竹富島

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竹富島
Village in Taketomi Island - located at southwest Japan.jpg
なごみの塔から見た赤瓦屋根の集落
座標 北緯24度19分47秒
東経124度05分12秒
座標: 北緯24度19分47秒 東経124度05分12秒
面積 5.43[1] km²
海岸線長 9.2[2] km
最高標高 33.1[3] m
所在海域 太平洋東シナ海
所属諸島 八重山列島
所属国・地域 日本の旗 日本沖縄県八重山郡竹富町
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竹富島の衛星写真(2014年撮影)
沖縄本島と八重山列島の位置図

竹富島(たけとみじま)は、沖縄県八重山列島にあるである。全島が沖縄県八重山郡竹富町に属している。

「竹富」は近代になってからの表記で、明治半ばまでは「武富」と表記されることが多かった。また、古くはタキドゥンと呼ばれていた。地元のテードゥンムニ(竹富言葉)では「テードゥン」という。

地理[編集]

八重山列島の中心地である石垣島の南約6kmに位置し、石垣港からは高速船で約10分の距離にある。

自然[編集]

サンゴ礁の隆起によって生じた琉球石灰岩からなる低島であり、平坦地が多い[4]。南北にやや長い楕円形をなしており、周囲は約9 km。

全島が西表石垣国立公園に指定されている。特に海水浴等の利用者が多いコンドイ浜海水浴場)や星砂で有名なカイジ浜(皆治浜)がある西海岸は、第2種特別地域に指定されている。また、日本最大のサンゴ礁である石西礁湖内に位置しており、多様なサンゴ群落が発達しダイビング利用者も多い島北西部のタキドゥングチ、島南西部のシモビシ、南部の竹富島南沖礁の各海域は、海域公園区域に指定されている[5]

島の北東部約1km・水深約20mの地点には海底温泉が確認されており、観光資源として活用することが検討されている[6][7](北緯24度20分22.94秒 東経124度5分59.45秒 / 北緯24.3397056度 東経124.0998472度 / 24.3397056; 124.0998472 (竹富島海底温泉))。ただし、環境への影響や施設の運営、維持管理費の確保などが課題となっており、海底温泉の場所はダイビングポイントでもあるため温泉の活用には慎重な意見もある[6]

なお、1945年(昭和20年)の終戦後に島全体が畑と化したため、古来から保たれている森林は御嶽の周辺だけである。[要出典]

集落[編集]

東集落(アイノタ)、西集落(インノタ)、仲筋集落(ナージ、南集落とも)の3つの集落が島の中央部から北西部にかけて位置している[8]。集落景観は、木造赤瓦民家と白が撒かれた道を基調としている。

町並みは、1987年(昭和62年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている[9]。島のほぼ中心部にある赤山公園内のなごみの塔からは、赤瓦屋根の集落が見渡せる。なお、竹富島で最初に赤瓦屋根の家屋が建てられたのは1905年(明治38年)であるが、大正に入ってから富裕層にも普及したものの、1964年(昭和39年)においても主屋の約4割は茅葺のままであり、赤瓦の家屋の建築が盛んになったのは1970年代以降とされる[10]

人口[編集]

人口は365人(2016年7月末現在[11])、戸数165戸(2015年10月27日現在[12])。国勢調査によれば、262人(1995年)、279人(2000年)、330人(2005年)、303人(2010年)と推移している[13][14]

1945年(昭和20年)の終戦後、台湾や戦地からの引揚者が帰島し[15]1947年(昭和22年)には人口が2,600名を超えた。しかし、1954年(昭和29年)には約1,200名となり、その後も減少が続いて[16]1992年(平成4年)には史上最少の251人となった[17][18]。以降は、2003年(平成15年)から2005年(平成17年)頃の八重山列島への移住ブーム等の影響もあり、穏やかな増加基調にある[19]

歴史[編集]

竹富島の出土品でもっとも古いものはカイジ浜遺跡の貝塚で紀元1000年頃と推定される[要出典]。竹富町の史跡に指定されている島東北部の新里村遺跡からは陶磁器の破片や穀物の種子、石積みの跡が出土している。年代は竹富島最古の井戸といわれる花城井戸(ハナックンガー)を境に東側が12世紀頃、西側が14世紀から15世紀頃と推定される。竹富島中世の遺構として石積の状態も良好とされている花城・久間原遺跡は15世紀から16世紀頃と推定される。現在は茂みに覆われてその遺構は見学することはできない。

竹富島では、1500年オヤケアカハチ戦争の際、宮古軍の総大将であった仲宗根豊見親が東集落南東部にある小高い丘に城を築いたと伝えられている[要出典]。その地はトゥールングックと呼ばれ、豊見親の掘り当てた井戸をトゥンナーカーと云われている。また、島の偉人として敬愛されている西塘は、オヤケアカハチ戦争の際に首里王府軍の総大将であった大里親方に首里に連行されたと伝えられており、やがて西塘は石工として大成しその名を知られるようになった。首里城に建立されている園比屋武御嶽石門の扁額によると、園比屋武御嶽石門は1519年に竹富島の西塘が建立したとある。西塘は、1524年頃に琉球王国第二尚氏王朝第3代国王である尚真王より八重山の頭職である武富大首里大屋子(たけとみうーしゅりうーやく)の官位を授かり、竹富島のカイジ浜に蔵元(行政府)を置き、八重山を統治したと伝えられている[20]

八重山村が分村し、竹富村(1948年(昭和23年)に町制施行)が発足した当初も本島に村役場が置かれていたが、1938年(昭和13年)に村外の石垣島へ移転して以来、現在も町役場は石垣市に置かれている[20]

島は隆起サンゴ礁でできているため稲作に適さない。しかし、琉球王府時代には米での納税を求められたため、島民は船で西表島に渡って耕作する通耕を行っていた。通耕は1879年(明治12年)の琉球処分後も続けられていたが、1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結後、台湾や本土へ出稼ぎに出ていた出身者が大挙島に戻り島内の食糧事情は悪化した。そこで、島民の食糧確保のために1950年(昭和25年)、西桟橋が現在の姿に整備された。西表島への通耕は本土復帰前後まで行われていた。西桟橋は2005年(平成17年)に、黒島伊古桟橋とともに、登録有形文化財に登録されている[15][21][22]

町並み保存[編集]

竹富島憲章[編集]

「竹富島憲章」は、「妻籠宿を守る住民憲章」などを参考にして1986年(昭和61年)3月31日に制定された[23][24]。同憲章には、「売らない」、「汚さない」、「乱さない」、「壊さない」という島を守るための4原則に、伝統文化と自然・文化的景観を観光資源として「生かす」を加えた5つの基本理念をはじめ、島の伝統文化を大切にする精神や来島者を接遇する際の心構えなどが謳われている[10]。また、同憲章の主旨にもとづいて、竹富島民の自治組織である地縁団体法人竹富公民館内に竹富島集落景観保存調整委員会(まちなみ調整委員会)を設置し、景観を保全する上で島民が直接参画できる制度を確立している。

1994年(平成6年)には、多くの外部者が関わる形で「竹富島景観形成マニュアル」も発行された[10]

制定から30周年を迎えた2016年(平成28年)、竹富公民館は「竹富島憲章制定30周年特別委員会」を設けて竹富島憲章を検証し、理念は前憲章の精神を踏襲する一方、条文は現在の暮らしに沿った内容とする案を作成し[25]、2017年(平成29年)3月31日、竹富島民は、平成28年度竹富公民館定期総会決議に基づき、「竹富島憲章」を改定した[26]

「竹富島憲章」が定める細則には以下が含まれる[23]

  • 建物を新築、増改築、修繕する際には、伝統的な様式を踏襲する。
  • 屋敷の周囲の囲いはサンゴ石灰岩の野面積みとする。
  • 海水浴場等以外での水着、裸身は禁止する。
  • 島の歴史、文化を理解し接遇することで、来島者の印象を高める。
  • 伝統的祭事・行事には、精神的文化を学び、積極的に参加する。
  • 不動産を売買する時や、建物の新築、増改築、取り壊しを行う時は事前に公民館と調整委員会に届け出る。

リゾート開発[編集]

星野リゾートが経営する宿泊施設「星のや竹富島」の建設計画が発表された際[27]、同計画に反対する住民および島外在住の竹富島出身者などによって構成された任意団体[28]「竹富島憲章を生かす会」が、同宿泊施設の建設による開発について島民の意見が反映されていないとしてより広く開かれた議論を行うよう提唱していたが、同団体の執行部は、竹富公民館長(当時)を相手取って2009年(平成21年)8月の竹富公民館臨時総会決議の履行、2010年(平成22年)3月31日の竹富公民館定期総会決議の無効を求めて提訴し、裁判へと発展した[29]

こうした動きに対して竹富公民館では、改めて住民の総意を問うため2010年(平成22年)9月16日に竹富公民館臨時総会を開催し、同計画受け入れの是非を問う無記名による住民投票を実施する必要がないこと、さらに、同計画受け入れの承認を圧倒的多数で決議した。その結果、同団体は提訴を取り下げ裁判は終了することになり、竹富島は名実ともに「星のや竹富島」の建設を容認した[30]

産業[編集]

観光が主要産業である。島内には十数か所の民宿がある。また、旅館1軒、ゲストハウス1軒、ホテル2軒(星のや竹富島(2012年6月開業)[31]、ピースアイランド竹富島(2012年8月開業))がある。しかし、石垣島に宿泊し日帰りで島を訪れる観光客が大半である[32][33]

島の南部には県内有数規模の車海老の養殖場があり、県外へと出荷されている。島の南部には牧場もある。

教育[編集]

竹富小中学校
  • 竹富町立竹富小中学校 - 創意工夫育成功労学校賞文部科学大臣賞を2回受賞している全国で唯一の学校である(2005年(平成17年)及び2011年(平成23年))[34][35]。また、ソニー子ども科学教育プログラム(最優秀校、優秀校、優良校、努力校、奨励校)を2013年度まで15年連続で受賞していた[36]

文化[編集]

数多くの歌謡(民謡・古謡・わらべうた)、芸能、伝承、風習などの伝統文化を継承している。

織物等の民芸が盛んで、「民芸の島」とも称される[10]民芸運動家の外村吉之介は竹富島の民芸を高く評価し、その紹介でバーナード・リーチ浜田庄司芹沢銈介らが来島している[17][37][38]

芭蕉布の原料となるバショウや、麻布の原料となる苧麻(ちょま)があちこちにみられる。現在でも竹富民芸館を中心として、ミンサーぐんぼうなどが織られている。「いつ(五)の世(四)までも末永く」を意味するとされる、5つと4つの升目からなる八重山ミンサーの一般的なデザイン発祥の地である[38]

竹富島で話される伝統的な言葉は「テードゥンムニ」と呼ばれ[39]八重山方言に属している。日本語の古語を残していると言われているが、テードゥンムニを含む八重山方言は、日常で使う人が少なくなっており、2009年(平成21年)に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)によって消滅危機言語の「重大な危険」(severely endangered)に分類された[40][41]。テードゥンムニを守り伝える活動も盛んで、島の子供達による発表会(テードゥンムニ大会)が1977年(昭和52年)から毎年行われている[39]。同種の催しは沖縄県内各地で開催されているが、テードゥンムニ大会は最も歴史が長いとされる[42]2011年(平成23年)2月に発刊された『竹富方言辞典』(前新透著・株式会社南山舎発行)は、足掛け27年に及ぶ地道な調査や、日本語・琉球語のルーツを探る上での貴重な資料として、公益財団法人日本文学振興会が主催する第59回菊池寛賞を受賞している[43]

祭事[編集]

竹富島の祭主には地縁団体法人竹富公民館(2001年法人格認[44]可)の館長が就任する。公民館長は毎年3月31日に開催される竹富公民館定期総会において島民から承認される。また、公民館長をサポートする2名の主事は、3集落の持ち回り制で2つの支会の会長が就任する。

竹富島には数多くの祭礼が継承されている。祭祀は大まかに「祈願祭」と「感謝祭」に分類される。祈願祭は十干の土又は木の日、感謝祭は水の日を選ぶことが基本となっている[45]プイ(豊年祭)や結願(キツガン)祭節祭(シチ)といった八重山の各地で行われている祭に加え、世迎い(ユーンカイ)、十五夜祭(ジングヤ)など竹富島独特の祭もある。祭のなかで特に盛大なのは、国の重要無形民俗文化財に指定されている陰暦の9、10月中の甲申(きのえさる)の日から10日間に渡って行われる種子取祭(タナドゥイ)である。祭の期間は数々の神事が行われ、祭の7、8日目には多くの奉納芸能も行われる。期間中は多数の観光客も訪れて島は活況を見せる。[46]

種子取祭(タナドゥイ)が他の地域で行われる種子取祭と大きく異なる点は、粟を主作物としていることと、祈願の日を戊子(つちのえね)としていることである。つまり、粟と戊子は、竹富島の種子取の象徴ともいえる。ちなみに7日目の夜に執り行われる「世乞い」の道歌では麦、粟、米の順番で謡われるが、これは播種の順である。

信仰[編集]

島内には28か所の御嶽(オン)が存在し、信仰の対象となっている[要出典]。特に竹富島の始祖と云われる6人の親神を祀った御獄は六山(ムーヤマ)と呼ばれ、各種の神事の行われる最も重要な拝所とされている[47][48]。竹富島の血縁者は必ず六山の氏子に所属する。ナーキヨイやプイなどの氏子が主体となる祭にはそれぞれの御嶽に集い家族の安寧や健康を祈願する。長らく竹富島に居住する移住者も島民に認められれば氏子になることができる。六山にはそれぞれ神と氏子の仲介役を務める神職、神司(カンツカサ)が存在する。神司は女性で世襲で引き継がれており、御嶽の香炉を預かる。さらに御嶽には、氏子を統括する責任者の殿居元(トゥヌイムトゥ)や氏子の世話役となるカンマンガーなどの役職があり、これらも世襲で引き継がれている。

また、六山の御嶽とは直接関係はないが、種子取祭で奉納する芸能の統括者を長者(ホンジャー)といい、五穀豊穣・子孫繁栄の神とされる弥勒神(ミルク)の御面を管理する家、弥勒神の御面を着ける家とそれぞれ世襲で引き継がれている。さらに、西塘が園比屋武御嶽の神を招いた八重山唯一の首里王府ゆかりの国仲御嶽、島づくりの2神が祀られる清明御嶽を加えると八山(ヤーヤマ)、西塘の住居跡で現在は墓所となる西塘御嶽(沖縄県史跡)を加えると九山(クヌヤマ)と云う。

地縁団体法人竹富公民館[編集]

竹富公民館には議会が設けられており、高度な自治能力を有している[17]。議員は3支会から選出された2名をはじめ、3支会の顧問、踊り師匠、竹富町議会議員が就く。定例議会は年に6回(初議会、結願敬老議会、種子取議会、支払議会、生年議会、最終議会)あり、それ以外に公民館長が招集する臨時議会がある。議題は主に祭事行事の予算編成、島の諸問題の解決方法などを審議する。竹富公民館執行部は議会での提案権を有しているものの、議会での決議事項を遵守しながら執行している。

公民館では、一般会計に加えて、祭事やごみ処理等は別会計として運営している。また、敬老会、結願祭、種子取祭の3つの行事については、個別に特別予算を組んで島民が経費を負担している[49]。その負担額は老若男女や家庭の事情に合わせて竹富公民館議会にて決定している。それ以外にも、環境美化(道路の補修や観光客が利用する公衆トイレの清掃、海浜清掃など)の費用を賄うための環境美化費、車を所有している方や商売をしている方が対象の竹富公民館協力費を毎年支出している。これらは、3月31日に開催される全島民(18歳未満や居住1年未満の人は除く)が会員の竹富公民館定期総会にて予算決算の承認を受けている。島民ひとりひとりの努力により島が美しく保たれているという事由から竹富公民館では、少しでも島民の負担を減らすために竹富島へ取材(民宿や店舗、人物などの個別取材は除く)に訪れるマスコミ関係者に対し、公民館の活動に協力してもらうという趣旨で公民館協力費を要請している[50]

竹富公民館は、2001年(平成13年)に認可地縁団体として法人格を取得し、地縁団体法人竹富公民館となった[44]

名所・旧跡・観光スポット・施設[編集]

文化財[編集]

国指定等[編集]

西桟橋

このほか、「八重山ミンサー」が経済産業大臣指定伝統的工芸品となっている(指定 1989年4月11日)[52]

沖縄県指定[編集]

  • 史跡
    • 蔵元跡(指定 1959年12月16日)
    • 西塘御嶽(指定 1959年12月16日)

竹富町指定[編集]

  • 史跡
    • ミーナ井戸(指定 1972年8月30日)
    • 新里村遺跡(指定 1991年9月11日)
  • 有形文化財(工芸品)
    • 仲筋ぬヌベマの水がめ(指定 1991年9月11日)
  • 無形民俗文化財
    • ササラ銭太鼓(指定 1973年12月5日)
    • 元タラクジ(指定 1973年12月5日)
    • ジッチュ節(指定 1973年12月5日)
    • 祝鼓舞(指定 1973年12月5日)
    • 鍛冶工主狂言(指定 1973年12月5日)
    • しきた盆(指定 1973年12月5日)
    • 安里屋節(指定 1973年12月5日)
    • 真栄節(指定 1973年12月5日)
    • 種子蒔狂言(指定 1973年12月5日)
    • 仲筋ぬヌベマ節(指定 1973年12月5日)
    • サングルロ(指定 1973年12月5日)
    • タラクジ(指定 1973年12月5日)
    • シドゥリャニ(指定 1973年12月5日)
    • 天使(指定 1973年12月5日)
    • マミドーマ(指定 1976年12月15日)

名所・自然[編集]

水牛車
  • 西表石垣国立公園 - 1972年(昭和47年)12月26日指定
  • コンドイ浜(コンドイビーチ) - 遠浅の海岸で竹富島唯一の海水浴場。2016年(平成28年)にトリップアドバイザーが発表した「トラベラーズチョイス世界のベストビーチ2016」の日本国内のランキングで5位となった[53]
  • カイジ浜 - 星砂の浜として知られる海岸。潮流が速いので遊泳は禁止されている。
  • 水牛車 - 水牛の歩く早さで街並を巡りながら、御者が観光案内を行う、途中では三線の演奏も行われる。民宿がコンドイ浜への送迎サービスを行ったことをきっかけに始められた。[要出典]
  • 安里屋クヤマ生誕の家 - 民謡安里屋ユンタ』に歌われた安里屋クヤマの生家。
  • ンブフル - 牛が一夜にして築いたと伝えられる丘。
  • 喜宝院蒐集館 - カイダー字象形文字)、藁算、パナリ焼、などの歴史民俗資料を収集・展示している。その一部は「竹富島の生活用具842点」として登録有形民俗文化財に登録されている。
  • こぼし文庫 - 岡部伊都子1972年(昭和47年)に竹富島の子どもたちへ多数の蔵書とともに寄贈した竹富島初の児童向け図書館[54]。現在は竹富小中学校PTAが管理運営している。
  • 環境省竹富島ビジターセンター竹富島ゆがふ館 - 2004年(平成16年)6月に開館した竹富島の資料館。環境省の施設であるが、展示内容は竹富島の文化遺産を中心としている[55]
小城盛(クックムイ) 
喜宝院 
コンドイ浜 
カイジ浜 
安里屋クヤマ生誕の家 

交通[編集]

竹富港

島外との交通[編集]

  • 八重山観光フェリー
  • 安栄観光
    • - 石垣港(離島ターミナル):所要10分。朝から夕方まで30分おきに就航。他にフェリーターミナルとの間に貨客船(フェリー)が週2便就航。
    • - 西表島大原港:大原港からの片道のみ、1日1便のみ就航(竹富寄港は不定期)。
  • 石垣島ドリーム観光
    • - 石垣港(離島ターミナル):所要10分。1日3便(石垣方向は他に2便あり)。他にフェリーターミナルとの間に高速フェリーが週2便就航。

島内の公共交通[編集]

竹富島交通路線バスを運行している。

竹富島を舞台とした作品[編集]

小説
映画
テレビドラマ
テレビアニメ
  • スティッチ! - 第2期までの舞台となった「イザヨイ島」はこの島がモデルになっている[56]
音楽

出身者[編集]

その他[編集]

年長者を敬う精神が篤く、毎年9月に数え年70歳を過ぎた高齢者を称える敬老会を開催している。竹富島の敬老会は1924年(大正13年)に始められたもので、2013年(平成25年)には90回を数えている[57]

竹富島出身者を中心とした親睦団体で、親島(竹富島)の活動をサポートする竹富郷友会(きょうゆうかい)という組織が石垣・沖縄・東京(本土)で定期的に活動している。その中でも東京竹富郷友会は最も古く、1925年(大正14年)に発足している。ちなみに、民俗学者の柳田國男や芸術家の岡本太郎は東京竹富郷友会の総会に出席したことがある。なお、各郷友会の総会は石垣・沖縄は毎年1月、東京は5月に概ね開催される。[要出典]

脚注[編集]

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  1. ^ 平成28年全国都道府県市区町村別面積調 付3 島面積 (PDF)”. 国土地理院. p. 7 (2016年10月1日). 2017年7月13日閲覧。
  2. ^ 竹富島ガイド やいまタイム(南山舎
  3. ^ 第4次 竹富町国土利用計画 (PDF) 竹富町、2010年3月
  4. ^ 西表石垣国立公園指定書及び公園計画書 (PDF) 環境省、2016年4月15日
  5. ^ 西表石垣国立公園計画書 (PDF) 環境省、2016年4月15日
  6. ^ a b “竹富町 「海底温泉」調査結果まとまる”. 八重山毎日新聞. (2015年7月19日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/27895/ 
  7. ^ 海底温泉活用へ 滞在型観光を推進 竹富町が3年計画 八重山日報、2014年10月12日
  8. ^ 竹富町住生活基本計画 資料編 (PDF) 竹富町、2014年3月
  9. ^ 重要伝統的建造物群保存地区一覧 文化庁
  10. ^ a b c d 福田珠己「赤瓦は何を語るか―沖縄県八重山諸島竹富島における町並み保存運動―」 地理学評論,69,727-743.(1996)
  11. ^ 竹富町地区別人口動態票(平成28年) (PDF)
  12. ^ 「平成27年秋季清掃検査実績表」 - 地縁団体法人竹富公民館調べ
  13. ^ 日本の島へ行こう「沖縄県の島>八重山列島>竹富島(たけとみじま)」
  14. ^ 離島関係資料(平成29年1月) 第1 指定離島・島しょ・人口 (PDF) 沖縄県
  15. ^ a b 西桟橋 竹富島ウェブログ(竹富島ゆがふ館)、2011年1月25日
  16. ^ 玉村和彦「竹富島(沖縄)にみる観光地化への軌跡 (PDF) 同志社商学 25 (4-5-6), pp.565 - 586、1974年3月20日、同志社大学商学会
  17. ^ a b c 【対談】上勢頭芳徳・小林文人 竹富島憲章と竹富公民館 東アジア社会教育研究 第13号、2007年
  18. ^ 竹富島の行き方・竹富人の生き方 - 話題チャンプルー 上勢頭芳徳、やいまタイム(南山舎)
  19. ^ 竹富町人口ビジョン (PDF) 竹富町、2016年3月
  20. ^ a b 竹富町のあゆみ 竹富町
  21. ^ 藤井紘司「近代八重山諸島における遠距離通耕の歴史的展開 -1890-1970年代における西表島東北部を事例として- (PDF) 」 地理学評論 83–1, pp.1–20 (2010)
  22. ^ 西桟橋と「なごみの塔」 琉球新報、2006年5月29日
  23. ^ a b 竹富島憲章 (PDF) 国土交通省
  24. ^ 竹富島憲章 竹富島ウェブログ(竹富島ゆがふ館)、2012年1月24日
  25. ^ 『竹富島憲章』制定30周年記念講演会の開催 NPOたきどぅん、2017年2月19日
  26. ^ 竹富島ビジターセンター竹富島ゆがふ館
  27. ^ 竹富島でリゾート開発計画 2010年の開業目指す 八重山毎日新聞、2007年12月28日(2010年10月3日閲覧)
  28. ^ リゾート開発に揺れる沖縄・竹富島の現状 日テレNEWS24、2010年5月8日(2010年10月3日閲覧)
  29. ^ トップページ 竹富島憲章を生かす会(2010年10月3日閲覧)
  30. ^ 東京竹富郷友会(お知らせ 竹富公民館より裁判に関する正式報告 2011年1月20日閲覧)[リンク切れ]
  31. ^ 星のや竹富島」が完成 6月から開業 八重山毎日新聞、2012年04月14日
  32. ^ 過去最高の115万人 竹富町入域観光客 八重山毎日新聞、2015年1月22日
  33. ^ 観光開発で揺れる竹富島 入島制限(島民)、拡大(業者)要求 八重山毎日新聞、2017年4月29日
  34. ^ 新任教諭を盛大に歓迎 新旧郵便局長歓送迎会 竹富 八重山毎日新聞、2005年5月2日
  35. ^ 写真で見る平成23年竹富島の日々 竹富島ウェブログ(竹富島ゆがふ館)、2011年12月30日
  36. ^ 入選校・園リスト 公益財団法人 ソニー教育財団
  37. ^ 竹富島21世紀物語~島の将来を考えるための7つのキーワード~|竹富島コラムちゃんぷる~ 上勢頭芳徳、情報やいま1998年6月号(やいまねっと)
  38. ^ a b 竹富島のアイデンティティー 竹富島ウェブログ(竹富島ゆがふ館)、2009年9月23日
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]