度島

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度島
Takushima Hirado Nagasaki.png
所在地 日本の旗 日本 長崎県平戸市
座標 北緯33度26分18.7秒
東経129度31分26.9秒
面積 3.47 km²
海岸線長 12.0 km
最高標高 103 m
Project.svgプロジェクト 地形
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度島(たくしま)は、長崎県平戸市に属する

地理[編集]

平戸島の北方4kmに位置する。北東から南西に向かって細長く伸びた形をしており、東西3.5km、南北1kmの長さである。

概要[編集]

島には、浦・中部・三免の3つの集落が存在する。

古代遺跡キリシタン遺跡がある。戦国時代イエズス会宣教師のガスパル・ヴィレラルイス・デ・アルメイダらによってキリスト教カトリック)の布教が行われ、全島民が信者(キリシタン)となった[2]が、後のキリシタン弾圧で殉教したり逃亡や改宗を余儀なくされた。現在ではキリスト教信者はおらず、仏教浄土宗)が大半を占めている。昔の風習が色濃く残っており、盆行事「盆ごうれい」は県の文化財に指定されている[1]。年中行事の多くが旧暦に合わせて行われる。

日本史を書いたルイス・フロイスは1563年7月6日、待望の日本に着き、西九州の横瀬浦に(長崎県西海市)第一歩を印した。その後、横瀬浦が焼き討ちなど破壊されたので平戸に近い度島に避難し、ここで10ヶ月、病魔と闘いながら医師でもあるルイス・デ・アルメイダから難解な日本語および日本の風習を学んだ。フロイスが度島で住んでたのは浦地区。立願寺と秋葉神社の間にある「テッペス」の石段の上周辺は、平戸資料館パネルではルイス・デ・アルメイダが住んだ度島教会跡と記されている。アルメイダはこの島の宣教活動と共に投薬による医療活動を行なったことで知られている。

東野利夫著「南蛮医アルメイダ」には南蛮医に関する伝承が紹介されている。

「むかし、南蛮の薬師(くすし-医者)がここに来たげな。あっけらかんとした人で、足ば投げ出し長ギセルのようなものを吸うて、ひょうきんんなことば言うたりして、病人ば看てやっとげな。村のもんたちあ気楽に看てもらいよったとげな」

日本における聖書の歴史は、1549年フランシスコ・ザビエル(1506-1552)が初めて鹿児島に上陸した時に持って来た日本語に訳された「マタイ福音書」に始まると言われている。しかし、現在記録は残っていない。

フロイスの『日本史』によると、ザビエルがマラッカで出会った日本人ヤジロウの協力によって和訳の計画をしていたことは確かである。

ザビエルに同行した修道士イルマン・フェルナンデス(1525-1568)は、このヤジロウの協力を得て信仰問答をローマ字に訳している。この中には、モーセの「十戒」や「主の祈り」が入っていたはずだから、聖書の一部は既にこの時代に日本語にされていたようである。

フェルナンデスは四福音書の全訳を試みたようだが、それに関する詳しいことは不明である。しかし、彼とともに同地に布教していたフロイスの記録によれば、1563年肥前(長崎県)度島(たくしま)の教会の火災で、この稿本が無惨にも焼失したと言われている。

自然[編集]

離島であるがゆえに数々の希少な生物が生息している。島外からの観光客の流入を嫌い見送られたものの、島を国立公園にしようという話が持ち上がったことがある。ただ、下水浄化施設がないこともあり、生活廃水や農薬の使用、新しい道路や港の建設などが、環境を破壊する要因となっているとの指摘もある[誰によって?]

行政[編集]

明治時代初期は1島1村の北松浦郡多久島村となっていたが、1889年(明治22年)4月1日の町村制度施行時の際、平戸島内の一部の地域を行政区域とする平戸村と合併し、平戸村に属した。1925年(大正14年)4月1日に平戸村が平戸町と合併したことで平戸町に属し、1955年(昭和30年)1月1日に平戸町を含む平戸島内の全町村が合併して平戸市が発足したことで、島も平戸市に属することになった。2005年(平成17年)10月1日に平戸市が周辺市町村と対等合併したため、市名は平戸市のままだが新市制となっている。

産業[編集]

主産業は漁業農業である。

農業は古くから、稲作が行われている。多くの世帯が小麦を栽培していたが、農産物輸入自由化により価格が下落したために減少した。かつては肉牛を飼っている世帯が大半を占めていたが、現在は1軒だけとなってしまった。

男性は、大半が1ヶ月ほどの遠洋漁業に従事している。

教育[編集]

島の中央に小中併設校の平戸市立度島小学校・中学校がある。校舎や校庭を共用しており、運動会遠足などを合同で行っている。保育所を合わせ、10年以上同じクラスで過ごす子供もいる。

交通[編集]

平戸港に停泊中の「第二フェリー度島」

島外からの交通手段としては、平戸市中心部の平戸港と度島を結ぶフェリーが定期的に運航されている[3]。フェリーターミナルは島の東部の飯盛地区と島の西部の本村地区の2ヶ所に設けられている。

島内の道路は、国道県道はなく、市道のみである。かつてはバス・タクシーなどの公共交通機関は無かったが 2018年1月現在、コミュニティーバスが運行されている(月曜から金曜のみ)

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 「玄海の小島に生まれて[4]」(著 - 森優)
  • 『南蛮医アルメイダ』 東野利夫・著 柏書房
  • 横瀬浦の開港と焼亡について  五野井 史
  • 長崎異聞2015(2)平戸・度島
  • キリシタン時代の初期の聖書 日本聖書協会

脚注[編集]

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  1. ^ a b ながさきのしま|長崎のしま紹介【平戸】|平戸のプロフィール 長崎県 企画振興部 地域振興課
  2. ^ 『キリシタン史考 - キリシタン史の問題に答える』p330-p337(H.チースリク 著)聖母の騎士社 ISBN 4882161249
  3. ^ 平戸~度島【フェリー度島】 平戸市役所
  4. ^ 平戸市度島町出身の著者が大正時代から2001年(平成13年)までをまとめた個人史。度島の方言、歴史等も記載。

外部リンク[編集]