名尾良孝

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名尾 良孝(なお りょうこう、1917年3月18日 - 1991年5月6日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。弁護士青森県出身。父は秋田県知事(官選)を務めた名尾良辰

来歴・人物[編集]

浦和中学を経て、中央大学法学部卒業後、弁護士として活動。1959年、埼玉県議会議員に当選。以後当選6回。在職中には埼玉県議会議長を務めた。その後1980年第12回参議院議員通常選挙自民党公認で埼玉県地方区1986年の参院選は埼玉県選挙区)から立候補し初当選。鈴木派→宮沢派に属した。法務政務次官、参議院内閣委員長、同商工委員長、自由民主党埼玉県支部連合会会長、埼玉菊花連盟顧問などを歴任した。1979年藍綬褒章受章。

参議院議員2期目途中となる1991年5月6日、投身自殺。74歳没。病気を苦にしていたという。死去に伴い従四位叙位、勲二等瑞宝章受章。

補欠選挙に際して、後継者として通商産業省勤務の長男・名尾良泰(後に経済産業省関東経済産業局長)が名乗りを上げたが、自民党埼玉県連の支持を得られず立候補を断念した。代わりに1988年の埼玉県知事選挙で落選した元消防庁長官の関根則之が同党公認で立候補し、当選した。

家族・親族[編集]

長男・名尾良泰の妻・富士子は大昭和製紙社長・齊藤喜久蔵の娘かつ同社の創業者・斉藤知一郎の孫娘で、同社名誉会長・齊藤了英の姪にあたる。そのため了英の弟である斉藤滋与史や了英の次男・斉藤斗志二ら斉藤一族をはじめ、滋与史の義兄弟である豊田章一郎豊田達郎及び義父の豊田喜一郎、喜一郎の従兄弟・豊田英二ら豊田一族とごく身近の親戚関係にある。

参考文献[編集]

  • 大森映『日本の財界と閨閥』1988年、学芸書房、P170~173、P259~261
  • 佐藤朝泰『門閥 旧華族階層の復権』1987年、立風書房、P425~437
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』2001年、立風書房、P150~160、P181~192

関連項目[編集]

議会
先代
倉田寛之
日本の旗 参議院商工委員長
1990年 - 1991年
次代
岩本政光
先代
岩本政光
日本の旗 参議院内閣委員長
1987年 - 1988年
次代
大城眞順