倉元要一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
倉元要一

倉元 要一(くらもと よういち、1879年明治12年)12月17日[1] - 1942年昭和17年)11月12日)は、日本政治家立憲政友会所属の衆議院議員

経歴[編集]

福岡県宗像郡上西郷村(現・福津市)出身。明治大学法科専門部卒業。大阪府属、滋賀県警部、鳥取県警部、福井県今立郡長、坂井郡長、福井県理事官、静岡県浜名郡長、静岡県理事官・産業課長を歴任した。

1924年大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、6回の当選を重ねた。その間、浜松市会議員を兼ね、文部大臣秘書官を務め、平沼内閣では司法政務次官に就任した。

政党解消後は翼賛議員同盟に加わらず興亜議員同盟に所属。1942年(昭和17年)の翼賛選挙では、非推薦候補として出馬したが落選した[2]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年(大正15年)、16頁。
  2. ^ 『翼賛選挙大観』朝日新聞社、1942年(昭和17年)。

参考文献[編集]