第1次若槻内閣
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| 第1次若槻内閣 | |
|---|---|
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| |
| 内閣総理大臣 | 第25代 若槻禮次郎 |
| 成立年月日 | 1926年(大正15年)1月30日 |
| 終了年月日 | 1927年(昭和2年)4月20日 |
| 与党・支持基盤 | 憲政会 |
| 内閣閣僚名簿(首相官邸) | |
第1次若槻内閣(だいいちじ わかつきないかく)は、内閣総理大臣臨時代理、内務大臣の若槻禮次郎が第25代内閣総理大臣に任命され、1926年(大正15年)1月30日から1927年(昭和2年)4月20日まで続いた日本の内閣である。
目次
閣僚の顔ぶれ・人事[編集]
国務大臣[編集]
1926年(大正15年)1月30日任命[注釈 1][1]。在職日数446日。
| 職名 | 代 | 氏名 | 出身等 | 特命事項等 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 内閣総理大臣 | 25 | 若槻禮次郎 | 貴族院 憲政会 |
内務大臣兼任 | 憲政会総裁 | |
| 外務大臣 | 29 | 幣原喜重郎 | 外務省 男爵 |
留任 | ||
| 内務大臣 | 36 | 若槻禮次郎 | 貴族院 憲政会 |
内閣総理大臣兼任 | 留任 1926年6月3日免兼[2] 憲政会総裁 | |
| 37 | 濱口雄幸 | 衆議院 憲政会 |
1926年6月3日任[2] | |||
| 大蔵大臣 | 25 | 濱口雄幸 | 衆議院 憲政会 |
留任 1926年6月3日免[注釈 2][2] | ||
| 26 | 早速整爾 | 衆議院 憲政会 |
1926年6月3日任[2] 1926年9月13日死亡欠缺[3] | |||
| 27 | 片岡直温 | 衆議院 憲政会 |
1926年9月14日任[4] | |||
| 陸軍大臣 | 17 | 宇垣一成 | 陸軍中将 (陸大14期) |
留任 | ||
| 海軍大臣 | 11 | 財部彪 | 海軍大将 (海兵15期) |
留任 | ||
| 司法大臣 | 30 | 江木翼 | 貴族院 憲政会 |
留任 | ||
| 文部大臣 | 34 | 岡田良平 | 貴族院 無所属 (無所属団) |
留任 | ||
| 農林大臣 | 3 | 早速整爾 | 衆議院 憲政会 |
留任 1926年6月3日免[注釈 3][2] | ||
| 4 | 町田忠治 | 衆議院 憲政会 |
初入閣 | |||
| 商工大臣 | 3 | 片岡直温 | 衆議院 憲政会 |
留任 1926年9月14日免[注釈 3][4] | ||
| 4 | 藤沢幾之輔 | 衆議院 憲政会 |
初入閣 1926年9月14日任[4] | |||
| 逓信大臣 | 30 | 安達謙藏 | 衆議院 憲政会 |
留任 | ||
| 鉄道大臣 | 5 | 仙石貢 | 衆議院 憲政会 |
留任 1926年6月3日免[2] | ||
| 6 | 井上匡四郎 | 貴族院 無所属 (研究会) 子爵 |
初入閣 1926年6月3日任[2] | |||
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内閣書記官長・法制局長官[編集]
1926年(大正15年)1月30日任命[注釈 1]。
| 職名 | 代 | 氏名 | 出身等 | 特命事項等 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 内閣書記官長 | 27 | 塚本清治 | 内務省 | 留任 | ||
| 法制局長官 | 24 | 山川端夫 | 外務省 | 留任 | ||
| ||||||
政務次官[編集]
1926年(大正15年)1月30日任命[注釈 1]。
| 職名 | 氏名 | 出身等 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 外務政務次官 | 矢吹省三 | 貴族院/無所属(公正会)/男爵 | 留任 |
| 内務政務次官 | 俵孫一 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 大蔵政務次官 | 武内作平 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 陸軍政務次官 | 水野直 | 貴族院/無所属(研究会)/子爵 | 留任 |
| 海軍政務次官 | 井上匡四郎 | 貴族院/無所属(研究会)/子爵 | 留任 1926年6月3日免[注釈 4] |
| (欠員) | 1926年6月5日まで | ||
| 降旗元太郎 | 衆議院/憲政会 | 1926年6月5日任[5] | |
| 司法政務次官 | 本田恒之 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 文部政務次官 | 鈴置倉次郎 | 衆議院/憲政会 | 留任 1926年5月6日死亡欠缺[6] |
| (欠員) | 1926年6月5日まで | ||
| 田中善立 | 衆議院/憲政会 | 1926年6月5日任[5] | |
| 農林政務次官 | 小山松寿 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 商工政務次官 | 柵瀬軍之佐 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 逓信政務次官 | 頼母木桂吉 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 鉄道政務次官 | (欠員) | 1926年6月5日まで | |
| 佐竹三吾 | 衆議院/憲政会 | 1926年6月5日任[5] | |
参与官[編集]
1926年(大正15年)1月30日任命[注釈 1]。
| 職名 | 氏名 | 出身等 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 外務参与官 | 永井柳太郎 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 内務参与官 | 鈴木富士彌 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 大蔵参与官 | 三木武吉 | 衆議院/憲政会 | 留任 1927年2月2日免[7] |
| (欠員) | 1927年2月5日まで | ||
| 中野正剛 | 衆議院/憲政会 | 留任 1927年2月5日任[8] | |
| 陸軍参与官 | 溝口直亮 | 貴族院/予備役陸軍少将(陸大20期)/伯爵 | 留任 |
| 海軍参与官 | 伊東二郎丸 | 貴族院/無所属(研究会)/子爵 | 留任 |
| 司法参与官 | 八並武治 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 文部参与官 | 山道襄一 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 農林参与官 | 高田耘平 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 商工参与官 | 野村嘉六 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 逓信参与官 | 川崎克 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
| 鉄道参与官 | 古屋慶隆 | 衆議院/憲政会 | 留任 |
勢力早見表[編集]
※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。
| 出身 | 国務大臣 | 政務次官 | 参与官 | その他 |
|---|---|---|---|---|
| 憲政会 | 8 | 7 | 11 | |
| 研究会 | 0 | 2 | 0 | |
| 公正会 | 0 | 1 | 0 | |
| 無所属団 | 1 | 0 | 0 | |
| 軍部 | 2 | 0 | 0 | |
| 官僚 | 1 | 0 | 0 | 内閣書記官長、法制局長官 |
| 欠員 | 0 | 1 | 0 | |
| 12 | 11 | 11 |
内閣の動き[編集]
憲政会単独内閣を組閣した加藤高明が1926年(大正15年)1月22日に、現職総理のまま病に倒れ急逝したことから、加藤高明政権の内務大臣だった若槻禮次郎に、摂政宮裕仁親王が組閣の大命を下し、組閣された。
第1次若槻禮次郎内閣のトピックスとして、
- 1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御し、摂政宮皇太子裕仁親王が践祚(昭和天皇)したことに伴い、大正から昭和に元号が改元されたこと。
- 第52回帝国議会に於ける、大蔵大臣:片岡直温の「渡辺銀行が破綻致しました」という失言をきっかけに金融不安が顕在化し昭和金融恐慌が起きたこと。
が挙げられる。
昭和金融恐慌によって経営危機となった台湾銀行を救済する緊急勅令案発布を枢密院に諮ったが、枢密院で19対11で否決され[9]、総辞職となった。これは枢密院によって内閣が倒れた唯一の例である。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
外部リンク[編集]
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