石田芳弘

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石田芳弘
いしだ よしひろ
生年月日 (1945-10-13) 1945年10月13日(72歳)
出生地 愛知県犬山市
出身校 同志社大学商学部
前職 酒類販売店(実家)従業員
江崎真澄衆議院議員秘書
愛知県議会議員
犬山市
衆議院議員
現職 至学館大学附属伊達コミ二ケーション研究所所長[1]
所属政党 民主党(衆議院選挙時)
公式サイト 石田よしひろオフィシャルウィブサイト

選挙区 愛知6区
当選回数 1回
在任期間 2009年8月30日 - 2011年1月11日

Flag of Inuyama, Aichi.png 第5代 犬山市長
当選回数 3回
在任期間 1995年4月27日 - 2006年11月20日

選挙区 犬山市
当選回数 3回
在任期間 1983年 - 1995年
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石田 芳弘(いしだ よしひろ、1945年10月13日 - )は、日本政治家

衆議院議員(1期)、愛知県犬山市長(3期)、愛知県議会議員(3期)を歴任。至学館大学の附属施設である伊達コミ二ケーション研究所の所長。

来歴[編集]

愛知県犬山市生まれ。東海高等学校同志社大学商学部卒業。大学卒業後、実家の酒類販売店の従業員や江崎真澄衆議院議員の秘書を経て、1983年愛知県議会議員に初当選。愛知県議を3期12年間務める。

1995年4月27日に行われた犬山市長選挙に出馬し、当選。犬山市長在任中は、文化力を生かしたまちづくり(犬山城及び城下町の再生)や教育改革(市立小学校全校に30人学級の導入)等に取り組んだ。また市長在任中、全国学力テストについて「序列化や過度な競争を起こす危険性がある。国が個人情報を収集することにも問題がある」として反対の姿勢を示し、犬山市の公立小中学校は全国学力テストに参加しなかった。

2006年10月31日、犬山市に辞表を提出し、11月20日に市長を3期目の任期途中で失職した[2]

2007年2月4日に行われた愛知県知事選挙民主社民国民新3党の推薦を受けて出馬したが、現職の神田真秋知事に僅差で敗れた(神田:1,424,761票、石田:1,355,713票)。落選直後、一旦は政界引退の意向を表明したが、同年6月に撤回し、次回の愛知県知事選挙に再出馬する意向を明らかにした。同年9月、学校法人神野学園理事長に就任。

2008年10月、マルチ業者擁護問題で第45回衆議院議員総選挙への不出馬を表明した民主党の前田雄吉議員に代わり、愛知県第6区で民主党の公認を受け、衆院選への立候補を表明[3]

2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙愛知県第6区から民主党公認で出馬し、自由民主党公認の丹羽秀樹を破り当選した。

2011年1月11日、河村たかし名古屋市長の辞職に伴う名古屋市長選挙への出馬を表明し、衆議院議員を任期途中で辞職[4]

2011年2月6日に行われた名古屋市長選挙に出馬。河村の古巣である民主党が市民税の10%減税を強力に推進する河村市長に反旗を翻した上に、石田は自由民主党名古屋市議団の推薦も受けたが[5]、河村に約45万票の大差をつけられ落選した[6]

2012年4月15日に行われた岐阜県下呂市長選挙に無所属で出馬したが、現職の野村誠(自民・たちあがれ日本2党推薦)に敗れた(野村:13,336票、石田:11,303票)。なおこの下呂市長選に際し、現職の国土交通大臣である前田武志が、選挙戦前に下呂市の建設業協会に対して石田の支援を要請する文書を送付していた事実が発覚し、前田に対し公職選挙法違反の疑惑がもたれた[7]

2013年には、至学館大学の附属施設である伊達コミ二ケーション研究所の所長に就任した[8][9]

人物[編集]

  • 座右の銘は「本来無一物」。
  • 趣味は、ジョギング、水泳ほかスポーツ全般。学生時代は体育教師を目指していた。

著書[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
松山邦夫
Flag of Inuyama, Aichi.png 犬山市長
第5代:1995 - 2006
次代:
田中志典