鞠智城

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鞠智城
熊本県
歴史公園 鞠智城
歴史公園 鞠智城
城郭構造 古代山城(朝鮮式山城)
築城主 (推定)大和朝廷
築城年 不明
廃城年 不明
遺構 土塁・城門・建物跡・貯水池
指定文化財 国の史跡「鞠智城跡」
再建造物 鼓楼・米倉・兵舎・板倉
位置 北緯33度0分4.64秒
東経130度47分19.76秒
鞠智城の位置(九州内)
鞠智城
鞠智城
鞠智城
鞠智城
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鞠智城
鞠智城
鞠智城
鞠智城
鞠智城
鞠智城
鞠智城
鞠智城
鞠智城
鞠智城含む九州の古代山城の分布
緑色は文献に見える山城(狭義の朝鮮式山城)、青色は見えない山城(神籠石式山城)。

鞠智城(きくちじょう[1]/くくちのき[注 1])は、熊本県山鹿市菊池市にまたがる台地状の丘陵に築かれた[2]日本古代山城(朝鮮式山城)である。城跡は、2004年(平成16年)2月27日、国の史跡(指定名称は「鞠智城跡」)に指定されている[1]

概要[編集]

続日本紀』に、「大宰府をして大野(おおの)、基肄(きい)、鞠智(くくち)の三城を繕治(ぜんち)せしむ」と、記載された城跡である[注 1]

鞠智城は、『続日本紀』に記載された文武天皇2年(698年)の城の修復記事が初見であり、築城年は不明である。しかし、発掘調査では7世紀後半~10世紀中頃まで約300年、存続したことが判明している。そのため、白村江の戦いで、新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷日本)の防衛のために築いた水城大野城基肄城と、ほぼ同時期に築かれたと考えられている[3]。また、八角形建物跡や銅造菩薩立像の出土などは、百済からの亡命者が関与したことが窺える[4]

鞠智城は、標高約90~171メートルの米原台地に所在する。城壁の周長は自然地形の崖を含めて約3.5キロメートル、城の面積は約55ヘクタールである[3]。直線距離で大宰府の南、約62キロメートルの位置にあり、古代山城では最も南にある城である[5]

城跡の発掘調査では、国内の古代山城で唯一の八角形建物跡二棟・総計72棟の建物跡・三か所の城門跡・土塁水門貯水池などの遺構が確認されている。また、貯水池跡では、付札木簡と百済系の銅造菩薩立像が出土している[3]

鞠智城の築城当初は、大宰府と連動した軍事施設で、大野城・基肄城などとともに北部九州の防衛拠点である[3]兵站基地や[6]有明海からの侵攻に対する構え[7]などが考えられている。修復期以降は、軍事施設に加えて、食料の備蓄施設の拠点[3]、南九州支配の拠点[8]などの役割・機能などが考えられている。

歴史[編集]

調査研究[編集]

  • 考古学的調査は坂本経堯が、1937年(昭和12年)踏査研究、「鞠智城址に擬せられる米原遺跡に就いて」を発表したことを嚆矢とし、米原地区の遺構が鞠智城に比定された[8]
  • 発掘調査は、1967年(昭和42年)に第1次調査が行われ、2010年(平成22年)までに32次の調査が実施された。第8次から32次の発掘調査の成果は、 『鞠智城跡 Ⅱー鞠智城跡第8~32次調査報告ー』 熊本県教育委員会 編集/発行 2012年、で報告されている[3]
  • 対馬~北部九州~瀬戸内海~大和に至る要衝に所在する古代山城は、その配置・構造から一体的・計画的に築かれたもので、七世紀後半の日本が取り組んだ一大国家事業である[6]
  • 1898年(明治31年)、高良山列石遺構が学会に紹介され、「神籠石」の名称が定着した。そして、その後の発掘調査で城郭遺構とされた。一方、文献に記載のある鞠智城などは、「朝鮮式山城」の名称で分類された。この二分類による論議が長く続いてきた。しかし、近年では、学史的な用語として扱われ、全ての山城を共通の事項で検討することが定着してきた。また、日本古代山城の築造目的は、対外的な防備の軍事機能のみで語られてきたが、地方統治の拠点的な役割も認識されるようになってきた[9]

その他[編集]

  • 鞠智城跡は「歴史公園鞠智城・温故創生館」として整備され、八角形鼓楼・米倉・兵舎・板倉などが復元され、一般公開されている。
  • 2011年(平成23年)、第2回 古代山城サミットが鞠智城(山鹿市・菊池市)で開催された。また、鞠智城イメージキャラクター「ころう君」ほか、「人々に愛される鞠智城」を目指して、種々の施策が展開されている[3]
  • 熊本県は、「百年の礎を築く」との大テーマを設定し、「くまもとの歴史・文化の磨き上げ、継承」を掲げる。鞠智城では調査研究・保存・活用に取り組み、2015年までに「鞠智城シンポジウム」を、東京・大阪・福岡・熊本で計8回開催する等、調査成果を活かした種々の活動を展開する[3]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b 『続日本紀』の文武天皇 二年 五月の条に、「令 大宰府 繕治 大野、基肄、鞠智 三城」と、記載する。

出典[編集]

  1. ^ a b 鞠智城跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ 国土地理院基準点等閲覧サービスー国土地理院
  3. ^ a b c d e f g h 西住欣一郎 「鞠智城跡の調査研究の現状」『月刊 文化財』631号、第一法規、2016年、41・42頁。
  4. ^ 吉村武彦 「律令制国家の成立と鞠智城」『律令制国家の確立と鞠智城』、熊本県教育委員会、2015年、25頁。
  5. ^ 矢野裕介 「最新調査成果報告」『ここまでわかった鞠智城』、熊本県教育委員会、2012年、12頁。
  6. ^ a b 狩野 久 「西日本の古代山城が語るもの」『岩波講座 日本歴史』第21巻 月報21、岩波書店、2015年、2・3頁。
  7. ^ 向井一雄 「韓国古代城郭からみた鞠智城」『古代山城の成立と鞠智城』、熊本県教育委員会、2013年、137頁。
  8. ^ a b 向井一雄 「鞠智城跡」『東アジア考古学辞典』、東京堂出版、2007年、126頁。
  9. ^ 赤司善彦 「古代山城研究の現状と課題」『月刊 文化財』631号、第一法規、2016年、10~13頁。

参考文献[編集]

  • 文化庁文化財部 監修 『月刊 文化財』631号(古代山城の世界)、第一法規、2016年。
  • 熊本県教育委員会 編集/発行 「鞠智城シンポジウム(東京会場・大阪会場)」『古代山城の成立と鞠智城』、2013年。
  • 熊本県教育委員会 編集/発行 「鞠智城シンポジウム(熊本会場・福岡会場)」『ここまでわかった鞠智城』、2012年。
  • 西谷 正 編 『東アジア考古学辞典』、東京堂出版、2007年。ISBN 978-4-490-10712-8
  • 小島憲之 他 項注・訳 『日本書紀③』、小学館、1998年。ISBN4-09-658004-X。
  • 小田富士雄 編 『北九州瀬戸内の古代山城』、名著出版、1983年。ISBN 3320-1091-8324。
  • 第4回 古代山城サミット髙松大会実行委員会 編 『第4回 古代山城サミット髙松大会 資料集』、高松市、2013年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]