなおも出馬の意向であったが、土屋父子の地元春日部市での品子の大量得票が予想され、自民党は青木の当選は困難と判断。青木は小選挙区出馬を断念し、比例代表北関東ブロックからの立候補を検討したが、当選可能な名簿順位を得られない見通しとなり、選挙不出馬となった。その後も国政復帰の意思を示し、後援会も維持。1999年統一地方選挙埼玉県議会議員選挙に自身の秘書を20年以上にわたって務めた鈴木聖二が東1区(行田市)から立候補。青木と青木後援会はその応援に回った。鈴木は初当選を果たし、青木は後援会を鈴木に託して政界を引退した。国会を離れてからも地球環境問題に関する著作を発表するなど、精力的に地球環境問題に取り組んだ。2001年8月6日死去。78歳没。

著作[編集]


議会
先代:
阿部文男
三ツ林弥太郎
日本の旗 衆議院文教委員長
1986年
1981年 - 1982年
次代:
愛知和男
葉梨信行
公職
先代:
堀内俊夫
日本の旗 環境庁長官
第20代:1988年 - 1989年
次代:
山崎竜男