コンテンツにスキップ

民間人閣僚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

民間人閣僚(みんかんじんかくりょう)とは、日本国憲法下の内閣において、任命時に国会議員ではなかった国務大臣を指す慣用語。したがって、大臣任命時には国会議員だったが衆議院解散によりその身分を失った閣僚、あるいは閣僚として臨んだ選挙で落選して国会議員ではなくなったものの次の内閣が成立するまでのごく短期間その職に留まった閣僚については、民間人閣僚とは呼ばない

概説

[編集]

日本国憲法第68条において、「その(国務大臣の)過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」とされている。

これは裏を返せば、半数未満であれば国会議員の中から選ばなくともよい事を意味する。現在、閣僚は最大19人任命できるため、9人までは民間人でもよいことになる[注釈 1]

例として、岸内閣藤山愛一郎小泉内閣竹中平蔵など著名人の起用例があり、藤山・竹中など、後に国会議員に転身した者もいる。

また、竹下内閣高辻正己法務大臣の場合は、前任者の長谷川峻リクルートから政治献金を受けたことにより法相を辞任し、内閣法制局長官最高裁判所裁判官などを歴任した非国会議員の高辻が起用された。

仮に、国会議員たる国務大臣が改選時に落選したり引退しても、任命時に国会議員であった以上は憲法第68条による制限を受けないが、衆院選後の組閣又は内閣改造により退任することが多く、そのまま民間人閣僚として在任し続ける例は少ない。

主に官僚大学教員実業家地方公共団体首長経験者などで、実績のある人物が任命されることが多い。

2025年現在、野田内閣で防衛大臣を務めた森本敏2012年12月26日に退任して以降は、約13年にわたり民間人閣僚は起用されていない。

民間人閣僚の一覧

[編集]
  • ここでは任命時に国会議員経験がない閣僚について記載する。
  • 「※」は大臣在任中に国会議員となったことをしめし、国会議員となった時点で民間人閣僚の期間を終了としている。
  • 前職などに関しては、任命直前についていた職を除き、「前」は職を辞してから大臣任命まで短期間であり、その間主要な職についていない場合、「元」は職を辞してから大臣任命まである程度期間があり、その間、他の職についている場合を示す。
氏名役職内閣期間前職など
殖田俊吉行政管理庁長官第2次吉田内閣1948年10月15日 - 1948年11月10日大蔵官僚
法務総裁第3次吉田内閣1948年11月1日 - 1950年6月28日
天野貞祐文部大臣第3次吉田内閣 (第1次改造)
第3次吉田内閣 (第2次改造)
第3次吉田内閣 (第3次改造)
1950年5月6日 - 1952年8月12日第一高等学校校長
木村篤太郎法務大臣第3次吉田内閣 (第3次改造)1951年12月26日 - 1952年10月30日検事総長
元司法大臣
東京弁護士会会長
保安庁長官第4次吉田内閣
第5次吉田内閣
1952年10月30日 - 1953年5月2日
向井忠晴大蔵大臣第4次吉田内閣1952年10月30日 - 1953年5月21日三井物産会長
三井総元方理事長
一萬田尚登第1次鳩山一郎内閣1954年12月10日 - 1955年2月26日日本銀行総裁
高碕達之助経済審議庁長官第1次鳩山一郎内閣1954年12月10日 - 1955年3月19日東洋製罐会長
電源開発総裁
藤山愛一郎外務大臣第1次岸内閣 (改造)1957年7月10日 - 1958年5月21日日本商工会議所会頭
日本航空初代会長
永井道雄文部大臣三木内閣1974年12月9日 - 1976年12月24日東京工業大学教授
牛場信彦対外経済担当大臣福田赳夫内閣 (改造)1977年11月28日 - 1978年12月7日外務官僚
大来佐武郎外務大臣第2次大平内閣1979年11月9日 - 1980年7月17日元外務官僚
経済企画庁官僚
海外経済協力基金総裁
高辻正己法務大臣竹下内閣 (改造)1988年12月30日 - 1989年6月3日内務官僚
内閣法制局長官
最高裁判所判事
高原須美子経済企画庁長官第1次海部内閣1989年8月10日 - 1990年2月28日経済評論家
三ヶ月章法務大臣細川内閣1993年8月9日 - 1994年4月28日東京大学名誉教授
弁護士
赤松良子文部大臣細川内閣1993年8月9日 - 1994年4月28日労働官僚
羽田内閣1994年4月28日 - 1994年6月30日
宮崎勇経済企画庁長官村山内閣 (改造)1995年8月8日 - 1996年1月11日経済安定本部官僚
経済評論家
長尾立子法務大臣第1次橋本内閣1996年1月11日 - 1996年11月7日厚生官僚
堺屋太一経済企画庁長官小渕内閣
小渕内閣 (第1次改造)
小渕内閣 (第2次改造)
1998年7月30日 - 2000年4月4日通産官僚
経済評論家
第1次森内閣
第2次森内閣
2000年4月5日 - 2000年12月5日
川口順子[注釈 2]環境庁長官第2次森内閣
第2次森内閣
(改造 中央省庁再編前)
2000年7月5日 - 2001年1月5日元通産官僚
サントリー常務
環境大臣第2次森内閣
(改造 中央省庁再編後)
2001年1月6日 - 2001年4月24日
環境大臣第1次小泉内閣2001年4月24日 - 2002年2月8日
外務大臣第1次小泉内閣
第1次小泉内閣 (第1次改造)
第1次小泉内閣 (第2次改造)
第2次小泉内閣
2002年2月1日 - 2004年9月27日
遠山敦子文部科学大臣第1次小泉内閣
第1次小泉内閣 (第1次改造)
2001年4月26日 - 2003年9月22日文部官僚
竹中平蔵経済財政担当大臣第1次小泉内閣
第1次小泉内閣 (第1次改造)
第1次小泉内閣 (第2次改造)
第2次小泉内閣
2001年4月26日 - 2004年7月25日慶應義塾大学教授
金融担当大臣第2次小泉内閣2003年11月19日 - 2004年7月25日
大田弘子経済財政担当大臣第1次安倍内閣
第1次安倍内閣 (改造)
2006年9月26日 - 2007年9月26日政策研究大学院大学教授
福田康夫内閣2007年9月26日 - 2008年8月2日
増田寛也総務大臣第1次安倍内閣 (改造)2007年8月27日 - 2007年9月26日建設官僚
岩手県知事
福田康夫内閣
福田康夫内閣 (改造)
2007年9月26日 - 2008年9月24日
片山善博総務大臣菅直人内閣 (第1次改造)
菅直人内閣 (第2次改造)
2010年9月17日 - 2011年9月2日自治官僚
鳥取県知事
森本敏防衛大臣野田内閣 (第2次改造)
野田内閣 (第3次改造)
2012年6月4日 - 2012年12月26日航空自衛官
元外務官僚
拓殖大学教授

備考

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. 本来は最大17人(民間人は上限8人)だが、現在は復興大臣及び国際博覧会担当大臣設置のため、閣僚枠が2人増員されている。
  2. 大臣退任後に参議院議員になっている。
  3. 1963年の認証官制以降、内閣官房長官が国政選挙落選による形式上の民間人閣僚となった初の事例であり、2023年7月現在でも唯一の事例である。
  4. なお「日本国憲法第68条の規定について、総選挙の結果として大臣在職中の落選・引退などによって結果として非国会議員の閣僚が過半数になった場合には違憲状態と考えているのか」という質問について、政府は「衆議院の解散により内閣総理大臣又は国務大臣が国会議員としての地位を失ったことにより、憲法第67条第1項又は憲法第68条第1項ただし書の要件を欠くこととなった場合については、憲法第70条が『衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があったときは、内閣は、総辞職をしなければならない』と規定していることから、内閣総理大臣又は国務大臣が解散後の衆議院議員総選挙に立候補しなかったか当該衆議院議員総選挙で落選したかにかかわらず、憲法第67条第1項及び第68条第1項ただし書の定めるところの例外として、当該衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があったときの総辞職まで、内閣総理大臣又は国務大臣として在職することができると考えている」と答弁している[1]
  5. 中央官庁官僚経験者は検事経験がある木村篤太郎や日本銀行出身の一萬田尚登を除く。なお、この2名のほか、研究者出身5名、民間企業出身4名となっている。
  6. 1966年6月の内閣法改正で、内閣官房長官は国務大臣を充職する規定になった。
  7. 1998年7月30日以前は1名。

出典

[編集]

関連項目

[編集]