ノーフォーク島

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ノーフォーク島
Norfolk Island
ノーフォーク島の旗 Coat of Arms of Norfolk Island.svg
地域の旗 地域の紋章

地域の標語:不明
地域の歌:女王陛下万歳
ピトケアン賛歌

ノーフォーク島の位置

公用語 英語ノーフォーク語
主都 キングストン
最大の都市 キングストン
政府

女王 エリザベス2世
総督 ピーター・コスグローブ
行政官英語版エリック・ハッチンソン (政治家)英語版

面積

総計 34.6km2N/A
水面積率 極僅か

人口

総計(2014年 2,210人(N/A
人口密度 61.9人/km2
成立不明
通貨 オーストラリア・ドル (AUD)
時間帯 UTC +11DST:なし)
ISO 3166-1 NF / NFK
ccTLD .nf
国際電話番号 672

ノーフォーク島(ノーフォークとう、Norfolk Island)は、太平洋にあるオーストラリア領の。オーストラリアとニューカレドニアニュージーランドの間に位置しオーストラリアの東、南緯29度02分、東経167度57分に位置する。面積34.6km2、人口2,210人(2014年)。主都はキングストン

歴史[編集]

最初の住民[編集]

ノーフォーク島の最初の居住者は、バナナの木と石器を持ち込んで12世紀に住み着いた東ポリネシア系の人々であった。彼らはある程度の期間居住したが、クックの発見までにいなくなった。いつどういう事情で絶えたか、あるいは退去したかは不明である[1]

発見と第一次植民[編集]

1774年ジェームズ・クックが発見し、ノーフォーク公爵の名に因んでノーフォーク島と命名した。クックが上陸した時、島は無人だった。 クックらは岸辺に亜麻が密生し、内陸にノーフォーク松が覆っているのをみて、この島が海軍の資材補給地として有望だと考えた。

報告を受けたイギリスは、本国から遠く離れた船舶に資材を供給する拠点としてノーフォーク島に期待をかけた[2]マオリ人の抵抗がみられたニュージーランドと異なり、無人であることもよかった[3]。本国政府は、このような適地を他の列強に占領されるとやっかいなので、オーストラリア植民のついでに先手を打って押さえてしまおうと考えていた[4]。かくて1788年ポートジャクソンから囚人が移送され、オーストラリアのニューサウスウェールズと共にイギリス流刑殖民地となった。

人口は1788年4月に23人だったが、1794年7月には1149人(うち囚人は443人)に達した。だが、亜麻と見えたのは別種のマオランで、品質面で劣った。ノーフォーク松は船舶のマストに向かないことが判明した[5]。かつ、天然の良港を欠き、港湾施設は不備なままで、植民地としての将来は暗かった。人口は1804年からしだいに減少し、1814年に放棄された[6]

その後[編集]

1825年に再開され1856年までに流刑地として存続し続けた。オーストラリアが流刑地でなくなるに従いノーフォーク島も流刑地でなくなり、1856年バウンティ号の反乱者の子孫194人がピトケアン島から移り住み、それ以来ピトケアン島民がノーフォーク島の主要な定住者となった。オーストラリア本土から島への移民は第二次世界大戦後に増加した。1913年にニューサウスウェールズ州に代わってオーストラリア連邦政府が管理する特別地域になり、1979年にはノーフォーク島法により立法評議会が設立された。2015年5月12日にオーストラリアの下院によりノーフォーク島の立法評議会の廃止が採決され、2016年7月にノーフォーク島の自治法は廃止された。

政治[編集]

1979年以来ノーフォーク島法により立法評議会がある。住民は島の独自性を保つことを望んでおり、オーストラリア政府との間には簡単にいかないところがある[7]1991年にはオーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州の一部になる事を拒否した。しかし、オーストラリアの下院は2015年5月12日にノーフォーク島の立法評議会側の意向を無視する形で、ノーフォーク島の自治法案の廃止を強行採決で可決した。これはノーフォーク島の行政サービスなどが貧弱だとの理由で、ノーフォーク島の独自の立法・行政権を廃止し、ニューサウスウェールズ州の法律が適用される一般の地方自治体に置き換える法案である。 廃止となったノーフォーク島の立法評議会に代わり、ノーフォーク島の行政の管理権は、オーストラリア総督が任命した行政官が行う事となった。ノーフォーク島の行政の長は2017年4月1日に就任したエリック・ハッチンソンである。

しかし、ノーフォーク島民の約70%近くが現状維持の島独自の自治権を持つ事を望んでおり、島民の発言権を無視した行為だと、オーストラリア政府に反発している。島民はオーストラリア政府に対して、自治権を残す事を要求し、大規模な抗議デモが行われ2015年にノーフォーク島の自治権を守る「ノーフォーク・アイランド・ピープル・フォア・デモクラシー(NIPD) 」と言う団体が国連に対しノーフォーク島を国際連合非自治地域リストに登録するように求めている。

また島民の一部ではオーストラリアからの独立を主張する声があり、2013年に当時、ノーフォーク島の議会議長兼首席大臣だったリーズ・スネル氏は、ノーフォーク島は単独で生き残る事が出来ると主張。ピトケアン島のバウンティ号の反乱者の末裔でもあるスネル氏はノーフォーク島とピトケアン島の人々は自分自身の自己決意として権利を持っていると、ラジオ・オーストラリアで語り、オーストラリアとの将来の関係は明白ではなかったと、オーストラリアからの独立を主張していた。またノーフォーク島の元首相で「ノーフォーク・アイランド・ピープル・フォア・デモクラシー(NIPD) 」の代表アンドレ・ノブスは2017年8月にノーフォーク島はオーストラリアよりニュージーランドとの関係性が強いとして、ニュージーランドの領土として自由連合のクック諸島ニウエの様な関係を築いた方が良いと主張し、国連で主張するとしている。

地理[編集]

ノーフォーク島の地図
アンソン・ベイ(2006年1月)
島に生えるノーフォークマツ(2006年8月)

太平洋に位置する火山性ので、オーストラリアの東、ノーフォーク島は南緯29度02分、東経167度57分に位置し、ニュージーランドの北島からもオーストラリア本土より近く、ニューカレドニアの南に位置する。約6キロメートル南のフィリップ島、1キロメートル南のネピアン島、および岩礁からなる小さな群島の主島である。ノーフォーク島以外は現在無人で、ノーフォーク島の国立公園の一部になっている。

島の北部は標高の低い山地で最高地点のベイツ山(318m)とピット山(316m)がある。島の南部は標高の低い緑豊かな丘がほとんどで牧草が多い。ノーフォークマツ(別名パインツリー)と言う島の特産のマツが島のあちらこちらに生い茂る。

主な町は島の南海岸の湾に主都のキングストン(Kingston)で人口の大半はここに集中している。後は南西の空港近くの湾にロッキー・ポイント(Rocky・Point)とロングリッジ(Longridge)、島の中央部にバーント・パイン(Burnt Pine)とミドルゲート(Middlegate)、北西のアンソン湾にアンソン・ベイ(Anson Bay)、東にスティールス・ポイント(Steeles Point)、ピット山近くの北西のカスケード湾にカスケード(Cascad)などの集落の村々がある。

経済[編集]

島の生活水準は高い。観光が盛んで1970年代から観光業が重要な産業になっており、観光客が急増している。これに従い労働市場が開拓された。観光客の増加により、人口は1961年の844人から年々増加している。主作物には柑橘類コーヒーバナナなどで果物や野菜の輸入は禁止され現地で栽培されている。牛の酪農、畜産も行われており、牛肉は地元産で輸入されている。ワインの生産も行われツー・チムニーズ・ワインはノーフォーク島を代表するワイナリーである。1956年には捕鯨の基地が島に造られたが、1962年以降は休止している。島の経済活動はこれまでオーストラリア政府に頼らずノーフォーク島の自治政府が独自に管理して行って来た。島の生活水準は基本的に高いものの、ここ何年かは島の財政難を抱えており、2016年7月の自治政府廃止後はオーストラリア政府が島の経済の管理を行う。

交通[編集]

島の西にノーフォーク島空港があり、シドニーからの直行便がある。

住民[編集]

住民はピトケアン島から来たバウンティ号の反乱者の末裔(イギリス人水夫とポリネシア人の混血)とオーストラリアとニュージーランドから来た白人などである。

言葉は公用語が英語だが、ノーフォーク語(イギリス西部地方の英語とゲール語と現地語であるポリネシア語の混成言語)を話す。

宗教はキリスト教がほとんどである。

文化[編集]

ノーフォーク島といえばパインツリーともいわれるノーフォークマツ(ノーフォーク松)が有名である、オーストラリアやハワイラナイ島などにも見られるが、原産地は、ここノーフォーク島であり、島のあちらこちらでこのマツが見られるし、ノーフォーク島の旗にも描かれている。クックはノーフォーク島に来た時、丈夫で大きく見事なこのマツに感心して、ノーフォークマツで新しいマストを作ってエンデバー号の壊れたマストに替え、再び航海に出た。ノーフォークマツは現在、島の重要な輸出材でもある。

島の主都キングストンは流刑地(ジャッキー・ジャッキーやオーストラリアで有名なアウトローネッド・ケリーの息子ジョン・レッド・ケリーら犯罪者はノーフォーク島に送られている)として発展し、イギリスの南太平洋の植民地ではオーストラリアのシドニーに続いて2番目に古い植民地だった。

オーストラリアの女性作家コーリン・マカラックはノーフォーク島に魅せられてノーフォーク島に移り住んでいる。

生物[編集]

ノーフォーク島には、以下の鳥類が固有種として生息している。人間の諸活動や外来種のために生息数が激減し、絶滅したり、絶滅が危惧されている種類がある。

脚注[編集]

  1. ^ Hoare "The Island's Earlist Visitors", p19-21.
  2. ^ Clarke "The Reasons for the Settlemnet of Norfork", p28.
  3. ^ Clarke "The Reasons for the Settlemnet of Norfork", p29.
  4. ^ Clarke "The Reasons for the Settlemnet of Norfork", p35-36.
  5. ^ Clarke "The Reasons for the Settlemnet of Norfork", p34.
  6. ^ Nobbs "Viewing the First Settlement", p5.
  7. ^ O'Collins, An Uneasy Relationship, p.xiii.

参考文献[編集]

  • Frank Clarke "The Reasons for the Settlement of Norfork Island 1788", in Raymond Nobbs (ed.) Norfolk Island and Its First Settlement, 1788-1814.
  • Hoare, Marvel "The Island's Earlist Visitors", in Raymond Nobbs (ed.) Norfolk Island and Its First Settlement, 1788-1814.
  • Nobbs, Raymond (ed.) Norfolk Island and Its First Settlement, 1788-1814, Library of Australian History, Sydney, 1988.
  • Nobbs, Raymond "Viewing the First Settlement", in Raymond Nobbs (ed.) Norfolk Island and Its First Settlement, 1788-1814.
  • O'Collins, Maev An Uneasy Relationship: Norfork Island and the Commonwealth of Australia, Pandanus Books, 2002.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]