第3次吉田内閣 (第3次改造)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
第3次吉田第3次改造内閣
The 3rd Yoshida Cabinet after the 3rd reshuffle.jpg
国務大臣任命式後の記念撮影
(1951年12月26日)
内閣総理大臣 第49代 吉田茂
成立年月日 1951年昭和26年)12月26日
終了年月日 1952年(昭和27年)10月30日
与党・支持基盤 自由党、(緑風会[注釈 1]
施行した選挙 第25回衆議院議員総選挙
衆議院解散 1952年(昭和27年)8月28日
抜き打ち解散
内閣閣僚名簿(首相官邸)
テンプレートを表示

第3次吉田第3次改造内閣(だいさんじ よしだ だいさんじかいぞうないかく)は、衆議院議員自由党総裁吉田茂が第49代内閣総理大臣に任命され、1951年昭和26年)12月26日から1952年(昭和27年)10月30日まで続いた日本の内閣である。 前の第3次吉田第2次改造内閣改造内閣である。

内閣の顔ぶれ・人事[編集]

国務大臣[編集]

1951年(昭和25年)12月26日任命。在職日数310日(第1次、2次、3次通算1,846日)。

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣総理大臣 49 吉田茂 Shigeru Yoshida suit.jpg 衆議院
自由党
外務、国務大臣
(保安庁長官事務取扱)兼任
留任
自由党総裁
法務総裁 6 木村篤太郎 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
国務大臣
(行政管理庁長官)兼任
1952年8月1日
(法務府廃止) 1952年8月1日付
法務大臣 (法務省未設置) 1952年8月1日設置
1 木村篤太郎 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
国務大臣
(行政管理庁長官)兼任
1952年8月1日
外務大臣 60 吉田茂 Shigeru Yoshida suit.jpg 衆議院
自由党
内閣総理大臣兼任 留任
1952年4月1日免
自由党総裁
61 岡崎勝男 Katsuo Okazaki.jpg 衆議院
自由党
国務大臣兼任 1952年4月1日任
大蔵大臣 55 池田勇人 IKEDA Hayato.jpg 衆議院
自由党
留任
文部大臣 67 天野貞祐 AMANO Teiyu.jpg 民間 留任
1952年8月12日
68 岡野清豪 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
1952年8月12日任
厚生大臣 57 橋本龍伍 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
国務大臣
(行政管理庁長官)兼任
留任
1952年1月18日
58 吉武恵市 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
労働大臣兼任 1952年1月18日任
農林大臣 13 広川弘禅 Kozen Hirokawa 01.jpg 衆議院
自由党
通商産業大臣 5 高橋龍太郎 Replace this image JA.svg 参議院
無所属
緑風会
留任
運輸大臣 13 村上義一 Replace this image JA.svg 参議院
無所属
緑風会
留任
郵政大臣 3 佐藤栄作 Eisaku Sato 01.jpg 衆議院
自由党
電気通信大臣兼任 留任
電気通信大臣 3 佐藤栄作 Eisaku Sato 01.jpg 衆議院
自由党
郵政大臣兼任 留任
1952年8月1日免
(電気通信省廃止) 1952年8月1日付
労働大臣 6 吉武恵市 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
厚生大臣兼任 初入閣
建設大臣 6 野田卯一 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
国務大臣
(行政管理庁、
北海道開発庁長官)兼任

首都建設委員会委員長
留任
国務大臣
経済安定本部総務長官
6 周東英雄 Suto Hideo.JPG 衆議院
自由党
国務大臣
(中央経済調査庁、物価庁、
賠償庁長官)兼任
留任
1952年8月1日免
(経済安定本部廃止) 1952年8月1日付
国務大臣
中央経済調査庁長官
6 周東英雄 Suto Hideo.JPG 衆議院
自由党
国務大臣
(経済安定本部総務長官、
物価庁、賠償庁長官)兼任
留任
1952年8月1日免
(中央経済調査庁廃止) 1952年8月1日付
国務大臣
物価庁長官
4 周東英雄 Suto Hideo.JPG 衆議院
自由党
国務大臣
(経済安定本部総務長官、
中央経済調査庁、賠償庁長官)兼任
留任
1952年8月1日免
(物価庁廃止) 1952年8月1日付
国務大臣
経済審議庁長官
(経済審議庁未設置) 1952年8月1日設置
1 周東英雄 Suto Hideo.JPG 衆議院
自由党
転任
1952年8月1日任
1952年9月2日免
2 山崎猛 Takeshi Yamazaki.jpg 衆議院
自由党
転任
1952年9月2日任
国務大臣
賠償庁長官
8 岡崎勝男 Katsuo Okazaki.jpg 衆議院
自由党
国務大臣兼任 1952年4月28日免
(賠償庁廃止) 1952年4月28日付
国務大臣
行政管理庁長官
7 橋本龍伍 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
厚生大臣兼任 留任
1952年1月18日免
8 木村篤太郎 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
法務総裁(法務大臣)兼任 1952年1月18日任
1952年4月5日
9 野田卯一 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
建設、国務大臣
(北海道開発庁長官)兼任
1952年4月5日任
国務大臣
地方自治庁長官
3 岡野清豪 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
留任
1952年8月1日免
(地方自治庁廃止) 1952年8月1日付
国務大臣
自治庁長官
(自治庁未設置) 1952年8月1日設置
1 岡野清豪 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
文部大臣兼任 1952年8月1日任
国務大臣
保安庁長官
(保安庁未設置) 1952年8月1日設置
- 吉田茂 Shigeru Yoshida suit.jpg 衆議院
自由党
事務取扱
(内閣総理大臣兼任)
留任
1952年8月1日任
自由党総裁
国務大臣
無任所
- 山崎猛 Takeshi Yamazaki.jpg 衆議院
自由党
1952年9月2日まで
- 大橋武夫 Replace this image JA.svg 衆議院
自由党
1952年9月2日まで
- 岡崎勝男 Katsuo Okazaki.jpg 衆議院
自由党
国務大臣
(賠償庁長官)兼任
1951年12月27日まで
- 岡崎勝男 Katsuo Okazaki.jpg 衆議院
自由党
外務大臣兼任 転任
1952年4月29日任
1952年4月30日まで
- 山縣勝見 Replace this image JA.svg 参議院
自由党
1952年9月2日任
- 大野木秀次郎 Replace this image JA.svg 参議院
自由党
初入閣
1952年9月2日任
- 中山寿彦 Replace this image JA.svg 参議院
自由党
初入閣
1952年9月2日任
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

内閣官房長官・副長官[編集]

1951年(昭和26年)12月26日任命。

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣官房長官 7 保利茂 Hori Shigeru.JPG 衆議院
自由党
内閣官房副長官 - 剱木亨弘 Replace this image JA.svg 文部省 留任
1952年8月13日
- 江口見登留 Replace this image JA.svg (旧内務省 1952年8月13日任
- 菅野義丸 Replace this image JA.svg 運輸省 留任
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

政務次官[編集]

  • 外務政務次官 - 石原幹市郎
  • 大蔵政務次官 - 西村直己
  • 法務政務次官(法務府) - 龍野喜一郎: - 1952年(昭和27年)7月31日
  • 法務政務次官(法務省) - 龍野喜一郎:1952年(昭和27年)8月1日 -
  • 文部政務次官 - 今村忠助
  • 厚生政務次官 - 松野頼三
  • 農林政務次官 - 野原正勝: - 1952年(昭和27年)6月10日 /小川原政信:1952年(昭和27年)6月11日 - 9月6日
  • 通商産業政務次官 - 本間俊一
  • 運輸政務次官 - 佐々木秀世
  • 郵政政務次官 - 寺本斎
  • 電気通信政務次官 - 平井太郎: - 1952年(昭和27年)7月31日
  • 労働政務次官 - 溝口三郎
  • 建設政務次官 - 塚原俊郎
  • 経済安定政務次官 - 福田篤泰: - 1952年(昭和27年)7月31日
  • 経済審議庁政務次官 - 福田篤泰:1952年(昭和27年)8月1日 -
  • 物価政務次官 – 上原正吉: - 1952年(昭和27年)3月31日
  • 中央経済調査政務次官 - 上原正吉:1952年(昭和27年)3月31日 - 7月31日
  • 行政管理政務次官 - 山口六郎次
  • 賠償政務次官 - 入交太蔵: - 1952年(昭和27年)4月28日
  • 地方自治政務次官 - 藤野繁雄: - 1952年(昭和27年)8月1日
  • 自治政務次官 - 藤野繁雄:1952年(昭和27年)8月1日 -
  • 北海道開発政務次官 - 入交太蔵:1952年(昭和27年)8月1日 -
  • 保安政務次官 - 平井太郎:1952年(昭和27年)8月1日 -

勢力早見表[編集]

※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。

名称 国務大臣 政務次官 その他
しゆう自由党 12 15 衆議院議長、内閣官房長官
国務大臣のべ19
りよくふうかい緑風会 1 2 参議院議長
みんかん民間 1 0
- 14 17 国務大臣のべ21

内閣の動き[編集]

改造前[編集]

1951年(昭和26年)9月8日に、サンフランシスコ講和条約旧日米安全保障条約が締結されたことで、日本連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)による占領体制に終止符を打ち、国際社会に復帰を果たした。日本国内では、占領体制の終焉に伴い、吉田内閣の退陣、吉田の首相辞任も観測されていた。しかし、吉田本人は退陣・辞任について微塵も念頭には無く、引き続き政権を担当する決意であった。それは、吉田自身の長く「ワンマン宰相」として占領体制下を乗り切ってきたという自負心や、旺盛な権勢欲もさることながら、それ以上にサンフランシスコ講和条約及び旧日米安保条約の発効と、新たな体制の整備(日米行政協定の交渉作業、国際社会復帰に伴う外交政策立案、漸進的防衛体制整備、共産主義抑制のための労働運動規制など)の実現のために政権維持が欠かせないという判断からであった。

同年12月19日に吉田は、翌1952年(昭和27年)は過去6年を通じて重要な年と考え、任期いっぱい、すなわち1953年(昭和28年)1月22日まで政権を担当する意思を明らかにした。そして、同年12月25日に、まったく出し抜けに内閣改造を断行し、成立したのが第3次吉田第3次改造内閣である(閣僚の認証は26日)。当然、増田甲子七幹事長ら自由党首脳らにも事前に相談することなく、吉田はワンマンぶりを発揮した。

目的[編集]

組閣の目的を閣僚の横顔を通して見てみると、法務総裁に起用された木村篤太郎右翼検事出身の政治家であり、彼を起用しての反共立法推進が予想された。前の第3次吉田第2次改造内閣の官房長官であった岡崎勝男を国務大臣(自衛力漸増担当)に起用したのは、外交官出身の岡崎に、日米行政協定交渉の担当をさせるためで、その後、吉田は自身が兼務していた外務大臣に岡崎を就けた。大橋武夫には警察予備隊担当の国務大臣として防衛体制の検討に入らせた。

党総務会長広川弘禅の農相起用は、自由党内で増田甲子七幹事長との「コップの争い」が激化し、講和を目前に国民民主党も含めて抗争が拡大したため、党内を地ならしすることが目的であった。また、党内融和では、山崎猛国務大臣に起用している。更に「吉田学校」のメンバーである池田勇人蔵相、橋本龍伍厚相、佐藤栄作郵政相兼電通相、周東英雄安本総務長官の留任、保利茂の官房長官など、追放解除となった鳩山一郎一派に対する吉田派による政権固めが実施された。

この内閣改造を鳩山派の幹部であった河野一郎は、「とんだクリスマス・プレゼントをくれたものだ」と吐き捨てるように言ったという。

この第3次吉田第3次改造内閣に於いては、吉田茂及び松野鶴平佐藤栄作池田勇人ら側近のみが協議し、鳩山派の排除を企図して8月28日に衆議院の解散に踏み切り(抜き打ち解散)、第25回衆議院議員総選挙を断行した。

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 会派として与党入りしていない。

出典[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]