母島
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座標: 北緯26度39分50秒 東経142度9分30秒 / 北緯26.66389度 東経142.15833度
| 母島 | |
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南崎からの眺望 | |
| 所在地 |
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| 所在海域 | 太平洋 |
| 所属諸島 | 小笠原諸島 |
| 座標 | 北緯26度39分50秒 東経142度9分30秒 / 北緯26.66389度 東経142.15833度 |
| 面積 | 19.88 km² |
| 最高標高 | 462 m |
| 最高峰 | 乳房山 |
母島(ははじま)は、小笠原諸島の島。周囲の姉島、妹島などの島とともに母島列島を形成する。東京都小笠原村所属。小笠原村で一般住民が居住するのは父島とこの母島だけである。
母島は父島の南約50kmにあり、父島二見港から定期船ははじま丸が約2時間で連絡している。島の南部の沖村に港があり、沖村は母島唯一の集落である。
島内は南北に縦貫する都道241号線が通っているが、島内には公共交通機関はない。
国産のラム酒を製造している、小笠原ラム・リキュール株式会社の工場がある。
歴史[編集]
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- 1639年7月21日(寛永16年8月17日) - マティス・クワスト(Matthijs Quast)が指揮する、オランダ東インド会社所属のエンゲル号(Engel)とフラフト号(Graft)が2つの無人島を発見する。それぞれエンゲル島、フラフト島と命名され、エンゲル島は母島、フラフト島は父島と比定される。なおこの艦隊の副官は、後にタスマニア島とニュージーランドへ最初に到達したヨーロッパ人となる、アベル・ヤンスゾーン・タスマン(Abel Janszoon Tasman)であった[2]。
- 1670年(寛文10年) - 阿波国の浅川浦を出航した船が嵐に遭い、2か月の漂流の後で母島へ到着し、50日間滞在したとされる[3]。帰還した船員たちの証言から、江戸幕府は一帯の島々を「辰巳無人島」と名付けた[4]。
- 1675年 - 江戸幕府が調査のために探検船を派遣し、父島、母島に上陸。
- 1823年(文政6年)9月 - イギリスブリストルの捕鯨船トランジット号(Transit)が母島に来航し、母島をフィッシャー島(Fisher island)、沖港をポートコフィン(Port Coffin)と命名する。トランジット号は、記録に残る中では小笠原諸島に寄港した最初の捕鯨船である[5]。
- 1827年(文政10年)6月 - イギリス軍艦ブロッサム号(HMS Blossom)が父島に来航する。艦長フレデリック・ウィリアム・ビーチー(Frederick William Beechey)は新島発見と思い違いし、父島をピール島(Peel island)、二見湾をポートロイド(Port Lloyd)、母島をベイリー島(Bailey island)と命名し、領有宣言を行った[6]。しかし、この領有宣言はイギリス政府から正式に承認されなかった[7]。
- 1857年(安政4年) - モットレー一家が母島(沖村)に居住する。
- 1866年(慶応2年) - フレデリック・ロース、母島(沖村)に居住。
- 1879年(明治12年) - 日本人6名が母島に定住。
- 1886年(明治19年) - 父島~母島の連絡船が就航。
- 1927年(昭和2年) - 昭和天皇が戦艦「山城」で父島・母島を行幸し、母島の御幸之浜で海洋生物の調査を行う。
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 父島、母島、硫黄島に町村制が施行され、沖村、北村が設置される[8]。
- 1944年(昭和19年)7月 太平洋戦争の激化に伴い、日本本土に強制疎開となる。以降20年以上実質上の無人島となる。
- 1945年(昭和20年)9月3日 - 降伏文書の調印が行われ、小笠原諸島の日本軍は米軍に降伏したため、小笠原諸島全域が事実上米海軍の軍政下に入る。
- 1952年(昭和27年) - 小笠原支庁が廃止される。
- 1968年(昭和43年)6月26日 - 小笠原諸島が日本に返還される。東京都小笠原支庁設置。小笠原諸島全域を領域とする小笠原村が設置。
- 1971年(昭和46年) - 父島~母島の公用連絡船が就航
- 1972年(昭和47年)
- 返還から5年経ち、無人島となっていた母島への定住が始まる。[9]小笠原支庁母島出張所および小笠原村役場母島支所が設置
- 10月16日 - 小笠原諸島を国立公園に指定。
- 1973年(昭和48年)
- 9月1日 - 小笠原村立母島小学校、小笠原村立母島中学校が開校
- 小笠原村が母島に発電所を新設(翌年東京電力に移管)。
- 1974年(昭和49年) - 父島および母島の全域を都市計画区域に指定。小笠原復興計画(改定10箇年計画)が閣議決定。母島簡易郵便局が開局。
- 1976年(昭和51年)6月1日 - 伊豆諸島開発による父島~母島の定期連絡船が運行開始
- 1989年(平成元年) - 小笠原諸島振興特別措置法が小笠原諸島振興開発特別措置法と改正。村政確立10周年。父島と母島から考古学調査始まる。
- 2013年(平成25年)3月31日 - 父島・母島に、NHKのラジオ第1、ラジオ第2、FM放送の3波の中継局が設置され[注釈 1]、漸く小笠原での放送を開始する。[10]
地勢[編集]
主な施設[編集]
- 東京都小笠原支庁母島出張所
- 小笠原村母島支所
- 沖港船客待合所
- 母島観光協会
- 小笠原母島漁業協同組合
- 東京島しょ農業協同組合小笠原母島店
- 母島簡易郵便局
- 小笠原村母島診療所
- 警視庁小笠原警察署母島駐在所
- ロース記念館
- 小笠原村立母島小中学校
交通[編集]
- 母島から父島へ
- 島内交通
公共交通機関(バス・タクシー)は無いが、「有償運送」を利用できる。
名産[編集]
動植物[編集]
外来種
ギャラリー[編集]
日本最南端の郷土富士「小富士」
昭和天皇が生物調査を行った御幸之浜
タマナ(テリハボク)の並木
島の開拓に尽力したドイツ人、フレドリッヒ・ロース (1823-1898) の胸像
関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 父島中継局・母島中継局とも、ラジオ第1・ラジオ第2はFM波に変換して、FM放送はそのまま放送。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 田中弘之『幕末の小笠原--欧米の捕鯨船で栄えた緑の島』 中央公論社、1997年、ISBN 4121013883
- 山口遼子 『小笠原クロニクル 国境の揺れた島』 中央公論新社〈中公新書ラクレ 185〉、2005年。ISBN 978-4-12-150185-1。
- 中島次太郎『小笠原氏の虚像と実像』
外部リンク[編集]
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