犬山城

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犬山城
愛知県
天守(国宝)
天守(国宝)
別名 白帝城
城郭構造 平山城
天守構造 複合式望楼型 3層4階地下2階(1620年改)
築城主 織田広近
築城年 1469年(文明元年)
主な改修者 織田信康
主な城主 石川氏、平岩氏、成瀬氏、織田氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 現存天守、石垣、土塁
指定文化財 国宝(天守)
再建造物 櫓、門(模擬)
位置 北緯35度23分17.96秒
東経136度56分21.34秒
座標: 北緯35度23分17.96秒 東経136度56分21.34秒
桜と犬山城
犬山城と山車
天守(南面)
天守(東面、犬山橋から)
成田山名古屋別院大聖寺から犬山城を望む
天守閣を仰ぐ

犬山城(いぬやまじょう)は、愛知県犬山市にあった日本の城である。現在は天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城松本城彦根城松江城)。

概要[編集]

木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名、白帝城木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。

前身となる砦を織田信長叔父織田信康が改修して築いたものを石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。この際の建築用材は金山城の建物の一切を解体移築したという「金山越」の伝承がある。江戸時代には尾張藩付家老が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年元和3年)ごろである。2004年まで、城主であった成瀬氏が個人所有する文化財であったが、個人所有では維持に非常に困難が伴うことから、成瀬一族の中から城主に選ばれた成瀬淳子(13代当主成瀬正浩の妹)は財団法人『犬山城白帝文庫』を設立して理事長に就任し、犬山城は個人所有でなくなった[1]

歴史・沿革[編集]

戦国・安土桃山時代[編集]

江戸時代[編集]

近現代[編集]

犬山城の国宝指定書(2008年1月)

明治廃藩置県廃城となり、天守を除いて城門などほとんどが取り壊された。1891年(明治24年)の濃尾地震で天守の東南角の付櫓が壊れたため、1895年(明治28年)に城の修復を条件に旧犬山藩成瀬正肥無償譲渡された。

1935年昭和10年)、旧・国宝保存法に基づき当時の国宝に指定(旧国宝、現法制下では重要文化財に相当)される。1952年(昭和27年)、文化財保護法に基づきあらためて国宝に指定される。1959年伊勢湾台風で被害を受けたため、1961年から1965年まで解体修理を行った。

2004年平成16年)3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されている(2013年からは公益財団法人)。2006年平成18年)4月6日、日本100名城(43番)に選定された。

2014年の部分修理

歴代城主[編集]

時代 城主
天文6年 - 天文16年 織田信康
天文16年 - 永禄7年 織田信清
元亀元年 - 天正9年 池田恒興
天正9年 - 天正10年 織田勝長
天正10年 - 天正12年 中川定成
天正12年 池田恒興
天正12年 加藤泰景
天正12年 - 天正15年 武田清利
天正15年 - 天正18年 土方雄良(城代)
天正18年 - 文禄元年 長尾吉房(城代)
文禄元年 - 文禄4年 三輪五郎右衛門
文禄4年 - 慶長5年 石川光吉
慶長6年 - 慶長12年 小笠原吉次
慶長12年 - 慶長17年 平岩親吉
元和3年 - 寛永2年 成瀬正成
寛永2年 - 万治2年 成瀬正虎
万治2年 - 元禄16年 成瀬正親
元禄16年 - 享保17年 成瀬正幸
享保17年 - 明和5年 成瀬正泰
明和5年 - 文化6年 成瀬正典
文化6年 - 天保9年 成瀬正寿
天保9年 - 安政4年 成瀬正住
安政4年 - 明治2年 成瀬正肥
明治28年 - 明治36年 成瀬正肥
明治36年 - 昭和24年 成瀬正雄
昭和24年 - 昭和48年 成瀬正勝
昭和48年 - 平成16年 成瀬正俊

天守[編集]

東側からの犬山城

犬山城の天守は外観3重、内部は4階、地下に踊場を含む2階が付く。天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋2重2階の建物の上に3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守である。窓は突上窓火灯窓、両開き窓なと、 地階1・2階出入口を含めて、総延面積は698.775平方メートルに達する。天守台石垣は野面積という積み方で、高さは5メートルある。天守の高さは19メートルある。

  • 1階:納戸の間、東西9間・南北8間 床面積は282.752平方メートル。
  • 2階:武具の間、東西9間・南北8間 床面積は246.006平方メートル。
  • 3階:破風の間、東西3間・南北4間 床面積は81.936平方メートル。
  • 4階:高欄の間、東西3間・南北4間 床面積は49.835平方メートル。

昭和36年から同40年に行われた犬山城天守の解体修理と古文献などによって、この天守は下の2重2階の主屋が1537年(天文6年)[2] または、1601年(慶長6年)に建てられ、1620年(元和6年)頃に3、4階を増築。その後唐破風の付加などが行われて現在の姿になったと考えられている[3]。 成瀬家7代の当主正壽がオランダ商館長と親しかったことから、天守の最上階に絨毯を敷いたと伝えられ、昭和の修理で再現された。

遺構・文化財[編集]

天守以外の遺構[編集]

徳林寺山門(大口町

廃藩置県の際に払い下げられた建造物として、矢来門が専修院東門に、黒門が徳林寺、松ノ丸門が浄蓮寺、内田門と伝わる城門が瑞泉寺にそれぞれ移築され現存する。また、どこの門かは不明であるが、旧城門と伝わる門が運善寺他に移築現存する。

犬山城白帝文庫所蔵の文化財[編集]

  • 短刀 銘左安吉作/正平十二年二月日(国の重要文化財) 正平12年は1357年。[4]
  • 長篠・小牧長久手合戦図屏風

その他、古文書、絵図、刀剣類など。

現地情報[編集]

  • 所在地 - 〒484-0082 愛知県犬山市大字犬山字北古券65-2
  • 交通アクセス - 名鉄犬山駅または犬山遊園駅より徒歩15分

料金

  • 大人:550円
  • 小人:110円

脚注[編集]

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  1. ^ 「日本美術観光団」朝日新聞社、2004年
  2. ^ 土屋純一 城戸久「尾張犬山城天守建築考」社団法人日本建築学会『建築学会大会論文集』昭和12年(1937年)3月
  3. ^ 西和夫「犬山城天守の創建年代について」社団法人日本建築学会『日本建築学会論文報告集』第261号 昭和51年(1976年)11月
  4. ^ 財団の公式サイトには本作を「脇差」とするが、ここでは重要文化財指定名称に基づき「短刀」とする。「短刀」と「脇差」の違いについては諸説あるが、一般的には刃長一尺以下のものを短刀、一尺以上のものを脇差と称する。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]