挙国一致内閣

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挙国一致内閣(きょこくいっちないかく)とは、大規模な戦争経済恐慌といった国家の危機や政党内閣の危機に際して、対立する政党をも包含して作られた内閣をいい、協力内閣(きょうりょくないかく)や、大連立内閣(だいれんりつないかく)とも呼ばれる。

概要[編集]

各国の例を挙げると、日本では軍部出身者を内閣総理大臣として擁立した1932年斎藤実内閣や1934年岡田啓介内閣が有名である。この両内閣は政党内閣ではないが軍部内閣でもなく純粋な超然内閣でもないとして「中間内閣」とも呼ばれた。

また、1940年10月12日から1945年6月13日まで存在した大政翼賛会に支えられた内閣も挙国一致内閣に分類される。

イギリスでは第一次世界大戦の間のアスキス内閣やロイド・ジョージ内閣、世界恐慌対策として1931年のマクドナルド内閣が有名である。他、チャーチル第二次世界大戦の間、保守党労働党自由党というほぼ全政党による挙国一致内閣を組織した。

ドイツにおいては、全権委任法を成立させることにより国家社会主義ドイツ労働者党による一国一党の挙国一致体制が成立した。このように、危機的な状況にある国家においては一国一党或いは大多数の政党の参加による挙国一致体制が必要となる。

ソビエト連邦中華人民共和国のような社会主義国にあっては一国一党の挙国一致体制が基本とされる。社会主義国にあっては、憲法において「一国一党の政権政党が国家を指導すること」(党の指導性)が憲法で規定されるのが通例である。

なお、一国一党的な挙国一致体制においては、主力となる政党(ドイツの例では国家社会主義労働者党、中国の例では中国共産党)以外を支持する勢力は包含されずむしろ排除・弾圧される。日本の挙国一致内閣においても、無産政党(斉藤内閣・岡田内閣)、親英米派・自由主義者(東條内閣)からの入閣がなかったように、必ずしもイギリスの例のようにほぼ全政党・全政治勢力が結集する内閣になるとは限らない。

関連項目[編集]