上田卓三 (政治家)

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上田 卓三
うえだ たくみ
生年月日 1938年6月24日
出生地 大阪府大阪市
没年月日 (2005-05-26) 2005年5月26日(66歳没)
出身校 大阪市立扇町第二商業高等学校
(現・大阪市立中央高等学校
所属政党日本共産党→)
日本のこえ→)
日本社会党

日本の旗 衆議院議員(2期目)
選挙区 大阪府第4区
当選回数 1回
在任期間 1990年2月19日 - 1993年6月18日

日本の旗 衆議院議員(1期目)
選挙区 大阪府第4区
当選回数 5回
在任期間 1976年12月11日 - 1988年11月4日
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上田 卓三(うえだ たくみ、1938年6月24日 - 2005年5月26日)は日本の政治家。元衆議院議員部落解放同盟委員長。

人物[編集]

大阪市東淀川区新大阪駅近くの被差別部落(日之出地区)に生まれる[1]。大阪市立扇町第二商業高等学校定時制(現大阪市立中央高等学校)卒業。1958年に解放同盟へ参加。前後して日本共産党に入党するも、1964年志賀義雄らが部分的核実験停止条約の批准をめぐり日本共産党(日本のこえ)を結成すると後を追う。その後解放同盟大阪府連書記長・委員長を歴任し、部下の解放同盟員らと日本社会党に集団入党する。解放同盟大阪府連委員長在任中、1969年4月19日には矢田事件で拉致監禁・暴力糾弾に参加したとして逮捕監禁罪・強要未遂罪で刑事告訴されるも、不起訴となる。1970年2月17日同和行政窓口一本化を求め、約70名の部落解放同盟員と共に日本共産党議員控室に乱入、暴行傷害事件を起こし、同年2月21日に共産党府議たちから告訴されるも、上田個人は起訴を免れ、解同大阪府連吹田光明町支部長Tのみが起訴される(Tは1979年罰金刑が確定)[2]1972年7月には山口県光市の路上で全解連山口県連の書記長村崎勝利ならびに光支部長村崎寧に対し、上杉佐一郎らと共に暴行傷害事件を起こし、光警察署に告訴されている。

1974年参院選大阪府選挙区から日本社会党公認で出馬するが、落選。2年後の衆院選大阪4区から出馬して初当選する。以後連続6期務め、この間飛鳥田一雄委員長の下で国際局長・田邊誠委員長の下で党副委員長を務めた。1979年に米国へ亡命した元ソ連国家保安委員会(KGB)少佐スタニスラフ・レフチェンコはその著書で上田を日本社会党内におけるソ連のスパイ協力者の一員であったと指摘。上田をウラヌスと呼んでいたことを公表した。

1988年リクルート事件が発覚した際にはリクルートコスモス未公開株の譲渡先の一人であったことが判明し、議員を辞職(1988年11月4日)したが、折からの社会党の土井ブームなどによる追い風もあって2年後の衆院選で国政復帰。前年の参院選では自らの秘書だった谷畑孝(現在は日本維新の会衆議院議員)を参議院議員に送り込んでいる。1993年衆院選で落選し、政界を引退。その後1996年 - 1998年に部落解放同盟委員長を務めたが、2005年5月26日、肝不全のため死去。享年66。晩年は、人権擁護法案制定に反対する声明を出したり、にんげん社から「新憲法制定のススメ」(自衛軍明記、大統領制、連邦制)を出すなど異色な行動をとった。

「人権、中小企業、国際交流の上田卓三」を売りにしていたこともあって、特に被差別部落における中小企業振興で力を振るった。「差別がなくなったら飯の食い上げだ」と発言したこともある[3]1968年に、部落解放同盟傘下の企業団体「部落解放大阪府企業連合会」を介した税金申告書を事実上フリーパスとする合意(七項目の確認事項)を当時の高木文雄大阪国税局局長と取り付けた。後に上田はこの合意により得た大義名分を基に、部落とは関係ない中小零細企業や個人事業者を対象とした商工団体「大阪府中小企業連合会」(略称・中企連)を立ち上げ、中企連は後に全国的な発展を遂げて現在のティグレとなる[4]。しかしこの合意が却って脱税に悪用されるなど今日では同和利権の一つとして批判の対象になっている[5]

なお、ティグレに関しては前述のように一種の利益団体がルーツであることから、原則的に顧問税理士を置かない方針を長らく取ってきたが、近年の税理士法違反に対する取り締まりの強化や税務環境などの変化に対応するため、2005年に初の提携税理士法人となるサポートワークス(2015年「税理士法人ティグレパートナーズ」に改称)を設立[6]、その後もさらなる税理士法人を新設をするなど、その立ち位置を変えつつある状況にある。またティグレは現在では部落解放同盟との関係を持っておらず、政治団体を背景とした別個の経営コンサルタント会社として活動しているが、奈良県など一部地域ではティグレに参入せず現在も部落解放同盟との繋がりを残した別組織が活動しており、そのような地域の組織は現在も「中企連」を名乗っている[7]

政策[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 上田卓三の歩み 1(1938年-1958年) | TIGRE Forum
  2. ^ 部落問題研究所編『「解同」は何をしてきたのか』(1994年部落問題研究所)巻末年表p.6 ISBN 4829810394
  3. ^ 中西義雄『部落解放への新しい流れ』p.123
  4. ^ ただし現在は「ティグレ」を通じて提出される申告についてはフリーパスという訳ではなく、一定の割合ではあるが、七項目の確認事項とは関係なく他の事業者と同様の税務調査が行われている。
  5. ^ 中企連時代には税務当局に圧力をかける姿勢を見せていた時代もあったが、現在では税務当局とは基本的に穏健路線を取っている。時代背景や同和利権のイメージの払拭が社名変更の理由のひとつであったが、対立姿勢の軟化により逆に課税額減の交渉にる対税務職員との贈収賄事件に発展するなど、税務職員との癒着の疑いといった新たな問題も浮上している。
  6. ^ 税理士法人ティグレパートナーズ
  7. ^ 奈良県部落解放同盟企業連合会 関係団体