井島

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井島(石島)
井島 国土画像情報(カラー空中写真)
所在地

日本の旗 日本
 岡山県玉野市
 香川県香川郡直島町

井島の位置(日本内)
井島
井島の位置(岡山県内)
井島
井島の位置(香川県内)
井島
所在海域 瀬戸内海
所属諸島 直島諸島
座標 北緯34度29分41.6054秒 東経134度0分58.7149秒 / 北緯34.494890389度 東経134.016309694度 / 34.494890389; 134.016309694座標: 北緯34度29分41.6054秒 東経134度0分58.7149秒 / 北緯34.494890389度 東経134.016309694度 / 34.494890389; 134.016309694
面積 2.72[1] km²
海岸線長 9.3 km
最高標高 156.7[2] m
最高峰 石島山
Project.svgプロジェクト 地形
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井島(いしま)は、瀬戸内海直島諸島に位置するのひとつである。島内には岡山県香川県県境が引かれており、岡山県側の地域は石島と表記される[3]。行政上は岡山県玉野市および香川県香川郡直島町に属する[3]郵便番号は706-0306[4]。2015年1月時点で人口92人[5]、2011年時点で38世帯[6]は全て岡山県側に居住する。 。

地理[編集]

石島の集落。

玉野市胸上地区から南に5.2km、船で15分、宇野地区から東に5.2km、船で15分の海域に位置している[7] 。東端に戸尻鼻、西端にヘラガ崎と呼ばれる小さな岬があり、この岬を東西に結ぶ稜線に石島山がある。この稜線を境として、北側が岡山県、南側が香川県の行政区域となっているが、一部の県境はいまだ確定していない[3][1]。有人島において島内に県境があることは、非常に珍しいことであるとされる[7][注 1]

岡山側の石島地域には人が居住しており、0.09km2農地と0.02km2宅地があるのに対し、香川県側の井島地域は岩がちな地形で、かつては石切り場があり、定住者も存在していたが[いつ?]、現在は無人となっている[7][2]

人口[編集]

島の人口は103人(2011年)で、人口構成としては半分以上が50歳以上で、高齢化が急速に進んでいる。

人口は緩やかな減少傾向にあり、少子高齢化も進んでいる。島の唯一の教育施設であった玉野市立胸上小学校石島分校には、最盛期の1959年昭和34年)には69人の児童がいたが、その後児童数は緩やかに減少していった。2011年平成23年)に最後の児童が卒業し、3月25日休校となった。

歴史[編集]

井島南端の鞍掛鼻、鞍掛鼻に直交する尾根から鞍部には、旧石器時代~縄文時代の遺跡である井島遺跡がある。1951年(昭和26年)ごろ発見され、表面採集により石槍石鏃、大小のナイフ形石器細石刃と細石刃核などが発見された[8]1954年(昭和30年)から1955年(昭和31年)にかけて行われた正式発掘調査では遺物包含層(花崗岩バイラン土)上層部より細石刃核、下層部より小型ナイフ形石器が発掘され、これらはそれぞれ井島Ⅰ型石器、井島Ⅱ型石器と呼称された[8]。井島Ⅰ型石器は小型の、切り出しのような形をした石器で、ヨーロッパなどで発見される幾何形細石器にも類似している。井島Ⅱ型石器は片面に剥離面を残した船底型細石刃核と、そこから剥離した細石刃を主体とするもので、組み合わせ石器であると考えられている[9]

鞍掛鼻を中心とする舌状台地の西側には小さな砂浜が形成されており、ここからは縄文時代晩期の土器海水を煮詰めてを作るために使う、製塩土器や、焼け焦げた製塩炉跡などが発見されている[8][9]

また、古墳時代の遺跡としては、井島側に横穴式石室と周溝を伴う(一本松古墳)、箱式石棺が数基所在する(ナカ鼻古墳群)があり、石島側には、横穴式石室を伴う石島古墳群が所在する。

1702年元禄15年)に直島と胸上村との間で境界論争が発生し、幕府が石島山から東西に境界を引く形で、北部を胸上領、南部を直島領と決めた。その当時は井島は無人島だった。このあと胸上村から3人の農民が井島に行き、石島山の北の開拓した。その後も胸上村数人が井島に移住し、開拓に関わった。またその間には爆発的な増加率で増え、1702年に数人であった人口が1742年寛保2年)には56人にまで膨れあがっていた。

1983年(昭和58年)と1989年(平成元年)には島内を流れる石島川に、砂防ダムが完成。上水道として利用していたが、1996年(平成8年)の海底送水管の完成によって利用されなくなった。1895年明治28年)に発生した火事では集落の多くが焼けたほか、1907年(明治40年)の火事では、家が8軒焼けている。2011年(平成23年)8月9日に発生した山火事は約73時間に渡って燃え続け、島の面積の約87%に当たる237haを焼いた[10]。火災発生の夜に十数人のグループがバーベキューをしていたことが判明している[11]

生活[編集]

本土からやや離れた海域にある小島という空間の制約のため、島内に形成されている社会は小規模なものになっている[7]。しかし、住民の大半が島内で生まれ育っており、ほぼ全住民が知人、親戚関係にあるが故に、住民の間の結びつきは深く、島としての一体感は非常に強い[7]。人と人との関係は非常に親密であり、相互扶助の精神に基づいたあたたかい人間関係が築かれている[7]

交通[編集]

2015年3月より平日限定で、宇野港まで定員12名、電話予約制の定期便が運行している[5][12]。2014年度までは本土胸上港に向かう1日2~3便のスクールボートが運行されており、これに島民が便乗することで「生活の足」ともなっていたが、島内唯一の男子生徒であった中学生が卒業するのに伴い廃止された[5][12]。島民は、日用品の購入、医療などについて本土側の宇野地区周辺を活用しており、本土と密接な日常生活圏が形成されている状況にあるため、島外に出る頻度は高く、ほとんどの住民は島外への交通に自家用船を用いている[7]

産業・施設[編集]

平成22年度の産業別就業者をみると、第1次産業が38人で約77.6%、第2次産業が1人で約2.0%、第3次産業が3人で約6.1%となっている[7]。基幹産業は水産業であり、旧来より多くの住民が本土側の胸上漁協に所属し、沿岸漁業を展開しているが、漁獲高の減少とともに、漁業形態は1970年(昭和45年)に本格導入された海苔養殖を中心とするものに変化している。[7]。業務状況としても、繁忙期(10月下旬~3月下旬)には島総出で従事しており、就業者数の割合は、底引き網漁などの漁船漁業と海苔養殖で概ね1:6となっている[7]。住民の収入は、自然を利用した産業に依存しているため、天候等の要因に左右され、必ずしも安定した状況とはいえない[7]。また、海苔養殖に要する機器等が非常に高額であるため、生産性向上への障害となっている[7]

住民活動の拠点施設としては、玉野市立東児市民センターの分館が設置されており、地区住民の集いの場として広く利用されている[7][13]

その他[編集]

郵便については、委託による集配が行われているほか、電話テレビについては、全世帯に普及している[7]インターネット利用の環境については、通信事業者での受信環境改善対策により、携帯電話の回線を利用した比較的高速なインターネットの利用が可能となった[7]。携帯電話については、通信できない通信事業者が存在している[7]

生活用水については、平成7~8年度にかけて海底送水管が敷設され、安定した水の供給が行われている[7]廃棄物処理については、可燃物は週2回、プラスチックは週1回、古紙は月2回、不燃物及び粗大ごみは月1回の収集を行い、本土において処理している[7]し尿処理は、島内に配備されているバキュームカーで収集を行い、し尿運搬船を活用して、本土に持ち帰り処理されている[7]

島内[編集]

石島古墳[編集]

石島古墳及び石島弥生式集団墓

石島にある三つの横穴円墳6世紀中期から7世紀までの古墳の移り変わりを知ることができる重要な史跡である[14]

石島1号墳
島の西端県境に位置する円墳。墳丘の径は約13メートルで石室周辺を除いてほぼ原形を保つ[15]
石島2号墳
胸上小学校石島分校の西側にある円墳。墓地の作成のために大部分が破壊され、規模は分からなくなっている[15]
石島3号墳
集落東北の山頂にある。3つの横穴円墳の中では最古のもの[14]。畑の開墾を理由に墳丘は壊されている[15]

石島弥生式集団墓[編集]

  • 基本情報[16]
    • 所在地:石島戸尻鼻
    • 所有者:玉野市
    • 玉野市史跡指定年月日:昭和49年12月20日
  • 概要
    • 弥生時代の伸展葬後に目印として小石を並べて形成された古墳[16]
    • 島内にはシストと呼ばれる形式の古墳もあり、島内の古墳の推移を知る重要な遺跡[16]

その他[編集]

てんま石
天狗山の下の岩場にてんま船の形をした岩があり、てんま石と呼ばれている[17]
鬼の手形
てんま石の近くにある海触岩。鬼の手形に似ていることから。別名、鬼の爪[17]
石島八十八ヶ所
主に県境沿いに石仏が分布している[18]

ギャラリー[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 日本で都道府県境がある島は(本州九州四国を含め)11島しかない。井島はその中で面積・人口とも4位、つまり、本州・九州・四国に次ぐ。また、本州・九州・四国以外では唯一の有人島である。ただし、人口は岡山県側にしかなく、島内に異なる都道府県の住民が居住しているわけではない(その条件を満たすのは本州・九州・四国だけである)。他に県境がある島(ただし無人島)としては、瓢箪島広島県愛媛県)や大槌島(岡山県・香川県)などがある。

出典[編集]

  1. ^ a b 国土地理院. “付3 島面積”. 2016年12月31日閲覧。
  2. ^ a b 巌津 1978, p. 47.
  3. ^ a b c 岡山県ホームページ - 岡山県の離島 - 石島”. 岡山県. 2016年1月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年12月31日閲覧。
  4. ^ 石島の郵便番号 - 日本郵便”. 日本郵便. 2016年12月31日閲覧。
  5. ^ a b c “島民の新たな足確保 玉野市・石島と宇野港結ぶ海上タクシー”. 産経新聞. (2015年2月7日). http://www.sankei.com/region/news/150207/rgn1502070060-n1.html 2016年12月31日閲覧。 
  6. ^ “石島・井島の山林、大半が焼失”. ロイター. (2011年8月10日). http://jp.reuters.com/article/idJP2011081001000103 2016年12月31日閲覧。 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 石島地域振興計画”. 岡山県. 2016年12月31日閲覧。
  8. ^ a b c 第2版, 世界大百科事典. “井島遺跡(いじまいせき)とは - コトバンク”. コトバンク. 2017年1月12日閲覧。
  9. ^ a b 山陽新聞社 1980, p. 151.
  10. ^ “瀬戸内海の石島、87%を焼失…ようやく鎮火”. 読売新聞 (読売新聞社). (2011年8月12日). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110812-OYT1T00790.htm 2011年8月12日閲覧。 
  11. ^ “瀬戸内海の石島で山林火災、7割焼きなお延焼中”. 読売新聞 (読売新聞社). (2011年8月10日). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110810-OYT1T00369.htm 2011年8月12日閲覧。 
  12. ^ a b 玉野市. “石島航路のダイヤ変更について | 岡山県玉野市 公式ホームページ”. 2016年12月31日閲覧。
  13. ^ 岡山県生涯学習センター. “施設・文化財 詳細”. 2016年12月31日閲覧。
  14. ^ a b 玉野市教育委員会、玉野市文化財保護委員会 『玉野の文化財』 玉野市教育委員会、1987年、28頁。
  15. ^ a b c 東児町史編纂委員会 『東児町史』 東児町、1974年、251-252頁。
  16. ^ a b c 『玉野の文化財』 玉野市教育委員会、1987年4月1日、27頁。
  17. ^ a b 河合康夫 『玉野の地名と由来』 玉野プリント社、1983年、151-154頁。
  18. ^ 東児町史編纂委員会 『東児町史』 東児町、1974年、228-229頁。

外部リンク[編集]