湯築城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
logo
湯築城
愛媛県
復元武家屋敷と丘陵
復元武家屋敷と丘陵
別名 湯月城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 なし
築城主 河野氏
築城年 建武2年(1335年)頃
主な城主 河野氏、小早川氏福島氏
廃城年 天正15年(1587年
遺構 土塁水堀、郭
指定文化財 国の史跡
再建造物 武家屋敷
位置 北緯33度50分53.19秒 東経132度47分12.27秒 / 北緯33.8481083度 東経132.7867417度 / 33.8481083; 132.7867417座標: 北緯33度50分53.19秒 東経132度47分12.27秒 / 北緯33.8481083度 東経132.7867417度 / 33.8481083; 132.7867417
地図
湯築城の位置(愛媛県内)
湯築城
湯築城
湯築城の航空写真
(1974年撮影・国土航空写真)
内堀(外堀も現存)

湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後町にある跡。土塁が現存する。国の史跡に指定されている。

歴史・沿革[編集]

  • 天文4年(1535年)頃、通直(弾正少弼通直)によって外堀が造られたとされる。
  • 天正13年(1585年)、四国征伐をめざす羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻して金子城主の金子元宅を攻撃の末滅ぼし、湯築城の河野氏も約1ヶ月の篭城の後に降伏した。城に留まっていた通直は命は助けられたが、2年後に病没した。城は隆景に与えられたが、彼の所領は筑前に移された。
  • 慶長7年(1602年)、勝山城山)に松山城の築城が開始され、以降加藤氏(のち蒲生氏、松平(久松)氏)が伊予国松山藩主となる。建築にあたっては、湯築城の瓦等の建材が流用されたことが発掘調査により判明している。

現地情報[編集]

アクセス[編集]

利用情報[編集]

  • 湯築城資料館
    • 開館時:9:00〜17:00
    • 休館日:月曜(祝日の場合翌日)
    • 入場料:無料
  • 湯築城跡ボランティアガイド(TEL 089-941-1480)が配置されている。

参考文献[編集]

  • 川岡勉・島津豊幸 編『湯築城と伊予の中世』(創風社出版、2004年) ISBN 4860370392

関連項目[編集]

外部リンク[編集]