林譲治 (政治家)

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林 譲治
はやし じょうじ
Joji hayashi.jpg
1932年頃における林譲治の肖像写真
生年月日 (1889-03-24) 1889年3月24日
出生地 日本の旗 日本 高知県宿毛市
没年月日 (1960-04-05) 1960年4月5日(71歳没)
出身校 京都帝国大学
称号 従二位勲一等旭日桐花大綬章(没後受勲)
親族 林有造(父)、林迶(長男)、林遉(次男)、岩村通世(従兄)

日本の旗 第41代 衆議院議長
在任期間 1951年3月13日 - 1952年8月1日

日本の旗 第18-19代 厚生大臣
内閣 第2次吉田内閣
第3次吉田内閣
在任期間 1948年10月19日 - 1950年6月28日

内閣 第1次吉田内閣
在任期間 1947年5月3日 - 1947年5月24日

内閣 第1次吉田内閣
在任期間 1946年5月29日 - 1947年5月3日

当選回数 11回
在任期間 1930年 - 1960年
第21回総選挙は落選)

その他の職歴
日本の旗 副総理
1948年10月19日 - 1951年3月13日
高知県の旗 高知県議会議員
1927年 - 1928年
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林 譲治(はやし じょうじ、1889年明治22年)3月24日 - 1960年昭和35年)4月5日)は、日本政治家。第41代衆議院議長副総理厚生大臣内閣官房長官を歴任。位階勲等従二位勲一等旭日桐花大綬章

来歴・人物[編集]

自由民権運動家としても活躍した明治・大正期の政治家・林有造の次男として高知県宿毛町(現:宿毛市)に生まれた。戦後の内閣総理大臣吉田茂の又従弟にあたる。1918年大正7年)京都帝国大学法科大学独法科を卒業する。三菱倉庫勤務を経て1923年(大正12年)に宿毛町長、1927年(昭和2年)に高知県議会議員となる。

1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後、当選11回。1931年(昭和6年)犬養内閣鳩山一郎文部大臣秘書官となって以来、立憲政友会鳩山派幹部となる。1939年の政友会分裂に際しては鳩山とともに正統派(総裁は久原房之助)に所属し、政党解消後は大政翼賛会に批判的な同交会に所属した。翼賛選挙では非推薦で立候補し落選する。

戦後、第1次吉田内閣内閣書記官長に就任。外交官出身で内政や党務に弱い吉田を、大野伴睦自由党幹事長)とともに補佐。大野・益谷秀次と並び、吉田内閣「党人御三家」と呼ばれた。第2次第3次吉田内閣で副総理兼厚生大臣第3次吉田内閣第1次改造内閣で副総理を歴任。実父が宿毛市出身の吉田と、同市出身の林の組み合わせから、世間からは「宿毛内閣」と呼ばれた。1951年(昭和26年)衆議院議長に就任。自由党幹事長や総務なども務めた。がんの悪化により1960年(昭和35年)4月5日に没、享年71。墓所は故郷宿毛市に建つ。

俳人としても知られ、鰌児、寿雲などと号す。政治家、新聞記者を中心にした句会・東嶺会を主宰。富安風生に師事し、没後刊の句集「古袷」(雪華社、1963年)がある。

長男林迶は、参議院議員労働大臣に就いた。次男林遉は、宿毛市長に就いたが、病弱なため在職中に急逝している。従兄弟岩村通世は、戦時中に司法大臣だったため、A級戦犯として逮捕されたが不起訴・釈放となった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


議会
先代:
幣原喜重郎
日本の旗 衆議院議長
第41代:1951年 - 1952年
次代:
大野伴睦
公職
先代:
西尾末広
日本の旗 国務大臣副総理
1948年 - 1951年
次代:
緒方竹虎
先代:
吉田茂(臨時代理)
日本の旗 厚生大臣
第18・19代:1948年 - 1950年
次代:
黒川武雄
先代:
内閣書記官長より改称
日本の旗 内閣官房長官
初代:1947年
次代:
西尾末広
先代:
楢橋渡
日本の旗 内閣書記官長
第55代:1946年 - 1947年
次代:
内閣官房長官に改称
党職
先代:
増田甲子七
自由党幹事長
第4代:1952年 - 1953年
次代:
佐藤栄作