黒島 (長崎県佐世保市)

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黒島の位置(長崎県内)
黒島
黒島
長崎県内の黒島の位置

黒島(くろしま)は、長崎県北部の北松浦半島の南西沖合にある島。全島が佐世保市に属している。

地理[編集]

本村地区から望む黒島港。

概要[編集]

黒島港より時計回りに、本村(ほんむら)、東堂平(とうどうびら)、古里(ふるさと)、日数(ひかず)、根谷(ねや)、名切(なきり)、田代(たしろ)、蕨(わらべ)の8地区からなる。
九十九島の一つに数えられるが、他の島からはやや西の方に離れて位置している。なお、九十九島の中では面積が最大である。

名前の由来[編集]

黒島の島名には、二つの説があるといわれている。

一つは、黒島を海上から見た際、樹木が密生しており黒く見えるために、「黒島」というのだという説。もう一つは、カトリック教徒が多く住んでいたため、『クルス島』(cruz=ポルトガル語十字架の意味)といわれ、これがなまって「クロ島」になったという説である。

歴史上では、鎌倉時代平戸松浦氏の始祖である峯五郎披の所領中に黒島の地名が出てくるが、それは日本へのキリスト教伝来よりもずっと前のことなので、黒島の地名は海上から見ると木々が黒々しているためにそう呼ばれるようになったという説が有力であると考えられている。また本島は孤島にもかかわらず島内のいたるところに湧き水があり、そのことから古くは「水島」とも呼ばれていた。

町名[編集]

1958年、町名が設置された。

  • 黒島町(くろしまちょう)
旧・北松浦郡黒島村→佐世保市黒島免。黒島全域を1町とする。

歴史[編集]

黒島は室町時代後期から戦国時代初期にかけて、松浦氏が北松浦半島や周辺島嶼の統一を進める過程でその領地となった。その後松浦氏の家臣である西氏が付近に出没していた海賊討伐の褒美として黒島を与えられ、島の直接の統治を行うようになった。戦国時代後期に一度キリスト教が伝わり、古里地区にキリシタンが暮らしていた。

江戸時代になると、黒島は平戸島(現在の平戸市)に居城を置く平戸藩の領地となった。その当時の黒島は、石高(米の収穫量)は少ないものの、農業漁業に加え、御影石の採石地、軍馬の飼育地(根谷地区)として知られていた。

1803年享保3年)に牧場が廃止され、大規模な田畑の開墾が始まり、江戸幕府禁教政策による弾圧から逃れた大村藩キリシタン達が移住するようになった[2]1865年慶応元年)に長崎浦上のキリシタンが大浦天主堂で信仰を明らかにした「信徒発見」から数ヵ月後には、早くも黒島の信徒代表者が大浦天主堂を訪ね、その後明治時代カトリックに復帰した。1902年明治35年)には現在のカトリック黒島天主堂が建てられ、いまも島民の約7割がカトリック信者といわれる。

明治の町村制以降は北松浦郡黒島村という一島一村となり、1954年昭和29年)に佐世保市に編入、同市黒島免を経て1958年(昭和33年)に同市黒島町となり、現在にいたる。

産業[編集]

漁業と農業が中心。

農業については、平戸藩の牧場が廃止されてから本格的に始まり、島内の至るところで湧く水を活かし、島の中心では水田が切り拓かれた。黒島天主堂が建つ田代地区の地名は田圃に由来する。黒島の土は赤土のため、根菜類、イモタマネギなどは非常に美味しく、佐世保市内でも買い求める人も多かったが、高齢化のため農業従事者が減ったことと農協が集荷を廃止したため、黒島からの出荷が極端に減っている。

漁業は佐世保市近辺の磯焼けのため、漁獲高も激減しているが、黒島近辺で取れるウニアワビイセエビなどは現在も人気が高く、買い求めるのも困難となっている。

かつては御影石の生産が盛んで、黒島天主堂にも島内で切り出された石が使われており、現在も名切地区には石材店が複数ある。

交通[編集]

船舶[編集]

黒島へ渡航する際は、佐世保市の相浦桟橋[3]からの船舶を利用することになる。相浦桟橋へのアクセスは次の通り。

ニューフェリーくろしま
黒島旅客船「フェリーくろしま」
  • 運行区間 : 相浦港 - 高島港 - 黒島港 
  • 運賃・所要時間
    • 相浦港 - 高島港まで 大人1名570円/約20分
    • 相浦港 - 黒島港まで 大人1名720円/約50分
  • 運航ダイヤ
    • 平常ダイヤ
      • 相浦港発 - 10:00 / 13:00 / 17:00  
      • 黒島港発 - 6:40 / 11:10 / 15:30
    • 増便ダイヤ
      • 黒島港発 - 6:50 / 9:40 / 13:10 / 15:40
      • 相浦港発 - 8:30 / 11:00 / 14:30 / 17:00
      • かつて、睦丸の運航終了に伴う需要増に対応するため、毎週月曜日も増便ダイヤで運航していた。また、一部の便を危険物専用便(毎週第2月曜日と第4月曜日の相浦港11:00発と黒島港13:10発)とし、車両の乗船を不可(旅客は25人まで乗船可能)とする措置もとられていたが、いずれも現在は、二代目フェリーくろしまが就航したため解除されている。
      • 車両の乗船については事前に予約が必要(予約の受付は乗船の1ヶ月前より、黒島旅客船の黒島事務所にて行う)。
      • 繁忙期の増便ダイヤの実施期間は、ゴールデンウイーク…4月29日から5月8日まで、お盆…8月13日から8月16日まで、年末年始…12月29日から翌年1月5日(1月1日を除く)まで。
      • 毎年1月1日は運休。また台風など悪天候の場合は欠航することもある。
かつて運航していた船舶
  • 「睦丸」 - 船舶の老朽化のため、2013年平成25年)5月31日運航終了。
    • 基本的には貨物船で12名まで搭乗可能であった。
    • 運航区間 : 相浦港 - 黒島港(高島港は経由しない)
    • 所要時間 : 約60分
    • 運航本数 : 1日3往復
    • 運賃 : 大人1名700円
    • 黒島旅客船と同じく、繁忙期には1往復増便され1日4往復運航となっていた。黒島港発・相浦港発それぞれ最終時刻を繰り下げて運航していた。

島内の交通[編集]

2014年現在、島内には公共交通機関がない。黒島港から島の中心部にある市役所黒島支所までは徒歩約30分。黒島ではテーラーと呼ばれる農作業用コンバインのようなもので移動をする方が多い。

施設[編集]

公共[編集]

教育機関[編集]

  • 佐世保市立黒島中学校
  • 佐世保市立黒島小学校
  • 黒島保育園(社団法人経営)

その他[編集]

女瀬(めぜ)地区にある串の浜岩脈。
名切(なきり)地区にある黒島天主堂。

名所・観光スポット[編集]

  • 黒島天主堂 - 国の重要文化財。1902年に当時の主任司祭マルマン神父が島の信徒とともに建造。2007年(平成19年)1月に「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産の一つとして世界遺産暫定リストへの追加記載が決定したが、2016年に「黒島の集落」という扱いに包括されることとなった。詳細は下記の重要文化的景観の項を参照。
  • 串の浜岩脈 - 島西部の海岸にある総延長約300mに及ぶ長崎県最大の玄武岩岩脈(地元では女瀬(めぜ)地区という)。県指定天然記念物。
  • 根谷の大さざんか - 根谷(ねや)地区(島で一番温暖な地区)に樹齢250年~350年と言われる大きなさざんかがある。さざんかの実から取れる油を使っていたと言われている。佐世保市指定天然記念物。
  • 佐世保市役所黒島支所に支所職員が作成したパンフレットがあり、支所を訪ねた観光客の希望により配布している(モノクロ版のみ)。
  • 島内観光の際、史跡ガイド及びウォーキングなどはNPO法人黒島観光協会へ事前に電話で予約を行っていくとよい。

重要文化的景観[編集]

黒島はアコウ防風林閃緑岩石垣などに見られる独特の居住形態や生業を特色とする景観が「佐世保市黒島の文化的景観」の名称で重要文化的景観に選定されている。

世界遺産に推薦していた長崎の教会群とキリスト教関連遺産が、「日本におけるキリスト教の特殊性は2世紀以上にわたって迫害に耐えた点にあり、江戸時代を中心とする禁教期を強調すべき」との国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の勧告により一旦推薦を取り下げた。信仰復活期(明治時代以後)に建立された黒島天主堂は、信仰を守り抜いた象徴としての位置付けのみならず、隠れキリシタンとのつながりを明確にする必要に迫られ、隠れキリシタンが入植し開拓した島内集落景観を主体とする重要文化的景観を拠り所とすることが決まった[4]。これをうけ島内に八カ所あるキリシタン墓地などの意義と価値を再検証することとなった[5]

舞台となった作品[編集]

製作 - 田中友幸、東宝 / 監督 - 谷口千吉 / 主演 - 宝田明青山京子 / 配給 - 東宝、1956年(昭和31年)10月16日公開、イーストマンカラー、98分

脚注[編集]

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関連項目[編集]

座標: 北緯33度8分30.3秒 東経129度32分4.1秒 / 北緯33.141750度 東経129.534472度 / 33.141750; 129.534472