鬼ノ城

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鬼ノ城
岡山県
角楼(左)西門(右)
角楼(左)西門(右)
城郭構造 古代山城
築城主 伝・大和朝廷が有力
築城年 7世紀後半か
廃城年 不明
遺構 城門、角楼、 石塁、土塁、水門、敷石
指定文化財 国の史跡
再建造物 城門、角楼
位置 北緯34度43分35.53秒
東経133度45分46.49秒
座標: 北緯34度43分35.53秒 東経133度45分46.49秒
西門(復元)

鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん)に築かれた古代山城である。1986年(昭和61年)3月25日、国指定の史跡「鬼城山」に包含された遺跡である。

概要[編集]

鬼ノ城は吉備高原の南端に位置し、標高397メートルの鬼城山の山頂部に築かれている。すり鉢形の山の8~9合目の外周を、石塁土塁による城壁が、鉢巻状に2.8キロメートルに渡って巡る。城壁によって囲まれた城内の面積は約30ヘクタールである。城壁は土塁が主体で、城門4ヵ所、角楼1ヵ所、水門6ヵ所などで構成される。そして、城壁を保護するための敷石の発見は、国内初のことであった。城内には食料貯蔵庫や管理棟などと推定される礎石建物が7棟、烽火場の可能性が指摘される焚き火跡、水汲み場、鍛冶場、土取り跡などが確認されている。「歴史と自然の野外博物館」の基本理念に基づき、西門と角楼や土塁が復元されている。その他、城門・水門・礎石建物跡・展望所・見学路などの整備とともに、鬼城山ビジターセンターと駐車場を整え、史跡公園として一般公開されている。

歴史・沿革[編集]

日本書紀によると、663年天智天皇2年)の白村江の戦いに敗れた倭国は、新羅の侵攻に備えて大野城を始めとして西日本の要所12箇所に古代山城を築いたと記されており、鬼ノ城もその一つであろうと推測されている。しかし古代山城とする確証や具体的な築城時期、運用の記録などは現在に至るまで発見されていない謎の山城である。史書に記載が無く、12の古代山城に該当するか不明な城跡は神籠石式山城と呼ばれ、鬼ノ城もここに区分されている。

発掘調査[編集]

山中に石垣などの遺構が存在することは古くから知られていたが、1971年昭和46年)に城壁の基礎となる列石が見つかり、古代山城と認識された。1986年(昭和61年)3月25日に国の史跡に指定された。指定名称は「鬼城山(きのじょうざん)」。現在は総社市教育委員会が2001年平成13年)より史跡整備を行っている。特に西門遺構は建造物・土塁・石垣の復元を進めている。2006年(平成18年)からは、岡山県教育委員会による7か年計画の城内確認調査も開始された。

なお、城内には湿地を中心として希少植物も多く分布するため、1999年(平成11年)には発掘調査と自然保護との調整が問題となったことがある。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(69番)に選定された。

伝承[編集]

当地には温羅と呼ばれる鬼が住んでいたという伝承が残っている。それによると温羅は当地を拠点とし、討伐に赴いた吉備津彦命と戦って敗北したのち、吉備津神社の御釜殿の下に埋められたという(詳細は「温羅」を参照)。

現地情報[編集]

所在地
  • 岡山県総社市奥坂
交通アクセス
  • JR吉備線服部駅から約5km。JR伯備線総社駅からタクシーで約20分。駐車場あり。
  • 駐車場の横の来訪者の休憩等を目的とした「鬼城山ビジターセンター」内に、鬼ノ城のガイダンス展示がされている(月曜日は休館。入山自体は常時可)。
注意事項
  • 鬼城山ビジターセンターや近隣の集落には自販機等が設置されておらず、現地では飲料の確保が困難である(最寄の自販機は砂川公園)。夏季には特に注意されたい。

参考文献[編集]

  • 『古代山城 鬼ノ城』 現地配布パンフレット
  • 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 121 - 122ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]