ミクロネシア

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ミクロネシア(Micronesia)は、オセアニアの海洋部の分類の一つ。日本ではイギリス英語風の発音でミクロネシアと呼ばれることが多いが、アメリカ英語風の「マイクロネシア」とも言われる。 現地では、アメリカ英語式での発音が普通である。

ミクロネシア(赤),ポリネシア(紫),メラネシア(青)

概要[編集]

概ね南緯3度~北緯20度、東経130度~180度の範囲にある諸島の総称である[1]。ただし、沖ノ鳥島南鳥島は含まれない。パラオミクロネシア連邦[2]ナウルマーシャル諸島の各国およびキリバスギルバート諸島地域と、アメリカ合衆国の領土であるマリアナ諸島ウェーク島も含まれる。なお、マリアナ諸島のうち最南端のグアム島は米国の準州であり、その他の島は米国の自治連邦区(自由連合州)である北マリアナ諸島に属する。

ミクロネシアはギリシャ語で「小さな島々」の意味である。また、ポンペイ島を中心とする「ミクロネシア連邦」をミクロネシアと略称することもある。

ミクロネシアの島々は、その地質構造によって大きく二つの種類に分類される。火山島サンゴ島である。火山島は西部ミクロネシアのマリアナ諸島(テニアン島を除く)、ヤップ島、パラオ島、中央ミクロネシアのチューク島郡、ポーンペイ島、コスラエ島の6群島で、他の小さな島々はすべてサンゴ島である。 火山島の面積はサンゴ島よりもだいたい大きく、高度も数百メートルあるものが多い。最大の島はマリアナ諸島にあるグアム島である。面積約550平方キロメートルで高さは約400メートル。パラオ本島バベルダオブ島は面積約400平方キロメートルで高さは約200メートル、ポーンペイ島は約340平方キロメートルで高度734メートル、コスラエ島は約116平方キロメートルで高度約650メートルである。[3]

先住民の大半はミクロネシア系であるが、カピンガマランギ島など、ポリネシア系の住民が暮らす島もごくわずかに存在している(域外ポリネシアと呼ばれる)。ちなみにミクロネシア海域でもポリネシアに隣接するカロリン諸島には、ポリネシアのものに極めて近い航法技術が残存しており、先史時代のミクロネシアとポリネシアの間で文化的交流があり、かつ両者が同じオーストロネシア系民族によって形成された文化であることを示している。

現代では、太平洋芸術祭などによってポリネシアやメラネシアの先住民との文化的交流が為されている他、ミクロネシア連邦ヤップ州サタワル島の航法師ピウス・ピアイルックがハワイの先住民運動(ハワイアン・ルネッサンス)に協力し、その功績から「パパ・マウ」と呼ばれている。

太平洋戦争大東亜戦争)は、ミクロネシアの人々にとって、初めての近代的戦争経験であり、この地の社会・文化を覆す事件であり、アジア・太平洋的伝統社会システムからキリスト教的価値観を基礎とする欧米的生活様式への転換となった[4]

この戦争は、今なおミクロネシアの各所にその痕跡を残している。たとえば、キリバスのタラワ環礁の海岸には、日本軍が使った砲座がずらりと並んでいる。パラオのペリリュー島では、草むらの中に日本軍戦車が何台も放置されている。パプアニューギニアのスタンレー山系の山中では、日本軍兵士の鉄兜が発見される。サイパン島では崩壊した日本軍陣地に銃砲が空に向けられたままになっている。ミクロネシアの各地の海岸線に岩盤を刳り貫いたトーチカが掘られている。また、日本軍兵やアメリカ兵の墓標(慰霊碑)が、戦後になって遺族や政府などによって建立されている。[5]。1946年~1958年にかけて信託統治していたアメリカが110回あまりの原水爆実験を実施した。その影響でロンゲラップの人たちをはじめ第五福竜丸など多くの人々が被爆した[6]

政治行政単位は、北マリアナ連邦(1986年コモンウェルス)、ミクロネシア連邦(1986年自由連合国[7]チュークヤップポーンペイコスラエからなる)、マーシャル諸島共和国(1986年自由連合[7])、パラオ共和国(1994年自由連合[7][8](以上の4つは政治的には独立しているが、アメリカによって自由連合協定援助金([9]コンパクト・グラント)を供与されている[10]。)、ナウルキリバス

人口(2000年の推計値)は、514,400人である[11]

歴史[編集]

先史時代のミクロネシア[編集]

ミクロネシアの航海術に使われた「海図」の例

この地域の考古学的研究はまだ発展途上であり、はっきりしたことはわかっていないが、今から4200年前頃までは無人島であった。ミクロネシア西部のマリアナ諸島には、今から3500年前頃から人が移住してきており、土器や石器、貝製装飾貝類をつくり、サンゴ島内での漁労などを行い暮らしはじめた[12]。 文化的に見て、最初にフィリピン周辺から直接パラオ、ヤップなどに植民したオーストロネシア系グループと、後に西ポリネシア方面からカロリン諸島に植民したオーストロネシア系グループがいたのではないかと推測されている。

この地域の先住民の文化を最も強く特色づけているのは、シングル・アウトリガー・タイプの航海カヌーであり、彼らはこれを用いて広範な交流を行っていた。特にヤップ島はこれらの島々の中でも最も強力な権力を持ち、カロリン諸島の島々から定期的にヤップ島まで貢ぎ物を届ける航海(サウェイ交易)が行われていた。ヤップ島の酋長の権力は現在も強く、カロリン諸島の島々に対して一定の権威を保持している。

年表[編集]

  • 先史時代に人類がこの海域に到達するが、彼らは文字を持たなかったので、この時期の詳しい歴史はわかっていない。
  • 西洋人がこの海域に到達した時点で、現在のミクロネシア連邦ではヤップ島が強い権力を保持し、カロリン諸島の島々からヤップ島に向けてサウェイ交易と呼ばれる貢ぎ物交易が行われていた。
  • 16世紀頃にスペイン船が幾度も訪れる。
  • 18世紀頃にスペインが領有を進める。この際、天然痘などの疫病によって多くの先住民が死ぬ。
  • 19世紀になって、海外植民地を維持する力を失ったスペインが、グアムを除いた大部分をドイツ帝国に売却する。以後、ドイツがミクロネシアの広範な海域を統治。この時期、ドイツはサウェイ交易を含む先住民の遠洋航海を禁止した。遠洋航海の禁止は大日本帝国による統治時代も継続される。
  • 19世紀末には、スペインがカロリン諸島、ドイツがマーシャル諸島、イギリスがギルバート諸島を領有した。
  • 1914年 - 第一次世界大戦勃発。大日本帝国も参戦し、海軍がドイツ要塞を次々に攻略して占領する。
  • 1918年 - ドイツ帝国が革命によって停戦。
  • 1920年 - ヴェルサイユ条約により、グアムを除く赤道以北が日本の委任統治領となる。以後、日本は南洋庁を置いて統治を進める。経済的利用の為の開発が行われ、又先住民に対する日本語での学校教育を行う。また沖縄県出身者を中心に日本人が多数移住する。南洋拓殖株式会社などが次々に殖産し、砂糖などを日本へ輸出して、貿易は黒字であった。
  • 1935年 - 日本が国際連盟を脱退。南洋群島と呼ばれたミクロネシア諸地域を自国領に編入する。
  • 1941年 - 太平洋戦争が勃発。12月10日、日本軍はオーストラリア攻略の拠点としてグアム島占領、ミクロネシアの戦乱が始まる。
  • 1943年 - ミクロネシアで、日本軍敗退が明確になる。11月ギルバート諸島(マキン、タラワ環礁=現在のキリバス国首島)での玉砕。
  • 1944年 - 米軍の攻勢が始まり、マーシャル諸島、トラック諸島、マリアナ諸島、カロリン諸島、パラオ諸島の一部の島が米軍の占領下に置かれる。7月7日、マリアナ諸島サイパンの玉砕。
  • 1945年 - 日本が降伏する。

第二次世界大戦後[編集]

国連の信託統治領として、アメリカが統治した。ミクロネシア内では、教育を受けるため、職を得るために、パラオ、ヤップ、ポーンペイ、サイパンの間で人口の相互移動が見られた。

  • 1946年 - この年からアメリカの核実験が開始された。
  • 1947年 - アメリカ合衆国の信託統治領となる。以後、アメリカは日本の痕跡や農地を破壊した上で、開発を行い、先住民に英語で学校教育を行う。また、ビキニ環礁エニウェトク島核兵器の実験場にするが、多額の補助金を地方ごとに支給し、産業が無いにもかかわらず、住民の生活は(物質的には)かつて無いほど豊かになった。
  • 1950年 - グアム自治法により、グアムが自治権を得、organaized unincorporated territory(準州)となった。
  • 1952年 - 日本国との平和条約により、日本が外地全てを放棄する。
  • 1954年 - アメリカの水爆実験が開始された。この時、ビキニ、エニウェトクの住民も被ばくした。キリ島へ強制移住させられたが、21世紀の今も放射能が残っており、避難住民は故地へ帰還できないでいる。(因みに、日本の焼津のマグロ漁船第五福竜丸がこの海域で被爆し、漁船乗組員が死亡した。)

独立と信託統治時代[編集]

人種・民族[編集]

ミクロネシア人の女性

ミクロネシアの民族はモンゴロイドオーストラロイドが混じった人種に属す。ポリネシア人メラネシア人との混血が複雑に進んでいて、それぞれの人々の身体的特徴の差異が大きい[13]。短身痩躯で褐色の肌に黒髪を有する。

ミクロネシアミの民族はオーストロネシア人の一派だがその起源は2系統ある。1つはスラウェシ島から直接東に進路をとったグループで、パラオ人やチャモロ族が含まれる。2つ目はスラウェシ島からニューギニア島沿岸部を経てメラネシアより北上したグループで、ミクロネシア諸語を話すキリバス人、カロリン人などが含まれる。

言語[編集]

地域による差異はあるが、オーストロネシア語族に属しており、南東部においてはナウル語コスラエ語などといったミクロネシア諸語が広く話される。ミクロネシア諸語には全部で50種類前後の特有言語があり、それぞれが近似性を保ちながらも島嶼間の交流の困難さから独自に発展していった[14]。ミクロネシアで流通している言語のうち、ミクロネシア諸語に含まれないものとしてはマリアナ諸島チャモロ語ヤップ島ヤップ語パラオ共和国パラオ語ヌクオロ島ヌクオロ語カピンガマランギ島カピンガマランギ語がある[15]。これらはスラウェシ島から直接東進したグループでありミクロネシア諸語とは経歴を異にする。

共通した特徴としては自然現象に関する語彙や表現の豊かさ、食物や魚類、航海技術に関する用語が多く見られることが挙げられる。例えばウォレアイ語では、ココナッツを表現するのに、実の熟し具合によってgurub,sho,paawolが存在するなど、名詞の豊富さがうかがえる[16]

その他、16世紀以降の植民地化の影響によってスペイン語ドイツ語英語日本語などから多くの借用語彙が誕生している[17]。日本語からの借用語はナッパ、ハラマキ、ジドーシャなど、日常的に用いられる名詞も数多く含む[17]。近年は都市部で英語の影響が顕著となっており、伝統を保ってきた土地の固有言語は廃れつつある[17]

社会[編集]

宗教[編集]

元来ミクロネシア人は独自の精霊信仰を持っていたが、植民地化に伴いキリスト教が普及した[13]。16世紀に移入したキリスト教は第一次世界大戦後の日本統治を経ても廃れることは無く、今日のミクロネシアの人々の生活に根付いている[18]。一方で、万物に霊が宿るとした伝統的な信仰体系は一部の島を除き廃れていってしまっている[13]

ベテル・チューイング
ヤップ島の石貨

生活[編集]

古来よりミクロネシア人の社会体系はヤップ島ギルバート諸島などの一部を除けば母系制が一般的であり、女系系譜を共有する親族集団によって土地の所有・移譲が行われてきた[19]。ただしこの制度もドイツ日本の統治政策の影響によって廃れている島もあるため、現在では一意の特徴を見出すことはできない[13]。政治的にも首長制を選択して複雑な地位体系を構成し、階層社会を築き上げたポンペイ島コシャエ島などから、親族体系以外の地位を持たないチューク諸島カロリン諸島などまで、様々な文化が混在している。

西欧諸国との接触により金属の存在が知られるようになると、ミクロネシア人の生活環境は大幅に変容したが、それまではなどを原料とした釣り針ココヤシ繊維の網などを用いた漁撈生活を主とし、パラオ諸島など一部の島では土器も利用されていた[13]。栽培や家畜の飼育も小規模ながら行われており、ブタイヌニワトリの飼育、タロイモパンノキココヤシヤムイモの栽培などがなされている[20]

文化的にはポリネシアメラネシアとの共通項が見られ、キンマの葉に包んだビンロウの実と石灰を混ぜたものを噛む習慣(ベテル・チューイング)やメラネシアのカヴァに相当するシャカオなどがある。こうした文化的な共通性はミクロネシア東部に行くほど色濃くなっている[13]

また、ヤップ島では現代においても儀礼的交換を行う場合には石貨(フェ)を使用しており、貨幣の中では世界最大を誇る[21]

ミクロネシアの木彫像(ディルカイ)- メトロポリタン美術館

芸術[編集]

美術[編集]

ミクロネシア人の美術は木彫工芸にその特徴を見ることができ、パラオ諸島の象嵌細工(ディルカイ)、モートロック諸島の仮面(タプアヌ)、チューク諸島ポンペイ島の儀礼用の櫂などが知られる[13][22]。また、近年パラオでは日本人彫刻家土方久功が伝えたストーリーボード(パラオの歴史や伝説を浮彫りにした木彫り細工)が観光用民芸品として広く作られるようになっている[23]

音楽[編集]

ミクロネシアの音楽は島嶼間の相互交流により類似性を示しつつも各島でそれぞれ伝統的な発展を見せた[24]。主として身体打奏やほら貝による吹奏が見られるが、ポリネシア人が用いるような打楽器はほとんど見られない。また、伝統的な踊りについては、数人から数十人によって短い旋律の歌詞を繰返し歌いながら同一の動作を取るように踊り、跳躍は生じないのが一般的である。動作は性別によって緩やかな規定があり、連動しながらもそれぞれ別個の動きを取る。

近年では若者を中心として汎ミクロネシアポップスと呼ばれる歌中心の音楽が流行しており、1960年頃より徐々に発展した。これは、土着化した賛美歌や外来音楽(J-POPハワイアンロック (音楽)レゲエヒップホップなど)と現地音楽を融合させたもので、ラジオやライブなどを中心に広がりを見せている[25][26]

脚注[編集]

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  1. ^ 東経130度~175度の間、2300を超す島々が散在する。陸地面積は、2851平方キロメートル。(印東道子「太平洋戦争(ミクロネシアの島じま」/ 印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 16ページ)
  2. ^ 1991年国際連合に加盟
  3. ^ 印東道子「火山島とサンゴ島」/ 印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 20-21ページ
  4. ^ 高橋康昌「太平洋戦争(第二次世界大戦)」/ 印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 82ページ
  5. ^ 高橋康昌「太平洋戦争(第二次世界大戦)」/ 印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 84-85ページ
  6. ^ 印東道子「ミクロネシアの島じま」/ 印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 19ページ
  7. ^ a b c 軍事権と軍事にかかわる外交権はアメリカに委任、その他の権限は保持する。
  8. ^ コンパクト・グラントは、GDPの2倍、政府予算の4倍
  9. ^ GDPの約40%、政府予算の約50%
  10. ^ 高橋康唱「自立と経済」/印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 189ページ
  11. ^ 棚橋訓「解説 オセアニア意島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 184ページ
  12. ^ 印東道子「ミクロネシアの人々」/ 印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 44-45ページ)
  13. ^ a b c d e f g 矢野1990
  14. ^ 印東2005、p.48
  15. ^ 印東2005、p.51
  16. ^ 印東2005、p.49
  17. ^ a b c 印東2005、p.52
  18. ^ 印東2005、p.49
  19. ^ 田辺1983
  20. ^ 一谷2003
  21. ^ 印東2005、p.174
  22. ^ 印東2005、p.155
  23. ^ 印東2005、p.156
  24. ^ ワールドカルチャーガイド、p.100
  25. ^ 印東2005、p.182
  26. ^ ワールドカルチャーガイド、p.78

参考文献[編集]

書籍[編集]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]