平沼内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
平沼内閣
Hiranuma cabinet photo op.jpg
発足時に撮影された平沼内閣閣僚ら
内閣総理大臣 第35代 平沼騏一郎
成立年月日 昭和14年(1939年1月5日
終了年月日 同年8月30日
与党・支持基盤 官僚・軍人が中心。
施行した選挙 なし
衆議院解散 なし
内閣閣僚名簿(首相官邸)
テンプレートを表示

平沼内閣(ひらぬまないかく)は、枢密院議長の平沼騏一郎が第35代内閣総理大臣に任命され、昭和14年(1939年1月5日から同年8月30日まで続いた日本の内閣である。前の第1次近衛内閣の崩壊を受けて、枢密院議長の平沼騏一郎が組閣した。共産主義に対抗する枢軸としてドイツとの関係強化をしようとしていたが、昭和14年(1939年)8月23日ドイツナチス・ドイツ)が突然ソビエト連邦独ソ不可侵条約を締結したことを受けて平沼首相は8月28日にいわゆる「複雑怪奇」声明を残して内閣総辞職した[1]

総辞職[編集]

1939年8月28日に平沼内閣は総辞職

今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み従来準備し来った政策は之を打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至りました

というような談話を発表した[1][2][3]

この談話は当時の日本外交の国際認識の欠如を象徴的に示している[1]。当時の読売新聞社説は「外交政策を樹直さねばならなくなった点につき責任をとったもの」と見なし、「ドイツの不信行為」に対応するため「国内の体制を一新」することが必要であり、近衛内閣の大部分が留任していた平沼内閣が解散することはやむを得なかったと評した[4]

閣僚[編集]

男爵平沼騏一郎枢密院):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
有田八郎(貴族院所属:昭和研究会)(第1次近衛内閣から留任):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
侯爵木戸幸一(貴族院所属:火曜会):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
石渡荘太郎(官僚:大蔵省):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
板垣征四郎(軍人:陸軍中将)(第1次近衛内閣から留任):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
米内光政(軍人:海軍大将)(第1次近衛内閣から留任):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
塩野季彦(官僚:司法省)(第1次近衛内閣から留任):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
男爵荒木貞夫(予備役陸軍大将)(第1次近衛内閣から留任):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
櫻内幸雄立憲民政党):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
八田嘉明(貴族院所属:昭和研究会):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
塩野季彦(法相兼任):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年4月7日
田辺治通(官僚:逓信省):昭和14年(1939年)4月7日 - 同年8月30日
前田米蔵政友会):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
八田嘉明(商工相兼任):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年4月7日
小磯國昭(予備役陸軍大将):昭和14年(1939年)4月7日 - 同年8月30日
広瀬久忠(官僚:内務省):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日
公爵近衞文麿(貴族院所属:火曜会):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日

           

田辺治通(官僚:逓信省):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年4月7日
太田耕造(官僚:司法省):昭和14年(1939年)4月7日 - 同年8月30日
黒崎定三(貴族院所属:昭和研究会):昭和14年(1939年)1月5日 - 同年8月30日

政務次官[編集]

  • 外務政務次官
  • 内務政務次官
    • 勝田永吉:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 漢那憲和:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 大蔵政務次官
    • 太田正孝:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 松村光三:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 陸軍政務次官
  • 海軍政務次官
  • 司法政務次官
    • 久山知之:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月7日
    • 倉元要一:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 文部政務次官
  • 農林政務次官
    • 高橋守平:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 松村謙三:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 商工政務次官
  • 逓信政務次官
  • 鉄道政務次官
  • 拓務政務次官
    • 八角三郎:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 寺田市正:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 厚生政務次官
    • 工藤鉄男:前政権(1938年1月18日) - 1939年1月19日
    • 津崎尚武:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)

参与官[編集]

  • 外務参与官
    • 春名成章:前政権(1937年12月15日) - 1939年1月19日
    • 箸本太吉:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 内務参与官
    • 木村正義:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 中井一夫:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 大蔵参与官
  • 陸軍参与官
    • 比佐昌平:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 中井川浩:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 海軍参与官
    • 岸田正記:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 中原謹司:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 司法参与官
  • 文部参与官
    • 池崎忠孝:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 野中徹也:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 農林参与官
    • 助川啓四郎:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 林譲治:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 商工参与官
  • 逓信参与官
    • 犬養健:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 上田孝吉:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 鉄道参与官
  • 拓務参与官
    • 伊礼肇:前政権(1937年6月24日) - 1939年1月19日
    • 江藤源九郎:1939年1月19日 - 次政権(1939年9月19日)
  • 厚生参与官

脚注[編集]

  1. ^ a b c 安部博純 ファシズム外交の論理と国際認識:日本外交の国際認識 その史的展開 doi:10.11375/kokusaiseiji1957.51_109 国際政治 (51), 109-128, 1974
  2. ^ 平沼内閣けさ総辞職外交新発足の必要痛感(辞表奉呈後首相声明)新聞記事文庫 政治(59-069)大阪朝日新聞 1939.8.29(昭和14)
  3. ^ 「今回締結せられた独ソ不可侵条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み、従来準備来った政策はこれを打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至った」 この声明に「複雑怪奇」という表現にあるように、日本の支配者が国際情勢を判断する力を失い、自主的な外交政策を立てられなくなっていたことの証明である(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 172ページ)
  4. ^ 平沼内閣の総辞職 社説 新聞記事文庫 政治(59-072)読売新聞 1939.8.29(昭和14)

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。

外部リンク[編集]