瀬長島

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瀬長島
Senaga Island 20091027-gsi.jpg
2009年10月27日撮影。
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』
座標 北緯26度10分30秒
東経127度38分33秒
座標: 北緯26度10分30秒 東経127度38分33秒
面積 0.18 km²
海岸線長 1.8 km
最高標高 33 m
所在海域 東シナ海
所属諸島 沖縄諸島
所属国・地域 日本の旗 日本沖縄県豊見城市
地図
瀬長島の位置(那覇市内)
瀬長島
瀬長島の位置(沖縄本島内)
瀬長島
瀬長島の位置(南西諸島内)
瀬長島
瀬長島の位置(日本内)
瀬長島
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沖縄本島から望む瀬長島
那覇空港へ着陸する飛行機

瀬長島(せながじま)は、沖縄県豊見城市に属するである[1]沖縄本島南部の西岸約600m[2]那覇空港の南側約1.5kmに位置する[3][4]

地理[編集]

面積0.18km2周囲1.8km、標高33mの台地状の島で[1][5]、行政上では「瀬長」地区に含まれる[2]。瀬長島は新第三紀泥岩砂岩層で構成され[3][4]、それを第四紀琉球石灰岩沖積層で堆積している[6]。島頂上部を覆っていた琉球石灰岩は、戦後米軍に接収された後に大部分が削ぎ取られ[5]、島南端に存在した標高44.2mの丘も消滅した[6]。島内はススキチガヤなどの草木植物が大半で、樹木は自生していない[5]。瀬長島はサンゴ礁の礁池(イノー)に囲まれ、干潮時は干潟が出現する[6]オカガニオオナキオカヤドカリが生息しているが、観光開発の影響により、2014年からの1年間で、オカガニの生息数が半分に減少したと報告されている[7]。文献により島内人口は異なり、瀬長島は無人島とあれば[3][5][8]、1世帯4人[1][9]と記載されている資料もある。

歴史[編集]

方言でも「セナガジマ」といい、言い伝えでは瀬長島に按司が築城したことにより、「按司のいる砂島」が変化して「アンジナジマ」とも呼ばれていた[5]。『中山伝信録』には「砂嶽」、1890年明治23年)発行の『沖縄県全図』に「砂長島」とある[6]。またハブを捕食し、丘から下って来る為、昔から鶏は飼育せず、「鶏(とい)鳴かん島」とも言われていた[10]

瀬長島は豊見城の発祥の地とされ[5]、アマミキョが豊見城に降臨した際、瀬長島に最初に降り立ったとされる[2]。瀬長島に瀬長グスクが形成され[11]、『琉球国由来記』には瀬長按司の居住跡と記されている[12]。グスク内では青磁土器が出土し、また島南斜面には陶磁器や鉄滓も発見されている[2]。『琉球国由来記』によると、グスク周辺にはいくつかの御嶽が存在していたとされ[11]、干潮の際には干潟を徒歩で、満潮時には小舟を使用して渡った[13]1719年に、冊封のため尚敬王のもとを訪問した徐葆光は、蔡温に瀬長島を案内された[14]18世紀初頭の平敷屋朝敏は、当島を舞台の一つにした組踊「手水の縁」を手がけた[10]19世紀頃から近隣の我那覇村から移住者が出始め[13]1903年(明治36年)当時の島内人口は91人[8]、戦前期には約40世帯の集落が形成され、半農半漁の生活を送った[5]。島南東部に位置する「子宝岩」に、戦前まで子供を授かるために参拝したという[10]1923年大正12年)に瀬長島を訪れた折口信夫は、一丈程の岩の頂上に2つの穴があり、そこを目掛けて参拝者が小石を投げ入れ、どちらかに石が入った穴で授かる子供の性別を占っていたと、述べている[15]

1946年昭和21年)に米軍に接収された際、弾薬庫などの施設が置かれ、住民は対岸の沖縄本島へ移動を余儀なくされた[5]。同時に、島内の拝所も本島に移転し、瀬長島へ伸びる海上道路の端に位置する「アカサチ森」に遥拝所が設置された[1]。瀬長島対岸の集落は、1951年(昭和26年)に直撃したルース台風により、多数の死傷者出したため、現在の内陸部へ集落を移動した[2]1977年(昭和52年)に返還されたが[3][4][16]、その間に瀬長グスクが破壊され、戦前の面影は無い[11]。瀬長島は那覇空港を発着する飛行機の航路の真下にあり[5]騒音が激しく、豊見城市営の野球場以外での利用が行われていない[8]。豊見城市は、2012年度計画に基づき瀬長島の観光開発事業に着手、展望台電線地中化の整備、周回道路の改修を行った[17]

観光[編集]

現在は本島と瀬長島を海中道路で架設しているため、自動車徒歩で往来することが可能である[4][16]。これにより、本島から手軽に訪れられ[9]、休日になれば多くの行楽客で賑わい[8]、年間約28万人が来島する[1]那覇空港に隣接し[3][4]、離着陸する飛行機を見物できるため[18]スポッティングや撮影が行われる[17]

島北東部に4つの市営野球場が整備されている[1]。また潮干狩り釣りの名所として知られ[5]キャンプ海水浴ウィンドサーフィンを行う者もいる[10]。さらに島内にはゲームセンターバッティングセンターを有する娯楽施設があり、休日には移動屋台が飲食物を販売している[19]

2005年3月に、瀬長島が沖縄振興特別措置法による観光振興地域「エアウェイリゾート豊見城地域」に指定され、豊見城市は2012年度に観光整備を計画した[17]WBFリゾート沖縄は、2012年に「琉球温泉瀬長島ホテル」を、2015年8月に商業施設「ウミカジテラス」を開業した[17]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 『SHIMADAS 第2版』(2004年)p.1206
  2. ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典』「瀬長」(1991年)p.424
  3. ^ a b c d e 『沖繩大百科事典 中巻』「瀬長島」(1983年)p.574
  4. ^ a b c d e 『島嶼大事典』(1991年)p.287
  5. ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典』「瀬長島」(1991年)p.425
  6. ^ a b c d 『日本歴史地名大系』「瀬長島」(2002年)p.198上段
  7. ^ “瀬長島開発でオカガニ半減 県内陸水環境シンポで報告”. 琉球新報: p. 25. (2016年11月5日) 
  8. ^ a b c d 『日本歴史地名大系』「瀬長島」(2002年)p.198中段
  9. ^ a b 加藤(2012年)p.161
  10. ^ a b c d 『SHIMADAS 第2版』(2004年)p.1207
  11. ^ a b c 『沖繩大百科事典 中巻』「瀬長グスク」(1983年)p.574
  12. ^ 『日本歴史地名大系』「瀬長グスク」(2002年)p.198下段
  13. ^ a b 『角川日本地名大辞典』〔近世〕「瀬長村」(1991年)p.425
  14. ^ 『日本歴史地名大系』「瀬長村」(2002年)pp.197下段 - 198上段
  15. ^ 『日本歴史地名大系』「瀬長島」(2002年)p.198下段
  16. ^ a b 『日本の島事典』(1995年)p.363
  17. ^ a b c d 外間愛也 (2016年9月26日). “鳥の目ショット うるま紀行 「6 瀬長島 憩いの空間」”. 琉球新報: p. 13 
  18. ^ 加藤(2010年)p.341
  19. ^ 『SHIMADAS 第2版』(2004年)pp.1206 - 1207

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]