与那国島
与那国島 | |
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所在地 |
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所在海域 | 東シナ海・太平洋(フィリピン海) |
所属諸島 | 八重山諸島 |
座標 | 北緯24度28分6秒 東経123度0分17秒 / 北緯24.46833度 東経123.00472度座標: 北緯24度28分6秒 東経123度0分17秒 / 北緯24.46833度 東経123.00472度 |
面積 | 28.95[1] km² |
海岸線長 | 27.49[2] km |
最高標高 | 231.3[2] m |
最高峰 | 宇良部岳(うらぶだけ)[2] |
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与那国島(よなぐにじま)は、南西諸島八重山列島の島。島としては日本の最西端に位置し、国境の島と呼ばれる。現在もなお、風葬の習慣を残す[3]。
概要[編集]
八重山列島の西端、台湾の北東に位置する。行政区分としては、一島で沖縄県八重山郡与那国町を成す。
日本最西端の島であり(与那国島西端の西崎(いりざき)の位置は北緯24度26分58秒 東経122度56分01秒 / 北緯24.44944度 東経122.93361度[4])[注 1]、東京からの直線距離は約2,000kmを超え、日本の領土の中で東京から最も離れた島である[7]。
主要産業は、サトウキビ等の農業、畜産業、漁業[8][9]。過疎化が進み人口は減少傾向にある[10]。
安全保障上重要な位置にあるため、2016年に陸上自衛隊の与那国駐屯地が開設されて沿岸監視隊が配備された。この配備により、自衛隊員とその家族250人が移り住んで、人口の15%近くを占めるようになり、島民の生活に変化が生じている[11][12][13]。
地理[編集]
面積28.95km2[14]で、小笠原諸島の硫黄島や父島より若干大きい程度である。人口1,680人(2018年7月31日時点)[15]、年平均気温23.8℃、年間降水量2,353.6mm[16]。石垣島からは約127kmの国境の島で、台湾(中華民国)宜蘭県蘇澳鎮までは約111kmしかなく、年に数回晴れて澄んだ日には、水平線上に台湾の山々[注 2]を望むことができる[17]。島は東西に細長く、ちょうどサツマイモのような形をしていて、起伏は激しいものの自転車でも3 - 4時間で一周が可能な大きさである。
島の地質は、隆起サンゴ礁ではなく、主に第三紀堆積岩からなる。面積は小さいながら、200m級の山があるなど起伏が大きい。また、島の南海岸は波で浸食され、断崖絶壁が多数ある。南側の太平洋からは一年を通じて強い風が吹くが、中央の山地によって遮られ、高地までは影響があるものの、島の北側では風はそれほど強くない。島の東端には東崎(あがりざき)、西端には西崎(いりざき)の2つの岬がある。
中央北部に祖納(そない)、西部に久部良(くぶら)、南部に比川(ひがわ)の3つの集落があり、町役場は祖納にある[2]。主な産業は、漁業、サトウキビ農業、畜産、観光で、島の南半分及び東崎では牛馬が放牧されている。比川の近くにはエビの養殖場もある。
港などにある船舶用の浮標は「水源に向かって左側は緑色」「水源に向かって右側は赤色」と定められているが、日本列島のほぼ全域の沿岸部分や離島においては、浮標の色を緑か赤かを定めるために、どこか特定の地点を「日本列島の水源」として決める必要がある。そのために便宜上として日本ではこの与那国島を「日本列島沿岸部の水源」として定めている[18]。
島名[編集]
与那国方言では、どぅなんちまと呼ばれる。
その由来には諸説があり、池間栄三は、「ゆうな」(オオハマボウ)という木に由来する説が有力であるとする。この説によれば、石垣島では与那国のことを「ゆのおん」というが、これは「ゆうなふん」の転訛で、「ゆうな」の「ふん」(群れ)、すなわち、ゆうなの群生を意味するという。そして、与那国方言では語頭のヤ行が濁音化してダ行となるから、「ゆうな」が「どぅな」となるとされる。また、「よな」は海岸の洲や、米、砂を意味するという説もあり、富島壯英は諸説を検討した上で、「どぅなん」は砂や米を意味する「よね」に由来すると結論付けている[19]。
与那国島付近は天候が不安定で海を渡るのが難しいため、「渡難」(どぅなん)と呼ばれるともいわれるが、俗説とされる。
気候[編集]
熱帯雨林気候(Af)に属する。
与那国島の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 27.5 (81.5) |
27.7 (81.9) |
29.0 (84.2) |
30.4 (86.7) |
33.1 (91.6) |
33.4 (92.1) |
35.5 (95.9) |
34.6 (94.3) |
34.4 (93.9) |
33.9 (93) |
30.2 (86.4) |
28.0 (82.4) |
35.5 (95.9) |
平均最高気温 °C (°F) | 20.5 (68.9) |
21.0 (69.8) |
22.8 (73) |
25.2 (77.4) |
27.7 (81.9) |
29.8 (85.6) |
31.4 (88.5) |
31.2 (88.2) |
29.8 (85.6) |
27.6 (81.7) |
24.9 (76.8) |
21.9 (71.4) |
26.1 (79) |
日平均気温 °C (°F) | 18.4 (65.1) |
18.8 (65.8) |
20.4 (68.7) |
22.9 (73.2) |
25.3 (77.5) |
27.5 (81.5) |
28.8 (83.8) |
28.5 (83.3) |
27.3 (81.1) |
25.4 (77.7) |
22.8 (73) |
19.8 (67.6) |
23.8 (74.8) |
平均最低気温 °C (°F) | 16.4 (61.5) |
16.8 (62.2) |
18.3 (64.9) |
20.8 (69.4) |
23.2 (73.8) |
25.6 (78.1) |
26.6 (79.9) |
26.2 (79.2) |
25.1 (77.2) |
23.5 (74.3) |
20.9 (69.6) |
17.9 (64.2) |
21.8 (71.2) |
最低気温記録 °C (°F) | 7.7 (45.9) |
8.4 (47.1) |
9.0 (48.2) |
12.1 (53.8) |
15.0 (59) |
17.6 (63.7) |
21.9 (71.4) |
21.7 (71.1) |
18.2 (64.8) |
16.2 (61.2) |
11.4 (52.5) |
9.1 (48.4) |
7.7 (45.9) |
降水量 mm (inch) | 198.8 (7.827) |
157.9 (6.217) |
152.1 (5.988) |
173.3 (6.823) |
207.4 (8.165) |
164.0 (6.457) |
138.5 (5.453) |
212.5 (8.366) |
293.2 (11.543) |
227.7 (8.965) |
248.3 (9.776) |
179.7 (7.075) |
2,353.4 (92.655) |
% 湿度 | 74 | 77 | 78 | 79 | 81 | 83 | 80 | 81 | 79 | 75 | 74 | 72 | 77.8 |
平均月間日照時間 | 55.7 | 57.2 | 82.4 | 99.5 | 140.1 | 182.1 | 258.9 | 229.3 | 182.5 | 136.9 | 85.9 | 64.7 | 1,575.2 |
出典 1: JMA (1981-2010) [16] | |||||||||||||
出典 2: 気象庁 |
自然[編集]
ヨナクニの名を持つもっとも有名な動物は、日本最大のガであるヨナグニサン(アヤミハビル)である。ただし、この種は与那国島の固有種でなく、近隣の石垣島や西表島でも見られ、世界的には中国、台湾をはじめアジア各地に分布している。
また、北牧場および東牧場などでは日本在来馬の与那国馬が飼育されている。与那国馬は1969年3月25日に与那国町の天然記念物に指定されている。
2010年11月1日に約1,040haの地域が国指定与那国鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)として新規指定された[20]。特別保護地区は63haである。これは国の天然記念物および国内希少野生動植物種に指定されているヨナクニカラスバトおよびキンバトの保全が目的である。これまで指定されていた鳥獣保護区は島の中央部の約187haのみで、今回の指定では地域の変更や大幅な拡充が伴われ、新規指定となっている[21]。
歴史[編集]
14世紀に沖縄本島の有力者が海上交易を始めると、その中継点として訪れた人々によって文明化されたと思われる。1522年(大永2年)に琉球王朝の支配下にとなるまでは、女首長サンアイ・イソバ(実在不明)や鬼虎(同じく)の下で独立国であった。1609年薩摩藩の琉球侵攻ののち、1611年(慶長16年)に薩摩藩役人毛利内膳正元親が来島し与那国島の測量を行い、初めて検地帳を作製した[22]。1879年(明治12年)の琉球処分と共に日本の府県制に帰属する。台湾が日本領になった時代は、台湾住民との間で砂糖や米の密取引が行われるようになり、人口は2万人まで増加した(ケーキ時代)。
1908年(明治41年)島嶼町村制で間切制が廃止され、石垣間切・大浜間切・宮良間切の3間切が与那国島とともに八重山村となる[23]。1914年(大正3年)八重山村が分村し、与那国村となる[23]。
1945年(昭和20年)に米軍の軍政下に置かれ、台湾が日本から分離したため、密取引は行われなくなり人口も急減。1948年(昭和23年)に町へ昇格し与那国町となる[23]。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ平和条約で米国統治となり、1972年(昭和47年)の沖縄返還により日本へ返還されて現在に至る。
1982年(昭和57年)、台湾の花蓮市と姉妹都市を締結[24]。
1986年(昭和61年)には、「海底遺跡」として紹介されることも多い与那国島海底地形が地元のダイバーによって発見されて話題となる。
2016年(平成28年)3月28日に、陸上自衛隊の与那国駐屯地が設立されるとともに、沿岸監視隊が発足した。
産業[編集]
主要産業は、サトウキビや水稲栽培等の農業、肉牛飼育等の畜産業、カジキマグロ漁[25]やクルマエビ養殖[26]等の漁業[9]。
与那国町地域に由来する製法によって与那国島で生産された織物(「畳べり地」を除く)は「与那国織」として商標登録されている[27]。
ダイバーに「海底遺跡」の名で知られる与那国島海底地形をはじめとするダイビングスポットに富み[11]、観光地としての認知度は高いものの、旅行者は多くない[28]。
風葬[編集]
人が亡くなった場合はまず死体を棺に納め、遺体が風化するのを待って遺骨を取り出し(通常7年後)、洗骨という手続きを経る。洗骨は親族の女性の手によって行われるのが慣習である。沖縄では風葬が多く行われてきたが、洗骨の担い手が女性であったことから女性解放運動の高まりに伴って批判が高まり、衛生面について保健所の指導を受けたことなどで沖縄で戦前まで行われていた風葬は、火葬場の設置に伴いほとんどは戦後に廃止されたが、竹富町や与那国町などの離島では未だに習慣が残っている[3]。
離島では火葬場がないことや埋葬のための土地が不足するなど地理的な問題から、沖縄で、風葬が選択されることがあった。さらに、物理ないし地理的な制約という理由だけでなく、祖先の霊が守護神になる場所の宗教施設がある。背景にはニライカナイを信仰するニライカナイ信仰という民間信仰が、風葬の風習の根底にあると言われる[3]。
安全保障と対外関係[編集]
日本の最西端にある与那国島は、台湾や中国に近接しており、日本の安全保障や対外関係において重要な位置を占めている。日本国政府は、2016年4月に与那国島を含む八重山列島等の29地域を「有人国境離島地域」に特定しており[29]、領海等の保全等に関する活動拠点としての機能を維持するために、国の行政機関の施設の設置等を図ることとしており、その中には自衛隊の部隊の増強等も含まれている[30]。
2010年12月17日に閣議決定された防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画には、与那国島を想定した100人規模の沿岸監視隊配備が盛り込まれた[31]。与那国町議会は2013年6月20日に防衛省への町有地の賃貸を承認[32]。2014年3月31日の正式契約締結を経て[33]4月19日に起工式が行われ[34][35]、2016年3月28日に与那国駐屯地が開設されるとともに沿岸監視隊が発足した[36][37]。この間の2015年2月22日に行われた住民投票では、配備賛成が多数を占めている[38]。
また、原子力規制委員会は、台湾等での原子力発電所の事故の発生を検知するために放射線監視装置(モニタリングポスト)を与那国島及び対馬に設置し、2018年2月15日に運用を開始している[39][40]。
交通[編集]
島外[編集]
空路[編集]
- 与那国空港 - 琉球エアーコミューターの定期路線が、那覇空港(1日1往復)及び新石垣空港(1日3往復)との間に就航している。
海路[編集]
- 久部良港 - 西部の久部良地区にある漁港。福山海運のフェリー「フェリーよなくに」(週2便)が、石垣島の石垣港との間に就航している。
- 祖納港 - 北部の祖納地区にある地方港湾。海況が穏やかな時季に「フェリーよなくに」が利用することがある。
島内[編集]
- 道路 - 沖縄県道216号与那国島線が島内を一周している。
- 路線バス - 与那国町営バス(最西端観光に運行委託)が一周線等を運行している。
与那国島と台湾間の航空便[編集]
与那国町と台湾間で、期間が限定されてはいるものの、チャーター便が過去に飛んでいる。
2007年(平成19年)10月4日、与那国空港から台湾の立栄航空による初の台湾直行チャーター便が台北国際空港に到着。花蓮市との姉妹都市締結25周年を記念した、与那国町の友好親善交流団128人が、乗り換えなしに直接台湾に入った[41]。
2008年(平成20年)7月4日、台湾の復興航空によるチャーター便が6日まで台湾花蓮市と与那国島を結び、双方から合わせて91人の乗客が利用している[42][43]。
2009年(平成21年)2月27日には、台湾の復興航空のチャーター便が往復。花蓮市から61人が来島し、与那国町からは30人が花蓮市に向かっている[44]。
名所旧跡・観光[編集]
名所旧跡[編集]
- 東崎(あがりざき)
- 西崎(いりざき)
- 宇良部岳(うらぶだけ)
- 久部良バリ(くぶらばり)
- 人升田(とぅんぐだ)
- 予告なくほら貝やドラを鳴らすことによって15-50歳の男子を招集し、規定時間内にこの田に入りきれなかったものを殺したとの伝承がある。
- ティンダバナ
- 国指定の名勝[47]。
- ダティグチディ
- 軍艦岩[49][50]
- サンニヌ台(三根台)[49]
- 立神岩(頓石(トンガン))[49]
- 与那国島海底地形
- 自然地形とする説のほか、海底遺跡とする説もある。
- 人面岩
- 人の顔を思わせる石
- 六畳ビーチ
- 砂浜の広さが六畳ほどしかないビーチ
ダイビング[編集]
ダイビングの名所として非常に有名な島である。特に冬場に西崎で見られるハンマーヘッド(シュモクザメ)は人気があり、多くのダイバーが訪れる。また、人工物とする説もあり、「遺跡ポイント」と呼ばれる与那国島海底地形にも潜ることができる。このポイントは、非常に潮の流れが速いことがあるため、上級者向けのポイントであるが、状況によっては初級者も見ることができる。ダイビングサービスは島内に5軒ある。
Dr.コトー診療所[編集]
与那国島は、2003年夏に放映されたフジテレビ系列のドラマ「Dr.コトー診療所」の撮影地となった。比川には撮影に使用した診療所のセットが残っており、有料で内部を見学できる。2004年11月に放送された「Dr.コトー診療所2004」や、2006年10月から放送の続編「Dr.コトー診療所2006」でも、与那国島でロケが行われている。与那国空港や港の観光案内所では、ロケ地めぐり用のパンフレットを配布したり、写真展を開催したりしている。
花酒[編集]
日本国内では与那国島だけで生産されている特産物として、花酒(はなさき)がある。「はな」とは初めの意で、泡盛と同様の製造過程で最初に留出されるアルコール度数60度の非常に強く純度の高い蒸留酒である。一般的な泡盛はアルコール分45度以下で酒税法上単式蒸留焼酎に分類されるのに対し、アルコール分60度の花酒は原料用アルコールに分類される。島内で以下の3つの銘柄が製造されており、いずれもクバ(ビロウ)の葉で巻かれた独特の瓶に詰めて出荷される[51]。
放送[編集]
与那国島を舞台とする作品[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ “島しょ別面積”. 沖縄県 (2018年5月2日). 2018年9月3日閲覧。
- ^ a b c d “与那国島について”. 与那国町 (2018年4月5日). 2018年9月3日閲覧。
- ^ a b c “東証一部 鎌倉新書公式サイト - 遺体を自然に還す究極の自然葬「風葬」とは”. 2020年10月30日閲覧。
- ^ “都道府県の東西南北端点と重心の経度緯度”. 国土地理院. 2007年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月26日閲覧。
- ^ a b “日本最西端、260メートル先へ 与那国島の岩を地形図に”. 八重山日報. (2019年6月11日)
- ^ “日本最西端、260m北北西へ 沖縄県・与那国島の岩を地形図に”. 共同通信. (2019年6月10日)
- ^ a b “日本の東西南北端点の経度緯度”. 国土地理院. 2018年9月8日閲覧。
- ^ “与那国町、町制施行70周年を祝う 町民と協働の島づくりへ”. 八重山毎日新聞. (2017年12月3日) 2017年12月3日閲覧。
- ^ a b “沖縄体験滞在交流促進事業 与那国町”. 内閣府沖縄振興局. 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月4日閲覧。
- ^ “与那国、きょう町昇格70年”. 八重山毎日新聞. (2017年12月1日) 2017年12月3日閲覧。
- ^ a b “与那国に陸自駐屯地 発足半年、変わる島の暮らし”. 日本経済新聞. (2016年9月5日) 2017年12月3日閲覧。
- ^ “与那国島への陸自配備から1年余 島民に溶け込む自衛隊 国境の砦に「活気」と「安心」もたらす「地域のために 地域とともに」”. 産経ニュース. (2017年7月3日) 2017年12月3日閲覧。
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- ^ “日本の浮標式”. 海上保安庁 第十一管区海上保安本部. 2018年9月8日閲覧。
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- ^ a b “与那国紀行”. 美ら島物語. 日本トランスオーシャン航空 (2001年3月16日). 2018年9月8日閲覧。
- ^ “泡盛コラム vol.24 花酒”. 美ら島物語. 日本トランスオーシャン航空 (2003年11月15日). 2018年9月8日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 与那国町役場
- 与那国島観光案内 - 与那国町商工会
- 与那国島 - DOR39(沖縄39離島観光情報サイト)
- 与那国島 - 八重山物語(石垣市経済振興公社)
- 与那国島 - おきなわ物語(沖縄観光コンベンションビューロー)
- 与那国島 - リトハク(沖縄観光コンベンションビューロー)
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