群馬交響楽団

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群馬交響楽団
Gunma Music Center 2009.jpg
基本情報
出身地 日本の旗 日本 群馬県高崎市高松町35-1
ジャンル クラシック音楽
活動期間 1945年(「高崎市民オーケストラ」として) -
公式サイト gunkyo.com
メンバー 音楽監督
大友直人
首席客演指揮者
マルティン・トゥルノフスキー
コンサートマスター
伊藤文乃

公益財団法人群馬交響楽団(ぐんまこうきょうがくだん、Gunma Symphony Orchestra)は、群馬県にある常設のオーケストラである。日本の地方管弦楽団の草分け的存在で、高崎市を本拠地として活動する。「群響」の愛称で多くのクラシック音楽愛好家に親しまれている。日本オーケストラ連盟正会員。

沿革[編集]

1945年高崎市民オーケストラとして創設した。翌1946年群馬フィルハーモニーオーケストラと改称、1947年にプロ化した後、1949年財団法人が設立され、1963年に現在の名称に改められた。

1955年、群馬交響楽団をモデルに制作された映画『ここに泉あり』が公開されて全国的に注目を集め、翌年には文部省により群馬県が全国初の「音楽モデル県」に指定された。さらに1961年、高崎市民の全面的な支援を受けて同市に群馬音楽センターが建設され、これを拠点としてさらに幅広い活動が展開された。また、1947年5月に始めた移動音楽教室では、2004年度までに延べ570万人以上の児童・生徒が鑑賞しているのをはじめ、県内各地での演奏活動の展開により、群馬県の文化の象徴として県民から幅広く支持されている。

1963年、楽団の運営をめぐり一部の理事と楽団員達の間に軋轢が生じ、7月13日には楽団員32名のうち21名が退職届を提出する事態に発展した。これに対して会長(高崎市市長)は「去るものは追わない」として、提出された退職届をそのまま受理するなどした[1]

1968年に、群馬県の依頼で制作された「群馬県の歌」を演奏し、現在でも群馬テレビの毎日放送開始時と放送終了時に放送されている。

1994年には「プラハの春国際音楽祭」「ウィーン芸術週間ドイツ語版」から同時に招待を受け、音楽監督高関健指揮のもと、4か国を巡る海外公演を実現した。翌1995年の創立50周年には、東京および群馬県内各地でベートーヴェン交響曲連続演奏会を行った他、50周年記念委嘱作品『オーケストラのための遠景Ⅱ』(細川俊夫作曲)を東京・群馬で初演し、高い評価を得た。

2001年からは、日本の音楽界を牽引している楽団として、文化庁の「芸術創造推進事業アーツプラン21)」支援団体に指定されている。2003年には、5月に定期演奏会が400回を数えるとともに、同年10月のNHKテレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で団の草創期が紹介され、改めて全国的に注目された。

群馬県を舞台として2005年に放送されたNHK連続テレビ小説ファイト』では、テーマ曲を演奏している。最近では、定期演奏会、移動音楽教室など地域に根ざした活動や、レコーディング、文化庁の本物の舞台芸術体験事業をはじめとして全国各地での演奏活動も積極的に行っている。

創立70周年にあたる2015-2016年度の定期演奏会(全9回/会場:群馬音楽センター)での総入場者数は1万3200人を超え、過去最多記録(2010年度/1万3057人)を更新した。創立70周年の最後を飾る第516回定期演奏会(2016年3月19日/会場:群馬音楽センター)では、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』と、群馬交響楽団初演となるメシアンの大作『トゥーランガリラ交響曲』を演奏、満員の聴衆を魅了し、大きな拍手を得た。

指揮者陣[編集]

歴代音楽監督など[編集]

演奏会[編集]

  • 定期演奏会
    • 群馬音楽センターで年間10回(2016年度より4月の“オープニングコンサート”が定期演奏会としてカウントされたため、9回から10回に変更)
  • 東毛定期演奏会
  • まえばし市民名曲コンサート
  • 東京公演
  • 巡回第九演奏会
    • 県内各地で年3回
  • 県民音楽のひろば
    • 県内各地で年7回
  • その他、「県民コンサート」(年1回)、「群響サマーコンサート」(年1回)、「夏休みコンサート」(年1回)、青少年のためのコンサート(移動音楽教室等、年間100回程度)など。

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 朝日新聞』昭和38年(1963年)7月14日朝刊記事

関連項目[編集]

外部リンク[編集]