レッドウィング作戦

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レッドウィング作戦セミノール実験
セミノール実験で飛散する放射性降下物
レッドウィング作戦ダコタ実験
レッドウィング作戦アパッチ実験

レッドウィング作戦(Operation Redwing)はアメリカ合衆国が実施した第17次の核実験シリーズで、1956年の5月から7月にかけて行われた。実験は全てビキニ環礁、及びエニウェトク環礁で行われた。本作戦はウィグワム作戦に続くものであり、本作戦の後にはプラムボブ作戦が行われた。作戦の主な目的は、新しい第2世代の熱核兵器のテストを行うことであった。また実験には、熱核兵器のプライマリー[要曖昧さ回避]用としての核分裂爆弾のテスト、及び防空用の小型戦術兵器のテストも含んでいた。レッドウィング作戦は、米国最初の航空機投下型の水爆テスト”チェロキー”を行ったことで特筆できる。なぜなら1954年のキャッスル作戦で行った多数の実験では、核出力が予想を大きく上回ることになったため、レッドウィング作戦は”エネルギー予算”の手法に基づき実施された(この手法は放出されるエネルギーの限度を制限するもので、核分裂による核出力もまた厳密にコントロールされた)。核融合容器の周囲を覆う天然ウラン製のタンパーは、核融合反応で放出される高エネルギー中性子により(また、一部はプルトニウムに変化してから)核分裂反応を起こし、熱核兵器の核出力を強力に増大させると共に、莫大な量の放射性降下物を発生させた(核分裂に比べると、核融合は比較的クリーンな反応である)。

レッドウィング作戦で実施された各実験の詳細を以下に示す。

レッドウィング作戦の詳細 [1]
実験名 実施日 (GMT) 実施場所 核出力 備考
ラクロス (Lacrosse) 1956年5月4日18:25 エニウェトク環礁 40キロトン 北緯11度33分14秒 東経162度20分53秒 / 北緯11.55389度 東経162.34806度 / 11.55389; 162.34806 
チェロキー (Cherokee) 1956年5月20日17:51 ビキニ環礁 3.8メガトン 米国初の投下型熱核爆弾 (Mark 15)
ズニ (Zuni) 1956年5月27日17:56 ビキニ環礁 3.5メガトン 最初の3段階式熱核兵器
ユマ (Yuma) 1956年5月27日19:56 エニウェトク環礁 0.19キロトン 不完全核爆発 (しかし爆弾の重量は43.6kgしかなかった)
エリー (Erie) 1956年5月30日18:15 エニウェトク環礁 14.9キロトン  
セミノール (Seminole) 1956年6月6日00:55 エニウェトク環礁 13.7キロトン 水を入れたタンク内での爆発
フラットヘッド (Flathead) 1956年6月11日18:26 ビキニ環礁 365キロトン 意図して放射性降下物を多量に発生させた、いわゆる汚い爆弾
ブラックフット (Blackfoot) 1956年6月11日18:26 エニウェトク環礁 8キロトン  
キカプー (Kickapoo) 1956年6月13日23:26 エニウェトク環礁 1.49キロトン  
オセージ (Osage) 1956年6月16日01:14 エニウェトク環礁 1.7キロトン  
インカ (Inca) 1956年6月21日21:26 エニウェトク環礁 15.2キロトン  
ダコタ (Dakota) 1956年6月25日18:06 ビキニ環礁 1.1メガトン  
モホーク (Mohawk) 1956年7月2日18:06 エニウェトク環礁 360キロトン  
アパッチ (Apache) 1956年7月8日18:06 ビキニ環礁 1.85メガトン  
ナバホ (Navajo) 1956年7月10日17:56 ビキニ環礁 4.5メガトン 95%が核融合による反応。米国が行った核実験で最もクリーンな爆発
テワ (Tewa) 1956年7月20日17:46 ビキニ環礁 5メガトン 87%が核分裂による反応。米国が行った核実験で最もダーティな爆発
ヒューロン (Huron) 1956年7月21日18:12 エニウェトク環礁 250キロトン  

全ての実験名は、実在したネイティブ・アメリカンの族名から取られている。

脚注[編集]

  1. ^ Redwing test series from The Nuclear Weapons Archive retrieved 05/31/2008

関連項目[編集]