生名島
生名島 | |
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所在地 |
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所在海域 | 瀬戸内海 |
座標 | 北緯34度16分25.8秒 東経133度10分25.7秒 / 北緯34.273833度 東経133.173806度座標: 北緯34度16分25.8秒 東経133度10分25.7秒 / 北緯34.273833度 東経133.173806度 |
面積 | 3.67 km² |
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生名島(いきなじま)は、芸予諸島の中の上島諸島にある離島。愛媛県上島町に属する。
地理[編集]
因島の南側に位置する。平成の合併前までは愛媛県越智郡生名村であったが、合併により上島町の区域となった[1]。
面積は3.67km²[2]。周辺には旧生名村に属した平内島(へないしま)、鶴島、坪木島、亀島(竹島)、能小島、大島、小島および甑島(こしきしま)があるが生名島とは異なり無人島である[2]。
島の東部にある厳島と呼ばれる半島部は、もとは独立した島だったが、大正末期の埋め立てで生名島と陸続きになった[2]。
経済・産業[編集]
交通[編集]
島の東岸に立石港があり、因島からフェリーでわずか3分と渡し舟の感覚で行き来できる[4]。(実際に、地元の人はフェリーを「渡し」と呼んでいる。)
生名島は旧日立造船の企業城下町として栄えてきた。生名島の島の東岸に位置し、因島の土生港(広島県尾道市)に向かい合っている立石港は因島への直結ルートとして重要な役割を果たしてきた。同港からは、土生航路に加え、弓削・尾道航路、三原航路も就航しており、通勤通学時には、乗降客・乗降車等でかなりな混雑がみられる。
2011年2月6日に上島架橋の生名橋が開通し、弓削島や佐島と陸路で結ばれた。
名所・名産[編集]
- 名所
- 名産
地域おこし[編集]
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島民が一体となって「いきな島一周マラソン」などのスポーツに取り組んでおり、スポーツ合宿の誘致にも取り組んでいる。
- いきなスポレク公園
- 1988年の旧・生名村時代の基本構想に基づき、魅力ある「スポーツ合宿村」づくりをテーマに、スポーツ合宿をメインに、社員研修、レクリエーション、イベント、健康づくりなど、島全体を多目的に利用できる一種の総合運動公園として、1989年から1996年にかけて計画整備された。小学生から一般同好者・愛好者など、多くの人たちが利用できる施設としている。
- スポーツ合宿付は、定住人口の大幅な増加を望めない状況を踏まえ、豊かな自然環境を活かし、交流人口の増加による村の活性化をねらった施策である。
- 黒土(阿蘇山の火山灰)の野球場、温水プール、卓球場、サウナ等を備えた総合運動施設。島内外から合宿地として利用されている。2009年5月17日には野球場で四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛マンダリンパイレーツが主催する公式戦(相手は香川オリーブガイナーズ)が初めて開催された。以後も毎年、愛媛の公式戦が1試合日程に組まれている(2011年は雨天のため中止)。
- 宿泊施設「蛙石荘」
- スポーツ合宿のほか、観光客も利用できる宿泊研修施設。
- サウンド波間田(サウンドはかんだ)
- 先の「スポーツ合宿村」構想を積極的に展開することによって、島外から多くのスポーツ選手、愛好家、関係者が多数訪れることが予想される。その受け皿の1つとして旧・生名村にて整備された中核施設の1つで、野外ステージ、展望台、遊歩道、多目的広場を中心に構成されている。1989年度から整備に着手、1994年に完成した。海岸に近く、海浜地の整備などの自然環境を生かした施設があり、島民のいこいの場として、また、手近なキャンプ場として幅広く利用されている。
- サーキット場
- 1988年に商工会の青年部のメンバーの発案により造成された。
出身者[編集]
- 日本海運組合の育ての親。
脚注[編集]
- ^ 七つの有人島が合併 上島町誕生11月選挙 せとうちタイムズ2004年10月23日
- ^ a b c 塚本秀史「明治22年に測量された生名島の海岸線」『弓削商船高等専門学校紀要』第26巻、弓削商船高等専門学校。
- ^ “いきな車えび”. 一般社団法人 愛媛県観光物産協会. 2016年5月1日閲覧。
- ^ “生名フェリー 土生港(長崎桟橋)~立石港”. 上島町役場. 2016年5月1日閲覧。
- ^ “波間田キャンプ場(サウンド波間田)”. 上島町観光協会. 2016年5月1日閲覧。
- ^ “イキナサーキット”. 上島町観光協会. 2016年5月1日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 上島町公式ホームページ(日本語)
- 上島町商工会 公式サイト(日本語)