母系制
母系制(ぼけいせい、ドイツ語:Matrilinearität 英: matriliny)とは、動物において、母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度である[1]。シャチ等に見られる[1]。対義語には父系制がある。類似する言葉に母権制(ぼけんせい、英: matriarchy)がある。
母系制[編集]
母系制では、概ね次のような特徴を持つ
- こどもが 母方の姓を名乗る(母姓継承)
- 娘(たち)が母方の位階を継承する(母性位階継承)
- 娘(たち)が母方の財産を相続する(母系相続)
- 結婚後も夫婦は別居、もしくは妻方(母方)の共同体に居住する(母方居住制)
母系制は継承・相続が母方の血縁によることだけを意味するので、よくある母権制的な理解は誤り。むしろ、政治的な支配権は母の兄弟や長女の夫が持つ場合が多い。
母系制と父系制を対等対立にあるものとして観念化したままでいてはならない。日本で実際の母系制は男性差別社会とは無縁だったが、父系制は女性差別社会と一体でありがちだからである。
重要なことは母系制において姓が、より父系的な方向へ向かって変わることがあり得ることで、そのような場合に氏族名は母系を名乗るが、出自には父系の姓も含めることができる。このため、古代氏族の多くは権威を求めて皇室や有力豪族の末裔を名乗り、『新撰姓氏録』などには皇祖神から多くの氏族が記録される結果(これを多祖現象と呼ぶ[2])となったと考えられている[3]。
社会制度とは少々異なるが、エジプトのファラオの継承制度もこれに近しい形態をとっている。
母権制[編集]
対して母権制は母系制を尊重し、妻方を主体とする共同体内で婚姻生活を営み(妻方居住婚)、さらには一族の家長(家母長制)、首長的地位を女性が優先して有する社会制度を指す。
スイスのJ・J・バッハオーフェンが『母権制論』(1861年)で説いた概念である。論によれば、父権による家長制が確立する前の段階にあたり、文化的には狩猟による生活が安定した時期では生活の余裕から舞踊や性快楽に耽って乱婚し、夫婦関係が正確ではなくなって一族の出自が母親でしか辿れなくなった社会基盤を原因としたためとした。
これを原始共産制とよび、この説はエンゲルスにも支持されマルクス主義の教義にもなったが、20世紀に入ると説中の例示に脆弱さがあったこと、科学的立場からの反論、母系制との混同と誤謬を徹底的に指摘され、人類発展史の一段階としての母権制を想定する説は否定され、現在の文化人類学者で支持する者はほとんどいない。
戦前の民族史家高群逸枝もその著作は旧憲法下および男系優位社会下において同様の批判を浴びたが、後に母権制とは趣旨を異にしているとする理解が進み、歴史研究の1つの成果として評価を得るに至っている。
エマニュエル・トッドは父系制的な社会の人間は双系的な社会を女権支配的な社会だと思い込むものであり、バッハオーフェンは父系制であった古代ギリシャ人の仕掛けた罠に見事に嵌ってしまったのだと指摘しつつ、古いシステムにおける方が女性の地位は高かったとする考えは正しいとした[4]。
出典[編集]
- ^ a b 한겨레. “追撃し、嚙みちぎり、溺れさせ…シャチのシロナガスクジラ狩りを初確認”. japan.hani.co.kr. 2022年6月26日閲覧。
- ^ 古庄ゆき子「高群逸枝覚え書(一) : その母系制研究を中心として」『別府大学国語国文学』第12号、別府大学国語国文学会、1970年11月、32-44頁、NAID 120002445701。
- ^ 高群逸枝『大日本女性史 第1巻 - 母系制の研究』
- ^ エマニュエル・トッド 家族システムの起源 上 pp.196-198, 下 pp.467-468, pp.504-510, 藤原書店, 2016, ISBN 978-4865780727
参考文献[編集]
高群逸枝『招婿婚の研究』至文堂、1963年 高群逸枝『大日本女性史 第1巻 - 母系制の研究』恒星社厚生閣、1949年