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錦鶏間祗候

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

錦鶏間祗候(きんけいのましこう、旧字体: 錦鷄閒󠄁祗候)は、功労や勲功のあった勅任官の退職者を優遇するため、明治時代の半ばに設けられた資格。職制・俸給等はない名誉職宮中席次等では勅任官に準じた待遇を受けた。麝香間祗候の次に位置する。

概要

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錦鶏間祗候は、1890年(明治23年)10月20日に廃止する元老院議官の退職者を処遇するため、同年5月30日に設置された[1]。 このときに、元老院議官の退職者はその功労と勲位とにより麝香間祗候または錦鶏間祗候が命ぜられることになり、また、将来国家に功労あるものはその事績と地位とを参酌しそのどちらかの間の祗候を命ぜられたときは功臣を優遇する方法において適当と認めて[1]、同年9月19日に錦鶏間祗候を命ぜられるべき者を次の様に定めた。(1)勅任官に満5年以上在任する者(再任の場合は前任のときの任期を通算する)、(2)前項の年数に満たなくとも勲三等以上に叙せられた者または復古及び軍功賞典を受ける者とされた[2][注釈 1]。また、同年11月4日にその待遇は勅任官に準じるものとされた[5]

明治維新以前に在っては、前官礼遇のために前関白はなお八景繪間(この間は関白の官房になる)に参入し、前大臣は麝香間に参入し、議奏伝奏などの関白に亜ぎ朝廷の政務に預かっていた役目の退職者は錦鶏間に参入させていた例を取り、1890年(明治23年)当時には麝香間の名称が置かれ功労ある人々にその祗候を命ぜられていたので、麝香間の次に錦鶏間が置かれてその祗候を命ぜられたものは、なお勅任の待遇を受けられることを定めることになった[1]

宮中席次では第3階に属する第26の順位で、第24の高等官二等(勅任官)、第25の功二級の下、第27の勅任待遇、第28の伯爵の上に位置付けられた。

当初の任命手続きでは、内閣総理大臣の申牒に基づき宮内大臣が奏薦していたが、1917年(大正6年)にはその名称が宮中に属するとしてもその実質は栄典なので国務に属するとして、内閣総理大臣が奏薦することに改めた[6]

なお、錦鶏間とは本来は京都御所内の御学問所の西側にある部屋になる[注釈 2]藤波言忠 (1924) によると錦鶏之間は「議奏、伝奏、近習小番御免の輩の候所なり」とある[8][注釈 3]。 1890年(明治23年)に置いた錦鶏間祗候は、明治維新以前の錦鶏間とは直接的な関係はないが、その例を取り錦鶏間の名称を再興させたものになる[10]

祗候を命ぜられた主な者

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あ行

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か行

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さ行

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た行

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な行

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は行

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ま行

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や行

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ら行

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  • 李家隆介 - 富山県知事・石川県知事・静岡県知事・長崎県知事・下関市長

わ行

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  • 若槻禮次郎 - 内閣総理大臣・内務大臣・大蔵大臣・貴族院議員
  • 若林賚蔵 - 島根県知事・奈良県知事・山梨県知事・佐賀県知事・香川県知事・愛媛県知事・広島県知事・京都府知事・貴族院議員
  • 渡正元 - 正三位・勲二等、元老院議官・貴族院議員
  • 渡辺清 - 男爵・福島県知事・貴族院議員
  • 渡辺勝三郎 - 徳島県知事・新潟県知事・長崎県知事・横浜市長・東洋拓殖株式会社総裁
  • 渡辺洪基 - 東京府知事・帝国大学総長・駐オーストリア公使・衆議院議員・貴族院議員
  • 渡辺驥 - 大審院検事長・元老院議官・貴族院議員
  • 渡辺融 - 高知県知事・山口県知事
  • 渡辺譲 - 海軍工務監
  • 渡辺廉吉 - 行政裁判所部長・貴族院議員

脚注

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注釈

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  1. ^ その後の改正で、(1)の要件は勅任官に満7年以上在任、(2)の要件は勲二等以上と改め[3]、更に1917年(大正6年)には(1)の要件は勅任官に満10年以上在任で在って退官のとき高等官一等の職に在ったものに改めており、時を経るごとに条件が厳しくなる[4]
  2. ^ 安政2年(1855)造営時の内裏図面(宮内庁書陵部蔵)によると、御学問所の雁之御間より御鈴廊下を隔て西に八景画之間があり、この西に接して林和靖画之間があり、この西に接して錦鶏画之間がある。錦鶏画之間の南に近習番衆所があり、西に物置があり、その北に非蔵人詰所がある。錦鶏画之間は12[7]
  3. ^ 禁裏小番は原則として摂家を除く全ての公家が参加するきまりであったが、この番を免除される者のことを番御免という。伝奏や議奏を離任すると元の番所に戻ることになるが、永年の苦労を賞して小番御免の列に入れることも多かった。また老齢で小番御免となる場合、近習番は56歳でまず宿御免となり翌年に小番御免となった[9]

出典

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  1. ^ a b c JACAR:A15060104200(第13画像目)
  2. ^ JACAR:A15060104200(第14画像目)
  3. ^ JACAR:A15060104200(第4画像目)
  4. ^ JACAR:A15060104200(第2画像目から第3画像目まで)
  5. ^ 内閣官報局「錦鶏間祗候ハ勅任待遇トス(明治23年11月4日宮内省達第21号)」『法令全書』 明治23年、内閣官報局、東京、1912年、572頁。doi:10.11501/787982NDLJP:787982/94 
  6. ^ JACAR:A15060104200(第2画像目、第12画像目)
  7. ^ 宮内庁 (2024年12月1日). “内裏変遷 - 京都御所” (html). 京都御所. 宮内庁. 2025年7月11日閲覧。
  8. ^ 藤波言忠 編『京都御所取調書』(html) 上(大正13年写)、臨時帝室編修局、1924年https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Kobunsho/Detail/4000346560000?index=0&sort=RefNo&searchoperator=AND&searchtype=Detail&archive=Kobunsho&titleop=AND&refno=34656&refnoop=AND&refno2op=AND&authorop=AND&createyearop=AND&bookinfoop=AND&usagerestriction=NotSpecified&tocop=AND2025年7月10日閲覧 (宮内公文書館)(第120画像目)
  9. ^ 本田 1990, p. 68.
  10. ^ 「元老院廃止ニ付廃官ノ輩ハ総テ前官ノ非職ト心得シム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111955400、公文類聚・第十四編・明治二十三年・第十一巻・官職八・官吏雑規官舎附・雑載(国立公文書館)(第2画像目、第5画像目)

参考文献

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  • 「錦鶏間祗候に関する件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15060104200、叙位内則制定の沿革及び錦鶏間祗候に関する件(国立公文書館)
  • 本田慧子「近世の禁裏小番について」『書陵部紀要』第41号、宮内庁書陵部、東京、1990年3月15日、53-79頁、CRID 1521980705517995904ISSN 0447-4112国立国会図書館書誌ID:33419972025年7月12日閲覧 

関連項目

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