波照間島

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波照間島
Haterumajima Island Aerial photograph.2009.jpg
波照間島の空中写真。
2009年11月9日撮影の15枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本の旗 日本 沖縄県八重山郡竹富町
所在海域 東シナ海太平洋フィリピン海
所属諸島 八重山諸島
座標 北緯24度3分33秒 東経123度46分57秒 / 北緯24.05917度 東経123.78250度 / 24.05917; 123.78250 (波照間島)座標: 北緯24度3分33秒 東経123度46分57秒 / 北緯24.05917度 東経123.78250度 / 24.05917; 123.78250 (波照間島)
面積 12.73 km²
海岸線長 14.8 km
最高標高 59.7 m
波照間島の位置(八重山列島内)
波照間島
波照間島
波照間島 (八重山列島)
波照間島の位置(沖縄県内)
波照間島
波照間島
波照間島 (沖縄県)
波照間島の位置(日本内)
波照間島
波照間島
波照間島 (日本)
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波照間島の位置
日本最南端之碑(2019年9月10日撮影)

波照間島(はてるまじま)は、沖縄県八重山諸島の島。八重山郡竹富町に属する。日本最南端の有人島である。面積12.73 km2[1]、人口は482人(2021年3月末現在[2])。

概要[編集]

有人島として日本最南端の島であるとともに、民間人が日常的に訪問できる日本最南端の地[注 1]でもあり、「日本最南端の碑」と「日本最南端平和の碑」が建てられている。また、島内にある波照間郵便局は「日本最南端の郵便局」である。緯度が低く、日本国内で南十字星を好条件で観測できる数少ない島である。

波照間島のさらに南に「南波照間島」(パイパティローマ)があるという伝説がある。重税から逃れるため、1648年に島人が南波照間島に渡ったという伝聞が、琉球王府の記録である『八重山島年来記』に記されている[3]

波照間島にはサキシマハブなどのハブ類は生息していない。

歴史[編集]

集落には比較的多くの琉球瓦の民家が残されている。
第二次世界大戦末期には、陸軍軍曹山下虎雄により西表島の南風見への強制疎開が行われた。(西表島忘勿石)

波照間島に人が住み始めたのは、八重山列島では西表島に次いで2番目に早かったと推定されている。それは下田原貝塚に残る痕跡からも確認されて、3700年前まで遡るとされる。遺跡から出土した土器は「下田原式土器」と呼ばれる。八重山地域の文化は縄文文化の圏外で、インドネシア系文化と深い関係があったと推測される[4]。しかし、この後、人の生活の痕跡は途絶え、3 - 12世紀頃の無土器文化までの間が空白になっている。下田原貝塚のすぐそばにあったこの文化は、フィリピン系文化との関連性が指摘されている。14 - 15世紀に至ると、群雄割拠時代に入り八重山は中国日本との私貿易で力を付けるようになる。波照間でも競合が起こり、独自貿易の結果、下田原城、マシク村のような要塞集落が築かれる。また、このころには、オヤケアカハチ長田大主など歴史に残る英雄も輩出する。

しかし、沖縄本島の統一を成し遂げた琉球王府が西へと進出、ついには1500年、オヤケアカハチが琉球王朝側に付いた宮古の仲宗根豊見親に敗れ、八重山は琉球王府の支配下に入った。17世紀には琉球王府が薩摩藩の支配下に置かれると人頭税制度が導入され、過酷な支配の始まりとなり、重税から逃れるため「南波照間島」(パイパティローマ)をめざし、島を離れる人々の伝説も残されている。さらに18世紀に入ると、島分けがたびたびおこなわれるようになり明和大津波で壊滅した集落の復興という名目で他島への強制移住が実施された。19世紀後半に至り、明治政府により琉球王国が日本へ編入されるが、その後も人頭税は課され20世紀に至りようやく廃止された。また、波照間島は首里から最も離れた島であったため、政治犯などの流刑地でもあったとされる[要出典]

第二次世界大戦末期には、陸軍軍曹山下虎雄を名乗る諜報員陸軍中野学校より送り込まれ、その指揮により西表島の南風見への強制疎開が行われた。住民の多くは反対したが、軍の命令であったため仕方なく従ったものの、西表島は当時マラリア発生地帯で、島民のほとんどがマラリアに感染し、3分の1が死亡した。南風見田の浜の石には、当時の学校長が刻んだ「忘勿石」の文字が今も残されている(詳しくは「戦争マラリア」を参照)。

島名の由来[編集]

古くから「ハティローマ」と呼ばれていたと考えられており、15世紀中頃の『李朝実録』でも「補月老麻伊是麻」(ホティローマイジマ)と記されている。現在は、波照間島では「パチラー」、石垣島では「パチルマ」、「ハティローマ」、「ハティロー」などと呼ばれる。このような名称は「果てのうるま」(「うるま」は、琉球または珊瑚礁の意味)に由来するという説が一般的であり、波照間という表記は当て字である[5]

これに対して、金関丈夫インドネシア系言語であるアミ語台湾アミ族の言語)で「沖の島」を「ボトル」と呼ぶことと関係があるのではないかとの説を唱え、宮良当壮と論争になった[6]

現地では「ベスマ」と呼ばれることがあるが、これは「我らの島」という意味で、島名ではない[5]

地理[編集]

地勢[編集]

島の成因は隆起珊瑚礁であるが、比較的起伏が大きい。中央部には標高60 mに達する地点もあり、この付近に波照間島灯台が立つ。

気候[編集]

年間の平均気温は24.1℃。冬季には北東風を中心に強い季節風が吹く。降水量は1,789 mmと日本平均よりやや多い[7]7月から9月にかけてはしばしば台風の直撃を受け大きな被害が出ることがある。一方、台風が少ない年は少雨となり農作物のできに悪影響が出たり、海水温の上昇でサンゴが死ぬなどの影響がある。

波照間 1981年から2010年
雨温図説明
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気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁 2011年9月6日閲覧
インペリアル換算
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気温(°F
総降水量(in)

熱帯雨林気候 (Af) に属する。

  • 最寒月平均気温 18.8℃(1月)
  • 最暖月平均気温 28.9℃(7月)
  • 年間平均気温 24.1℃
  • 乾燥限界 622 mm<年平均降水量 1789.7 mm
  • 最少雨月降水量 106.2 mm(12月)

集落[編集]

南共同売店

島の西(イリ)に最初の集落とされる冨嘉(フカ)があり、中央部に前(メー)、名石(メーシ)の2集落、東(アリ)には、南(ペー)、北(ニシ)の2集落、総計5つから構成される。小中学校・診療所・郵便局が存在する。それぞれの集落には小さな共同売店がある。社会関係は、兄弟(ビギリ)と姉妹(ブナリ)の結びつきと、双系的親族を基本とする[8]。島全体が西(イリ)と東(アリ)に分かれ、その境界はタカナブチという。富嘉が西でブナリで、東はビギリとされ、姉妹の兄弟に対する霊的優越の考え方から、西が全てにおいて優位にたつ。かつて行われていた綱引きでは必ず西が勝ち、東から綱に託して、豊穣(ユー、世)を引き込むとされていた。

住所[編集]

全域が沖縄県八重山郡竹富町波照間となっている。郵便番号は907-1751である。

暮らし[編集]

水道[編集]

波照間島に設置されているマンホール

島には川がなく渇水や井戸の水質に悩まされてきた歴史がある。現在は、海水を淡水化し水道水として利用している。

電力[編集]

波照間島には2基の可倒式風車(計490kw)があるが、モーター発電機蓄電池を調整力として活用することで、風力100%由来の電力供給を長時間、安定的に続けることに成功した。主要な電力の供給力は5台あるディーゼル発電機(計1,250kw)である。風力発電の電気を無駄なく利用するためには、ディーゼル発電機の出力をできるだけ下げて需給バランスを保つ必要があが、内燃機関の特性上、出力を50%未満に抑えることができず、風力の出力を制限せざるを得なかった。この制約を解消するために導入されたのが、「MGセット」と呼ぶモーター発電機(300kw)で、2017年度中に島内に設置し、2018年から実証事業として運用を開始された装置である。この装置により、波照間島の電力需要が290kw~440kw(1時間平均)だった2020年11月10日午前11時33分から14日午後3時49分までの100時間16分の間、すべて風力由来の電力で需要を賄う長時間記録を成し遂げた[9]

沖縄電力離島の電気事業は離島カンパニーという部門が管轄しているが、離島の需要規模が小さく沖縄本島から離れていることから、本島に比較し甚大な燃料費や修繕費、輸送費などのコストがかさむことが長年の課題となっていた。離島の収支不均衡を改善するために、自然エネルギーの活用のために風力発電が計画された。しかし、沖縄では台風被害が常にあり、与那国島を始め何基かの風車が強風によって損傷・倒壊されてきた。あるとき、沖縄電力の担当者が海外のベンチャー企業で規模は小さいが強風時に倒せる風車があることを知り、採用したが、これが後に、離島カンパニーで「可倒式風車」と名づけられることになる風車である。可倒式風車はフランスのベルニエ社が唯一製造を行っていた。一般的な構造と異なり、ブレードは2枚。タワーの部分を4本の支線ワイヤーで支え、タワー下部の油圧ウィンチ部分を駆動させることで、90度の傾倒が可能となる。強風に耐える必要が無いため、大変簡素なものである。日本法律の制限を乗り越え、技術基準への適合性が認められ建設地に波照間島に白羽の矢が立った。2009年9月、着工し12月に運転が開始された。高さ38m、ブレード直径32m。後に南大東島に2基、粟国島に1基、多良間島に1基の可倒式風車が導入された。メンテナンスも地上レベルででき、修繕費の削減に大きく貢献。発電能力に対する実際の発電量は太陽光発電を上回り、波照間島では島の電力の約20%、南大東島では約10%の電力をまかなっている。粟国島では年間の発電量が約44万kWh、120世帯分の電力を供給することが可能となり、風力発電で島全体の約4分の1の電力をカバーしている[10]

産業[編集]

サトウキビ畑

農林水産業[編集]

1960年代まではカツオ漁が盛んで[5]鰹節に加工して出荷していたが、近年[いつ?]漁業専従者は一桁となっている[11]

就業人口の約3分の1が農業に従事する[11]。かつてはが作られたが、1960年代初頭に製糖工場が立地したことを契機にサトウキビ栽培への転換が進んだ[12]2001年には、75億円の事業費と22年間の歳月を費した土地改良(ほ場整備)事業が完了した。一方でスイカメロンパッションフルーツモチキビなどの栽培も試行されている。ヤギ2005年平成17年)調査時で登録数で411頭、さらに野生のヤギがその数倍いるといわれる。また和牛の飼育も約30戸ほどが行い、2005年(平成17年)当時で五百数十頭を飼育している。

観光[編集]

入域観光客数は、1989年(平成元年)から2005年(平成17年)までは13,000人 - 14,000人を中心に推移していた[13][注 2]2007年(平成19年)から20,000人以上に急増し、2016年(平成28年)は過去最高の約36,000人に上った[注 3]

2006年(平成18年)の時点では宿泊施設民宿10軒のみで収容能力も69室・189人しかなかったが、同年にペンション[14]、2008年(平成20年)にはホテル[15]が開業し、2015年(平成27年)時点の宿泊施設は21軒(うち民宿16軒・233人収容、旅館2軒・47人収容、その他3軒・44人収容)に増加している[16]

なお、島内での野宿キャンプ等は禁止されている[17]

製造業[編集]

波照間酒造所

島内唯一の酒造所である波照間酒造所では「泡波」という泡盛を生産しているが、基本的に島内消費分のみの製造のために製造量が極端に少なく、島外での入手が極めて困難なことから「幻の泡盛」とも呼ばれている[18][19]

1963年(昭和38年)に操業を開始した[5]波照間製糖が、特産のサトウキビから製糖を行っている。

泡波酒店

教育[編集]

竹富町立波照間小中学校

波照間島唯一の学校であるが、高校はない。
航路がある石垣市の高校へ通学するとなれば片道2時間前後となる上、1日3往復しかなく、冬季や荒天時は欠航になりやすいことから、高校に進学する生徒は島を出なければならなくなる。

民俗[編集]

島の祭祀は女性の司(ツカー)が行う。富嘉に草分け筋の家があり最高位である。各集落には拝所(ウツ・ヌ・ワー)があり、南方の三つの森の御嶽(ピティ・ヌ・ワー)を拝む。富嘉は真徳利、名石と前は阿幸俣、南と北は白郎原の各御嶽を拝む。年間の祭祀は数多く、拝所や御嶽での祈願や島の各所を拝む行事が行われ、豊富な神歌が伝えられてきた[20]

島には天変地異によって兄と妹が生き残り、この2人から生まれた子孫が島民であるという人類起源神話と、粟や稲などの穀物が海の中からもたらされたという穀物起源神話が語られていた[21]

旧暦7月のの時期はソーリンといい、ミチサネーと呼ばれる行列が各集落から出て、島の中央の旧オーセー(役所)の広場で様々な芸能が奉納される。これをムシャーマという[22]

交通[編集]

波照間港(2019年9月10日撮影)
波照間空港(2019年9月10日撮影)

島内[編集]

島内に国道県道はない。また、島内には信号機が一箇所も設置されていない[23]。島内レンタカー業者は二社。民宿がレンタサイクルを行っている場合もある。坂が多く徒歩観光には向かない。

航路[編集]

波照間港と石垣島の石垣港などとの間の航路に安栄観光が就航している。また、八重山観光フェリー2018年(平成30年)8月から新造船による参入を検討中と報じられた[24]が、不定期航路への就航は果たした[25]ものの、定期航路への参入には慎重な姿勢を示している。

  • - 石垣港石垣島
    • 高速船(旅客船)
      • 夏季4便・冬季3便。片道 3,090円(2017年10月現在)[26]
      • 石垣港では離島ターミナルに発着。
      • 黒島付近で石西礁湖から外洋に出るため、波浪が高く、揺れが激しくなる。このため、冬季を中心に欠航率が50%を超えることも少なくない。2015年度の欠航率は下記のとおり[27]
      • 2017年10月8日に旅客定員210名、284tの大型双胴客船「ぱいじま2」が就航。就航率を10%程度改善することが期待されている。一方、所要時間は従来の約60分から約80分に長くなる[28][29][30][31]上、実際には90-120分程度での運航が常態化している[32]
      • かつて波照間海運が同じ航路で高速船「ぱいぱてぃろーま」を運航していたが、2011年に運航休止となった[33]
    • 貨客船(フェリー
      • 毎火曜日、木曜日、土曜日、第2・第4金曜日に1日1便運航[34]。片道 1,540円(2017年8月現在)[34]
      • 石垣港では離島ターミナルではなく、八島フェリーターミナルに発着。切符は、離島ターミナル内の安栄観光カウンターではなく、旧離島桟橋近くの安栄観光貨物事務所で発売している。
      • 高速船が高波で運休する場合でも貨客船は運航できることが多いが、旅客定員が52名[35]のため、発売後すぐに切符が売り切れることもある。
      • かつては貨客船「フェリーはてるま」で運航。この貨客船はかつて波照間海運が同航路で運航していた船舶であるが、2012年に同社による運航が休止された後、安栄観光が受け継いで運航していた[33]。老朽化のため、2019年に同規模の代替船として「フェリーはてるま2」が就航している[28]
石垣航路(高速船)の欠航率(2015年度)
年月 2015年
4月
5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 2016年
1月
2月 3月
欠航率 13.3% 13.7% 41.7% 50% 26.6% 10% 29% 21.1% 50.5% 53.8% 56.3% 20%
  • - 仲間港(大原港)(西表島
    • 高速船(旅客船)。不定期運航で、予約が必要[36]

空路[編集]

波照間空港
2007年11月30日までは琉球エアーコミューターが、同年12月28日より2008年10月まではエアードルフィン石垣空港便が就航していた。しかし、エアードルフィンの運行停止以降は就航路線がない。2022年4月30日に第一航空によって石垣線が再開される予定であった[37][38]が、使用予定機材が多良間空港での訓練中に事故を起こした[39]ため、就航が延期されている[40]

名所・旧跡・観光スポット[編集]

コート盛
星空観測タワー
ニシ浜

文化財[編集]

史跡
  • 下田原城跡 - 国の史跡[41]
    • 下田原貝塚 - 県指定史跡(1956年(昭和31年)10月19日指定)。
  • コート盛 - 先島諸島火番盛(国の史跡)のひとつ。
  • シムスケー - 竹富町指定史跡(1972年(昭和47年)8月30日指定)。
  • 長田御嶽 - 竹富町指定史跡(1972年(昭和47年)8月30日指定)。
  • アカハチ誕生の地 - 竹富町指定史跡(1972年(昭和47年)8月30日指定)。
名勝
  • 高那崎 - 日本最南端之碑、日本最南端平和の碑がある。竹富町指定名勝(1972年(昭和47年)8月30日指定)。
天然記念物
  • 浜シタン群落 - 竹富町指定天然記念物(1972年(昭和47年)8月30日指定)。
無形民俗文化財
  • 波照間島のムシャーマ - 選択無形民俗文化財(1993年(平成5年)11月26日選択)。
  • 波照間島節、夜雨節、祖平花節、波照間口説、波照間口説 - 竹富町指定無形民俗文化財(民謡の部)
  • 太鼓(テーク)、波照間島節、夜雨節、祖平花節 - 竹富町指定無形民俗文化財(舞踊・狂言の部)

名所・観光スポット[編集]

  • 高那崎 - 日本最南端の岬
    • 日本最南端之碑、波照間之碑、日本最南端平和の碑
  • 星空観測タワー
    • 高那崎に程近い南海岸に立つ。周囲に人工的な灯りが極めて少ないため、他所では見えにくいを肉眼で観測することができる。200 mmの屈折式天体望遠鏡プラネタリウム(故障中)が設置されている。ただし、夜間の開館は不定である[42]
  • 波照間島灯台
  • 底名溜池展望台
  • 毛崎 - 浜シタン群落を抜けた先の岬。夕日の名所。

海岸[編集]

島の周囲にはニシ浜、ペー浜、ペムチ浜など白砂の美しい砂浜が多いが、ニシ浜以外は基本的に遊泳禁止。ニシ浜も竹富町の指定海水浴場ではなく[45]監視員も配置されていない[46]。シャワー、トイレ、ベンチはあるが、売店はない[47]

2006年5月17日には、修学旅行に来ていた横浜市立鶴見工業高等学校の男子生徒3名が遊泳区域外の海に入り、1名が死亡、1名が行方不明(後に死亡認定)になる事故が起きている[48]

波照間島を舞台とする作品[編集]

  • 太陽の子 - 小説。
  • Qシリーズ - 波照間島出身の凜田莉子を主人公とする小説シリーズ。
  • 本日も晴れ。異状なし - 波照間島をモデルとした架空の島「那瑠美島」を舞台としたドラマ。
  • 火線上のハテルマ - 漫画。主要人物の波照間猛らの故郷である。
  • 金田一少年の事件簿(怪盗紳士の殺人) - 漫画、テレビドラマ、アニメ。事件解決の鍵となる南十字星が描かれた絵画の場所、及び犯人の父親が被害者達から薬物中毒にされ、入院させた先の病院が所在する場所として登場。
  • うしおととら - 漫画、アニメ。大妖である白面の者を封じる結界の場の1つとして登場。
  • 南国トムソーヤ - 漫画。波照間島を主なモデルとした架空の島「波照那島」を舞台としており、御嶽やムシャーマなどの島の伝統が重要なテーマとして描かれている。
  • ディスアポイントメント・ハテルマ - オーストラリアにあるディスアポイントレイクと、波照間島の位置関係をコンセプトに作られた、坂本龍一土取利行のコラボレーションアルバム。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 領土としての日本最南端は東京都小笠原村沖ノ鳥島(北緯20度25分31秒)だが、満潮時には大半が海面下になる小さな環礁であり、定期航路もないため、民間人が訪れることは極めて困難である。
  2. ^ サザンクロス交流フェスタが開かれた1998年(平成10年)には当時過去最高の23,463人を記録し、翌1999年(平成11年)にも20,000人を超えている[13][14]
  3. ^ 2016年の竹富島の入域観光客数は48万人、西表島は33万人[13]

出典[編集]

  1. ^ 平成28年全国都道府県市区町村別面積調 島面積 (PDF)”. 国土地理院. p. 108 (2014年10月1日). 2015年3月16日閲覧。
  2. ^ 竹富町地区別人口動態票(令和3年3月末) (PDF)” (日本語). 竹富町. p. 2. 2021年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月30日閲覧。
  3. ^ 「石垣市史叢書13 八重山島年来記」p.28, 石垣市、2009年2月13日発行
  4. ^ 金関丈夫国分直一・多和田真淳・永井昌文「琉球波照間島下田原貝塚の発掘調査 (PDF) 」『水産大学校研究報告 人文科学編』第9号、1964年
  5. ^ a b c d 島村修 (1998). “波照間島総合調査にあたって” (PDF). 波照間島総合調査報告書 自然・歴史・民俗・考古・美術工芸. 沖縄県立博物館. http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/issue/report/image/hateruma/hateruma1.pdf 
  6. ^ 谷川健一『日本の地名』岩波新書、1997年4月21日[要ページ番号]
  7. ^ 波照間 平年値(年・月ごとの値) 気象庁、2011年9月6日閲覧
  8. ^ 宮良高弘『波照間島民俗誌』木耳社、1972年[要ページ番号]
  9. ^ 沖縄電力、波照間島の全需要を再エネ由来電力で100時間供給”. 電氣新聞. 2022年6月9日閲覧。
  10. ^ 日本初を最南端の有人離島へ”. 沖縄電力. 2022年6月9日閲覧。
  11. ^ a b 竹富町総合戦略 資料集 (PDF) 竹富町、2016年3月
  12. ^ 仲底善章「波照間島の神行事について -プーリン(豊年祭)を中心に- (PDF) 」(『波照間島総合調査報告書 自然・歴史・民俗・考古・美術工芸』沖縄県立博物館、1998年)
  13. ^ a b c 竹富町公式サイト - 平成元年~平成28年 竹富町入域観光客数(年別)
  14. ^ a b 波照間島の星空観測タワー 八重山毎日新聞、2006年8月12日
  15. ^ 波照間島初のホテル誕生 by 【波照間島】 仲底美貴 - 島々からの便り やいまねっと
  16. ^ 高山クミ他「沖縄県八重山諸島・波照間島の現状と未来 : 持続可能な観光マネジメントを考える」 ホスピタリティ・マネジメント 6(1), 179-238、2015年、亜細亜大学経営学部
  17. ^ 竹富町役場 はてるまっぷ”. 2021年4月8日閲覧。
  18. ^ 幻の泡盛「泡波」を飲む方法とは マイナビニュース、2013年12月2日
  19. ^ 波照間酒造所公式サイト
  20. ^ Ouwehand, Cornerius, Hateruma:Socio-religious aspects of a South-Ryukyuan Island, E.J.Brill, Leiden, 1985 コルネリウス・アウエハント『HATERUMAー波照間:南琉球の島嶼文化における社会=宗教的諸相』(中鉢良護訳)榕樹書林、2004年[要ページ番号]
  21. ^ 鈴木正崇「波照間島の神話儀礼」『民族学研究』42巻1号、日本民族学会、1977年。『祭祀と空間のコスモロジー対馬沖縄春秋社、2004年に再録
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]