元亀

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元亀(げんき)は、日本元号の一つ。永禄の後、天正の前。1570年から1573年までの期間を指す。この時代の天皇正親町天皇室町幕府将軍は足利義昭

改元[編集]

義昭は自らが将軍に就任した際、元号を「元亀」と改元するべく朝廷に奏請した(『言継卿記』永禄12年4月8日条ほか)。しかし織田信長はそれが将軍権威の復活につながること、正親町天皇の在位が続いているのに必要ないと反対した。しかし義昭は朝廷を説得するために下行費用の名目で5000疋もの朝廷への献金を実施(『康雄記』同4月6日条)し、信長が朝倉氏討伐に出陣した4月23日、改元を実行している。

信長は信長包囲網の中で悪戦苦闘を続けていた。『信長公記 巻六』によると、元亀3年(1572年)9月に足利義昭に提出した17か条の意見書で、「元亀の年号、不吉に侯間、改元然るべしの由、天下の沙汰につきて、申し上げ侯」と改元するよう申し出ている。義昭追放後に改元を実行させたことからも、信長にとって元亀の年号は不愉快なものだったと推察される。

出典[編集]

毛詩』の「憬彼淮夷、来献其、元亀象歯犬賂南金」と『文選』の「元亀水処、潜竜蟠於沮沢、応鳴鼓而興雨」から。勧進者は式部大輔高辻長雅

元亀期におきた出来事[編集]

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 通説では元亀2年に武田氏による大規模な三河・遠江侵攻が行われたとされているが、近年は根拠となる文書群の再検討により、これは天正3年の出来事であることが指摘されている。詳細は西上作戦の脚注を参照。
  2. ^ 没年月日は「成慶院過去帳」「引導院過去帳」に拠る

西暦との対照表[編集]

※は小の月を示す。

元亀元年(庚午 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月※ 十二月
ユリウス暦 1570/2/5 3/7 4/6 5/5 6/4 7/3 8/2 8/31 9/30 10/29 11/28 12/27
元亀二年(己未 一月※ 二月 三月※ 四月 五月 六月※ 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月※
ユリウス暦 1571/1/26 2/24 3/26 4/24 5/24 6/23 7/22 8/21 9/19 10/19 11/17 12/17
元亀三年(庚申 一月 閏一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月
ユリウス暦 1572/1/15 2/14 3/14 4/13 5/12 6/11 7/10 8/9 9/8 10/7 11/6 12/5 1573/1/4
元亀四年(癸酉 一月※ 二月※ 三月 四月※ 五月※ 六月 七月 八月※ 九月 十月 十一月※ 十二月
ユリウス暦 1573/2/3 3/4 4/2 5/2 5/31 6/29 7/29 8/28 9/26 10/26 11/25 12/24

関連項目[編集]