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百島 (広島県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
百島
所在地 日本広島県
所在海域 瀬戸内海
座標 北緯34度22分10秒 東経133度15分56秒 / 北緯34.36944度 東経133.26556度 / 34.36944; 133.26556
面積 3.08 km2
海岸線長 11.9 km
最高標高 184.1 m
百島の位置(広島県内)
百島
百島
百島 (広島県)
百島の位置(日本内)
百島
百島
百島 (日本)
プロジェクト 地形
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百島(ももしま)は、瀬戸内海中部の芸予諸島にある。行政的には広島県尾道市に属する。

地理

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2017年(平成29年)8月末時点の人口は298世帯489人。郵便番号は722-0061(尾道郵便局管区)。芸予諸島内の北方の天辺に浮かび、尾道港から鞆の浦の海道中間にある。山陽道筋のほぼ中央に位置する。

人口

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1711年(正徳元年) 61世帯
587人
1804年(文化元年) 128世帯
739人
1872年(明治5年) 275世帯
1624人
1920年(大正9年) 363世帯
1830人
1940年(昭和15年) 450世帯
1814人
1950年(昭和25年) 593世帯
2889人
1960年(昭和35年) 565世帯
2400人
1970年(昭和45年) 562世帯
2080人
1980年(昭和55年) 545世帯
1582人
1993年(平成5年) 462世帯
1038人
2003年(平成15年) 389世帯
733人
2012年(平成24年) 336世帯
580人
2020年(令和2年) 224世帯
380人

歴史

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島名の由来

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かつて樹が多く、「桃島」と表記されたが、いつの頃からか「百」の字が充てられるようになったとされる。また、かつて磯島と五十島の二島があって、それが一島になって百島に改めたという説もある。さらに一説として、尾道から今治までの芸予諸島が百にも及び、その天辺に位置し、その百諸島を代表する島として百島と名づけられたともいう。

中世

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室町時代になるまで百島の歴史資料は殆ど皆無だが、菅原道真大宰府に流される途中、百島に立ち寄り一袖残したという伝説もあり、百島町福田地区に天満宮がある。

また嘉吉元年(1441年)、嘉吉の乱で敗れた赤松満祐の一族が百島に逃れて住み着いて、以来追っ手の襲来に備えた弓の稽古が由来の「お弓神事」が今尚毎年1月11日に催しされている。これは、百島村上水軍との関連が強いと言われている。

永正元年(1504年)、村上喜兵衛義高が百島茶臼山城を築城した。天正7年(1579年)、村上喜兵衛高吉が曹洞宗の萬松山西林寺を建立した。文禄元年(1592年)、村上喜兵衛高吉が小早川隆景の命を受けて朝鮮に出兵し、毛利氏より感状を貰った。

近世

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元禄13年(1700年)の福山藩内での御検地水帳が資料として残存している。屋敷所有者、屋敷借用者、本百姓、水呑百姓石高、耕地数などが記録されている。

近代

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1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行によって沼隈郡百島村が発足した。1895年(明治28年)の百島の人口は2,127人だったが、このうち12%に相当する59世帯255人(12%)が北海道の茂世丑(現・岩見沢市栗沢町茂世丑地区)に入植開拓した。1913年(大正2年)の人口は403世帯2,358人だった。

耕地面積が小さかったことで島民の人口を養えず、この頃には北海道関東四国九州の国内四方への移住が進んだ。さらに、北米南米ハワイ豪州マニラ朝鮮台湾などへの移住も進んだ。『沼隈郡誌』には、「百島の者、一般に質朴勤勉にして徳義を重んじ、信義を守り、克く難苦に堪え、忍耐力強気を以て、至るところに成功者を出し、土地開拓に或いは商業漁業運送業に大規模の経営を競る者、その数少なからず」云々とある。1923年(大正12年)の『沼隈郡誌』による「百島村人文誌」には、「人情敦煌にして懇切掬べきものあり、殊に女子の勤労と男子の海外発展には特筆に価す。又敬神崇佛の念一段深く、貯蓄心に富み、納税成績良好なり」と記されている。

現代

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1945年(昭和20年)の終戦後、日本軍軍人の復員などで百島の人口はピークとなった。1955年(昭和30年)4月1日、百島村は尾道市に編入された[1]。1983年(昭和58年)3月31日、海岸が自然海浜保全地区に指定された[2]

  • 1986年(昭和61年) - 百島泊港で撮影された映画『犬死にせしもの』が公開。監督は井筒和幸、出演者は真田広之など。
  • 1997年(平成9年) - NHK制作ドラマ「極楽遊園地」の舞台となる。泊地区の高台には、主演の千秋実の最後の出演ドラマとなった。また、出演した藤村俊二の直筆の記念石碑が置かれている。尾道市出身の大林宣彦監督作品の映画『あした』のロケ地もある。
  • 2000年(平成12年) - 百島幼稚園と百島小・中学校が統合・併設された。
  • 2001年(平成13年)11月25日 - タレントの間寛平関西テレビ企画・放映による「百島アミーゴマラソン」が行われた。メキシコオリンピック銀メダリスト君原健二をはじめとして、元ボクシング世界チャンピオン、芸能人多数、また全国からのマラソン愛好者が百島に集った。
  • 2005年(平成17年)12月24日 - 定年後、百島に帰島した藤田氏が、故郷の百島活性化のためイチゴ栽培経営に乗り出した。その物語が、テレビ朝日系列番組「人生の楽園」で紹介された。
  • 2006年(平成18年) - 百島小・中学校の総合学習を取材した中国放送製作のドキュメンタリー番組「いきいき!夢キラリ ボクらの島をドキュメント!」が民間放送教育協会から文部科学大臣賞を受賞している。
  • 2007年(平成19年)1月11日 - NHKの夜7時の全国ニュースで「百島の弓取り神事」が報道・紹介された。
  • 2011年(平成23年)3月27日 - 5年ぶりに百島診療所がオープン。
  • 2012年(平成24年)11月4日 - アート・ベース百島(廃校となった百島中学校を再利用したもの)が発信。
  • 2013年(平成25年)1月16日 - フジテレビ系列番組「おじゃマップ」で百島診療所が取り上げられる。訪問出演者:香取慎吾山崎弘也(アンタッチャブル)、小池栄子川越達也世良公則
  • 2022年(令和4年)10月10日 - NHKのテレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」で笑福亭鶴瓶が訪れる。

経済

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かつてはあさりと百島大根が特産品として知られていた。[要出典]

現在の代表的な農業産物は、イチゴきぬさやエンドウ玉ねぎキャベツブロッコリーぶどう、ささげ、みかんでこぽんポンカンハッサク甘夏、冬橙、らっきょうゆずレモンネーブルなどである。[要出典]

交通

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尾道港に停泊中のフェリー「百風」

海上交通

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百島には福田港がある。尾道市の尾道港、福山市の常石港との間に、フェリー旅客船が運航されている。

尾道〜戸崎〜歌〜満越〜福田(百島)〜常石

陸上交通

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施設

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百島みんなの家

名所・旧跡・観光スポット

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西林寺
  • 西林寺 - 曹洞宗の寺院。1579年(天正7年)創建。「地蔵菩薩半迦像」が尾道市指定文化財[4]
  • 百島八幡神社 - 尾道市指定民俗文化財の「百島の弓取り神事」(百島お弓神事)を伝える神社[4]
  • アートベース百島 - 尾道市立百島中学校の校舎を活用した現代アートセンター。
  • 旧百島支所 - 尾道市役所百島支所(旧百島村役場)を用いたイベントスペース。1954年(昭和29年)竣工[5]。2022年(令和4年)に登録有形文化財に登録された[6]
  • 日章館 - 映画館の百島東映劇場を用いたアートスペース。1961年(昭和36年)頃竣工。

出身者

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  • とまりれん - 百島出身・在住の作詞家・作曲家。演歌の「氷雨」を作詞・作曲。
  • 岡崎ウォード伊佐子 - イギリス在住の著述家。『英国人になった大和撫子』著者。

脚注

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  1. 市域の変遷図 尾道市 (2022年7月24日閲覧)
  2. (11) 百島自然海浜保全地区”. 広島県 (2023年6月1日). 2024年12月26日閲覧。
  3. 『百島みんなの家』内覧会」『MONTHLY 建築士 HIROSHIMA』公益社団法人広島県建築士会、127号、2017年11月、2022年7月24日閲覧
  4. 1 2 尾道市指定文化財 尾道市
  5. 旧尾道市役所百島支所庁舎、益田の新比惠家住宅主屋など登録有形文化財へ」『中国新聞』2022年7月24日閲覧
  6. 生活支え「島の財産」旧尾道市百島支所、国登録文化財へ」『中国新聞』2022年7月24日閲覧

参考文献

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  • 『ふるさと百島 人 文化 行事 学校』百島ふるさと文化史研究会、2006年

外部リンク

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