平島敏夫

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平島 敏夫(ひらしま としお、1891年11月4日[1] - 1982年2月14日)は、日本政治家衆議院議員(1期)、自由民主党参議院議員(3期)。南満州鉄道副総裁。2代目大東文化大学学長

経歴[編集]

宮崎県出身。1918年東京帝国大学法科大学英法科卒[2]。内務属、長崎県理事官、南満州鉄道秘書役、同参事、台湾総督府秘書官兼事務官などを務め[2]弁護士を経て司法大臣秘書官となる[2]1932年郷里の宮崎県から立憲政友会公認で立候補して当選する。その後、満州国に渡り、協和会総務部長、錦州省次長を経て、南満州鉄道に戻り、同理事、副総裁の他、満州電業理事長などを歴任した[2]

戦後、公職追放となった[3]。追放解除後は電源開発理事となり[2]佐久間ダムの補償を担当した。1956年第4回参議院議員通常選挙宮崎地方区から自由民主党公認で立候補して初当選。連続3期務めた。在任中は運輸、予算、外務の各委員長を歴任した。1974年第10回参議院議員通常選挙に出馬せず引退、1982年に死去した。

この他、1958年から1962年まで大東文化大学学長を務めた。

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』517頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』535頁。
  3. ^ 『朝日新聞』1946年2月28日一面。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056